15:熱に浮かされて
夜。
レグナードは昼間の喧騒が嘘みたいに静かだった。
もちろん完全には眠らない。
物流倉庫では夜間搬入が続いているし、深夜営業の食堂には帰還した冒険者が集まっている。
それでも、昼とは違う。
街全体が、少しだけ息を潜める時間だった。
宿屋の窓から見える魔導灯の光が、雨上がりの石畳へ淡く反射している。
「……っ」
レインは浅い呼吸を繰り返していた。
苦しい。
また熱が上がっている。
昼間までは大丈夫だった。
セリナと市場を歩き、麺料理を食べ、少し笑う余裕すらあった。
でも夜になってから、身体の奥が再び熱を持ち始めた。
魔力。
明らかに普通ではない。
意識すると増える。
止めようとすると余計に暴れる。
「はっ……ぁ……」
額から汗が落ちる。
視界が揺れる。
部屋の空気が熱い。
いや。
熱いのは自分自身だ。
レインはベッドの端を掴む。
怖かった。
また暴走するかもしれない。
また誰かを傷つけるかもしれない。
その時。
コンコン。
小さなノック音。
「レイン?」
セリナだった。
「起きてる?」
返事をしようとして、喉がうまく動かない。
「……っ」
苦しそうな息だけ漏れる。
すぐに扉が開いた。
「……!」
セリナの表情が変わる。
「ちょっと、また熱?」
レインは答えられない。
身体が熱い。
頭がぼんやりする。
魔力が体内で渦を巻いていた。
セリナがすぐ額へ手を当てる。
「熱すぎる……」
その瞬間。
ビリッ。
青白い魔力がレインの身体から漏れた。
空気が震える。
窓ガラスが軋む。
セリナは眉を寄せた。
「また魔力循環が暴れてるのね」
レインは必死に息を整えようとする。
「ご、めんな……」
「喋らなくていい」
セリナは落ち着いていた。
慌てない。
怒鳴らない。
ただ、状況を見ている。
戦場で何度も修羅場を越えた人間の目だった。
「水持ってくる」
セリナは部屋を出る。
レインはぼんやり天井を見る。
苦しい。
でも。
怖さより、別の感情の方が強かった。
また迷惑をかけている。
また助けられている。
情けない。
「……」
少しして、セリナが戻ってきた。
水桶。
布。
薬草。
手慣れている。
「起きられる?」
レインは何とか身体を起こす。
その瞬間、視界が揺れた。
「っ」
「危ない」
セリナが肩を支える。
近い。
銀髪から、ほんの少し酒と石鹸の匂いがした。
レインの心臓が変に跳ねる。
こんな時なのに。
「……顔赤いわね」
「ね、熱です……」
「本当に?」
少し笑っている。
レインは何も言えなくなった。
セリナは濡れた布を額へ乗せる。
冷たい。
気持ちいい。
「……落ち着くまで、ちゃんと呼吸しなさい」
「……はい」
レインはゆっくり息を吐く。
セリナはベッド横の椅子へ座った。
そのまま静かに様子を見ている。
部屋には雨音だけが響いていた。
「……セリナさん」
「何」
「寝なくていいんですか」
「あなたが爆発したら困るでしょう」
「……」
否定できない。
セリナは少し肩を竦める。
「それに、慣れてるから」
「看病?」
「そう」
視線を落とす。
「怪我人も」
「熱病も」
「瀕死も」
「いっぱい見てきた」
レインは静かに聞く。
セリナは、本当に多くのものを背負っている。
「……疲れませんか」
「疲れるわよ」
即答だった。
でも。
「でも、放っておく方が嫌」
その言葉は、やっぱりセリナらしかった。
レインは少しだけ笑う。
「……変ですよね」
「何が」
「そんなに優しいのに、自分は幸せになれないって思ってるところ」
セリナが少し黙る。
ランプの灯りが銀髪を照らしていた。
「……幸せってね」
静かな声。
「普通の人が掴むものだと思うの」
レインはぼんやり聞いている。
「帰る家があって」
「待ってる人がいて」
「死なない未来がある」
セリナは窓の外を見る。
「私は、そういう場所から遠いから」
レインの胸が少し痛む。
セリナは、自分を“戦場の人間”だと思っている。
平和な場所へ戻れない人間だと。
「……そんなことないです」
熱で頭がぼんやりしていた。
だからかもしれない。
普段なら言えないことが口から出た。
セリナがこちらを見る。
「セリナさん、ちゃんと優しいです」
「……」
「ご飯も」
「看病も」
「怒る時も」
「全部、人が死なないようにしてる」
レインの声は弱い。
でも真っ直ぐだった。
「だから……」
少しだけ息が詰まる。
「幸せになれない人じゃないです」
沈黙。
雨音だけが部屋に残る。
セリナは何も言わなかった。
ただ、少し困ったみたいな顔をしていた。
「……熱で変なこと言ってる」
小さく呟く。
レインはぼんやり笑った。
「……本当です」
「はいはい」
セリナは軽く流す。
でも耳が少し赤かった。
レインは気づかない。
熱で意識が曖昧だから。
セリナは静かにため息を吐く。
「本当に、あなたは」
言葉が止まる。
何を言おうとしたのか、自分でも分からなかった。
ただ。
この少年は危ない。
弱い。
未熟。
壊れそう。
でも時々、妙に真っ直ぐな言葉を投げてくる。
それが少し怖かった。
「……寝なさい」
セリナが静かに言う。
「無理すると、また暴走する」
「……はい」
レインはゆっくり横になる。
熱はまだある。
身体も重い。
でも、不思議と安心していた。
セリナがいる。
それだけで、少し怖くなくなる。
「……セリナさん」
「何」
「そこ、いてくれますか」
小さな声。
子供みたいだった。
セリナは少しだけ目を細める。
「……いるわよ」
短い返事。
でも、それだけで十分だった。
レインは安心したみたいに目を閉じる。
呼吸が少しずつ落ち着いていく。
セリナは椅子へ座ったまま、その寝顔を見ていた。
細い肩。
弱い身体。
頼りない手。
本当に危なっかしい。
なのに。
どうして放っておけないのか。
セリナはまだ、自分でも答えを知らなかった。




