13:怒鳴る女
昼下がり。
レグナード中央市場は、人で溢れていた。
石畳の広場へ、荷馬車が何台も並んでいる。
東方から運ばれてきた香辛料。
港町直送の魚。
塩漬け肉。
保存用乾燥野菜。
迷宮都市は、食料が命だ。
人が増えれば食が必要になる。
冒険者が増えれば流通も拡大する。
レグナードは今、急速に膨張していた。
深層迷宮から新しい鉱石と魔石が見つかったことで、商会も国家も人を集め始めている。
その流れの中で、レインは完全に場違いだった。
「……」
人が多い。
うるさい。
声が近い。
呼吸が浅くなる。
セリナはそんなレインを横目で見ながら、歩幅を少し緩めた。
「無理そう?」
「……だ、大丈夫です」
「全然大丈夫そうに見えない」
即答だった。
レインは少し縮こまる。
セリナは呆れたようにため息を吐いた。
「端歩くわよ」
自然に人通りの少ない側へ移動する。
その気遣いが、レインにはありがたかった。
「……ありがとうございます」
「うん」
短い返事。
でも冷たくはない。
二人は市場を歩く。
パン屋の前では長蛇の列。
香草焼き肉の屋台から煙が上がる。
大鍋で煮込まれるスープ。
湯気。
香り。
人の熱気。
生きている街の匂いだった。
「最近、人増えましたよね」
レインが小さく言う。
「増えてる」
セリナは頷いた。
「深層資源が見つかると、街が膨らむの」
「商人も」
「職人も」
「冒険者も」
「全部集まる」
レインは周囲を見る。
本当に人が多い。
商会の旗も増えていた。
物流拠点も拡張されている。
「でも、その分死ぬ人も増える」
セリナが静かに言った。
「……」
「金の匂いが強くなると、人は無茶するから」
その時だった。
市場の奥で騒ぎ声が上がる。
「ふざけんな!!」
女の怒鳴り声。
人混みがざわつく。
レインの肩が跳ねる。
「……行くわよ」
セリナが歩き出した。
人垣を抜ける。
その先。
一人の女が怒鳴っていた。
二十代半ばくらい。
赤髪。
短剣。
革鎧。
かなり気が強そうな顔。
「こんな値段でやってられるか!!」
相手は商人だった。
恰幅の良い中年男。
「嫌なら売るなよ」
「今は供給過多なんだよ」
周囲には薬草の束。
どうやら買い取り価格で揉めているらしい。
「危険地帯まで行ったんだぞ!?」
「知るかよ」
「だったら他所で売れ」
赤髪の女が歯を食いしばる。
怒りと疲労が混ざった顔。
レインは少し苦しくなった。
新人冒険者なのだろう。
必死に稼いで、それでも足元を見られている。
セリナは静かに状況を見ていた。
「……最近増えてるのよね」
「え?」
「こういうの」
セリナは小さく息を吐く。
「人が増えると、質も落ちる」
「商人も」
「冒険者も」
その時。
赤髪の女が机を叩いた。
「命懸けで採ってきたんだぞ!!」
「だったら死ねばよかっただろ」
商人が吐き捨てる。
空気が凍った。
レインの顔が強張る。
次の瞬間。
セリナが動いた。
ドンッ。
重い音。
商人の机が片手で押し潰される。
「ひっ……!?」
商人の顔が青ざめた。
セリナは静かに立っている。
怒鳴っていない。
でも空気が違った。
S級冒険者。
戦場の人間。
本気で怒った時の圧が、普通じゃない。
「今の、もう一回言ってみなさい」
低い声。
商人の喉が引きつる。
「い、いや……その……」
「命懸けで働いた人間に言う言葉じゃないでしょう」
静かだった。
だから余計に怖い。
周囲の冒険者たちも完全に黙っている。
レインは少し驚いていた。
セリナは理不尽を嫌う。
でも感情で暴れない。
ちゃんと相手を見て怒る。
「価格を下げるのは商売」
セリナが続ける。
「でも、人を踏みにじるのは別」
商人が震えながら頷く。
「す、すみません……」
「その子の薬草、適正価格で買いなさい」
「は、はい!」
完全に怯えていた。
赤髪の女は呆然としている。
セリナは視線を向けた。
「あなたも」
「……え?」
「無茶な採取場所行ったでしょう」
女が顔を逸らす。
「……仕方ないだろ」
「稼がないと食えない」
セリナは少しだけ眉を寄せた。
「死んだら終わりよ」
「でも……!」
女が叫び返す。
「弱い奴は無茶しないと上がれないんだよ!」
その声。
レインの胸に刺さる。
自分も似たようなものだから。
弱い。
金がない。
経験もない。
だから無茶するしかない。
女の目には悔しさが滲んでいた。
セリナはしばらく黙る。
やがて、小さく息を吐いた。
「……名前は?」
「ミラ」
「ミラ」
セリナは真っ直ぐ見る。
「死ぬ気で頑張るのはいい」
「でも、生き残る努力をしなさい」
ミラが黙る。
「強くなる人間は、“無茶”と“自殺”を分けてる」
その言葉には重みがあった。
実際に、生き残ってきた人間の声だった。
ミラは唇を噛む。
「……はい」
小さく頷く。
セリナはそれ以上責めなかった。
「飯は?」
「……まだ」
「食べなさい」
セリナは銀貨を一枚投げた。
「えっ!?」
「栄養不足で迷宮潜ると本当に死ぬ」
ミラは慌てる。
「い、いいよそんな……!」
「返したかったら生き残りなさい」
それだけ言う。
ミラは何も言えなくなった。
レインは隣で見ていた。
セリナは怒る。
でも、それは相手を生かすための怒りだった。
人を見捨てたくないから怒る。
だから怖い。
でも優しい。
「……行くわよ」
セリナが歩き出す。
レインも後を追う。
しばらく沈黙。
市場の喧騒だけが響いていた。
「……怖かったです」
レインが小さく言う。
「私が?」
「ちょっと」
セリナが吹き出す。
「失礼ね」
「でも」
レインは少し考える。
「なんか、安心しました」
セリナが少し目を細める。
「どうして」
「ちゃんと怒ってくれるから」
セリナは少し黙った。
やがて。
「……怒るのって疲れるのよ」
苦笑する。
「放っておいた方が楽」
「でも、それだと死ぬ子が出る」
レインは静かに聞いていた。
「昔はもっと怒鳴ってた」
「え」
「若かったから」
少し笑う。
「今より短気だったわ」
レインは想像してみる。
たぶん怖い。
かなり怖い。
「何その顔」
「……いえ」
「今、絶対怖いと思ったでしょう」
「……ちょっとだけ」
セリナが肩を揺らして笑う。
市場の喧騒。
人の流れ。
焼きたてパンの匂い。
その中を二人で歩く。
特別な恋愛イベントなんて無い。
ただ、一緒に生きている時間だけが積み重なっていく。
でもレインは少しずつ思い始めていた。
この人の隣にいたい、と。




