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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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117/119

117:壊れる精神

 夜。


 雨音が窓を叩いていた。


 宿屋の二階。


 小さな部屋。


 木造の壁。


 古い寝台。


 薄暗いランプ。


 レインはベッドの上で目を開けていた。


 眠れない。


 身体は限界まで疲れている。


 それなのに。


 頭だけが止まらなかった。


 視界の奥で、黒い魔力が揺れている。


 死霊。


 断末魔。


 腐臭。


 知らない記憶。


 知らない感情。


 知らない人生。


 強奪。


 完成したスキルは、以前とは別物になっていた。


 吸うだけではない。


 奪う。


 記憶も。


 感覚も。


 断片的に流れ込む。


 レインは頭を押さえる。


「……っ」


 気持ち悪い。


 吐き気。


 呼吸が浅い。


 脳の中に他人がいる感覚。


 それが消えない。


 ネクロマンサーの残滓。


 死霊術式。


 死体を操作した感触。


 骨。


 肉。


 魔力。


 全部残っている。


「うっ……!」


 レインはベッドから転がり落ちる。


 床に膝をつく。


 そのまま吐いた。


 胃液。


 苦い味。


 涙が滲む。


 怖い。


 自分が。


 怖い。


 手を見る。


 黒い紋様。


 まだ消えない。


 それはまるで。


 人ではない何かの証みたいだった。


「……気持ち悪い」


 自分の声が震える。


 その瞬間。


 視界が切り替わる。


 知らない景色。


 暗い地下。


 死体。


 笑う男。


『死は資源だ』


 ネクロマンサーの記憶。


 流れ込む。


 大量に。


「やめろ……!」


 レインは頭を抱える。


 知らない感情が入り込む。


 死体を見ても何も感じない感覚。


 人を道具として見る視線。


 それが一瞬だけ理解できてしまった。


 理解できてしまったことが。


 何より怖かった。


「っ……!」


 レインは自分の腕を爪で引っ掻く。


 血。


 痛み。


 それで現実へ戻ろうとする。


 でも。


 止まらない。


 頭の中で誰かが囁く。


『もっと奪えばいい』


『強くなれる』


『全部使えばいい』


「違う……!」


 レインは震える。


「違う……!」


 怖い。


 壊れそうだった。


 その時。


 扉がノックされた。


「レイン」


 セレナの声。


 レインは息を止める。


「……寝てます」


「嘘」


 静かな声。


「開けるわよ」


 扉が開く。


 セレナが入ってきた。


 長い銀髪。


 薄い寝間着の上に外套を羽織っている。


 酒は飲んでいないらしい。


 真剣な顔だった。


 彼女は床の血を見る。


 吐瀉物を見る。


 レインを見る。


 そして。


 何も言わず近づいた。


「……大丈夫」


 レインは反射的に言う。


「平気です」


「平気な顔じゃない」


 セレナはしゃがみ込む。


 レインは視線を逸らした。


「来ないでください」


「どうして」


「気持ち悪いから」


 セレナは少しだけ目を細める。


「誰が?」


「……僕が」


 沈黙。


 雨音だけが響く。


 レインは絞り出すように言う。


「頭の中に」


「他人がいるんです」


「死体を操った感覚とか」


「人を道具として見る感覚とか」


「全部入ってくる」


 彼は震えていた。


「怖いんです」


「いつか」


「僕もそうなるんじゃないかって」


 セレナは静かに聞いていた。


 否定しない。


 軽く扱わない。


 だからレインは続けてしまう。


「今日」


「一瞬だけ」


「理解できたんです」


「死体を使う感覚」


「効率とか」


「損失とか」


「そういう風に見えた」


 彼は唇を噛む。


「最低です」


「僕」


 セレナはそこで初めて口を開いた。


「違う」


 短い言葉。


 でも強かった。


「理解することと」


「染まることは別」


 レインは顔を上げる。


 セレナは真っ直ぐ彼を見ていた。


「戦場にいるとね」


「人を殺す理由を理解しないと生き残れない」


「敵の思考も」


「狂った奴の理屈も」


「全部」


「理解はする」


 彼女は静かに言う。


「でも」


「理解した上で拒絶できるなら」


「まだ壊れてない」


 レインの目が揺れる。


「……でも」


「怖い?」


「……はい」


「なら大丈夫」


 セレナは断言した。


「本当に壊れた人間は」


「自分を怖がらない」


 雨音。


 静かな夜。


 レインの呼吸が少しだけ戻る。


 セレナは立ち上がる。


「待ってて」


 数分後。


 彼女は戻ってきた。


 木の盆。


 湯気。


 甘い匂い。


「……スープ?」


「蜂蜜入りミルク」


「胃に優しい」


 レインは少し驚く。


 セレナはそっぽを向いた。


「厨房借りた」


「甘いの好きなんですか」


「うるさい」


 少しだけ空気が緩む。


 レインは温かいカップを受け取る。


 熱。


 安心する温度。


 少しずつ飲む。


 身体の震えが落ち着いていく。


 セレナは窓際へ寄りかかる。


「私も昔」


「壊れかけたことある」


 レインは顔を上げる。


 セレナは雨を見る。


「仲間が全滅した時」


「自分だけ生き残った」


「その後」


「何人死んでも何も感じなくなった」


 静かな声だった。


「泣けなくなった」


「笑えなくなった」


「食事の味も消えた」


 レインは黙って聞いていた。


「その頃の私は強かった」


「多分、今より」


「でも」


「人間じゃなかった」


 セレナは小さく笑う。


 悲しい笑み。


「だから分かる」


「壊れる感覚」


「壊れかけてる顔」


 レインは目を伏せる。


「……僕は」


「どうしたらいいんでしょう」


 セレナは少し考える。


 そして。


「一人にならないこと」


 そう言った。


「強い力持つと」


「人は勝手に孤独になる」


「誰も理解できないと思うから」


「でも」


「本当に一人になると壊れる」


 彼女はレインを見る。


「だから」


「ちゃんと頼りなさい」


「怖いって言いなさい」


「吐くなら吐きなさい」


「震えるなら震えなさい」


「その代わり」


「最後だけ逃げなければいい」


 レインは黙ったままカップを握る。


 温かい。


 少しだけ。


 泣きそうになる。


「……セレナさん」


「なに」


「どうして」


「そんなに面倒見てくれるんですか」


 セレナは少しだけ困った顔をした。


「年上だから」


「それだけですか」


「……それだけじゃない」


 彼女は窓から視線を外す。


「あなた」


「ちゃんと苦しむから」


「力持った人間って」


「大抵そこで狂う」


「でもあなたは」


「怖がってる」


「だからまだ信じられる」


 レインは何も言えなかった。


 雨音。


 静かな夜。


 宿屋の小さな部屋。


 豪華でもない。


 特別でもない。


 でも。


 壊れそうだった心が。


 少しだけ繋がっていた。


 セレナはレインの隣へ座る。


 距離が近い。


 でも嫌じゃない。


「今日は寝なさい」


「……眠れないです」


「じゃあ起きてればいい」


 彼女は自然に言う。


「私もいるから」


 レインは目を開く。


 セレナは壁に寄りかかったまま目を閉じた。


「怖いなら」


「朝まで付き合う」


 その言葉で。


 レインの張り詰めていた何かが切れた。


「……っ」


 涙が落ちる。


 声は出さない。


 でも。


 止まらない。


 セレナは見ないふりをした。


 それがありがたかった。


 外では雨が降り続いている。


 壊れた街を洗うように。


 静かに。


 長く。


 夜が続いていた。







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