110:人類反撃開始
世界は、ようやく立ち止まることをやめた。
崩壊都市ヴァルゼア。
かつて瓦礫と絶望に沈みかけたその都市は、今や人類側最大の防衛拠点となっていた。
西方国家から届く穀物。
北方から運ばれる鉱石。
南方の海洋国家から送られる塩と干物。
商業連合の輸送隊。
冒険者ギルドの護衛部隊。
各国の魔導士。
全部が繋がり始めている。
人類はまだ終わっていなかった。
朝。
ヴァルゼア中央食堂。
大鍋から湯気が立ち上る。
野菜と豆を煮込んだスープ。
焼きたての黒パン。
卵。
少しだけ残っていた燻製肉。
長い戦争の中では、それだけで十分なご馳走だった。
レインは配膳を手伝っていた。
慣れた動きだった。
避難民の顔も、少しずつ変わってきている。
恐怖だけではない。
疲労の奥に、小さな希望が戻り始めていた。
「お兄ちゃん!」
子供が笑う。
「今日は肉ある!」
「……少しだけね」
レインは小さく笑った。
その横で。
セレナが腕を組んで立っている。
長身。
銀髪。
黒いシャツ姿。
そして片手には、なぜか焼き菓子。
「また食べてる……」
レインが呟く。
セレナは平然としていた。
「朝は甘い物必要」
「そうなんですか」
「必要」
断言だった。
レインは少し笑う。
最近、彼は自然に笑うようになっていた。
セレナもそれに気づいている。
彼の変化を見るたび、胸の奥が少しだけ温かくなる。
怖がってばかりだった青年が。
今では誰かを支えている。
「レイン」
「はい?」
「顔色悪い」
「……寝不足です」
「何時間寝たの」
「三時間くらい」
「少ない」
セレナは呆れた顔をした。
「あとで寝なさい」
「でも仕事が」
「倒れたら意味ない」
レインは少し黙る。
そのあと、小さく頷いた。
「……はい」
素直だった。
そこがまた、彼女には可愛く見える。
食堂の外。
広場では兵士たちが訓練をしていた。
魔導士隊。
騎士団。
冒険者。
今まで互いに反発していた組織が、ようやく連携し始めている。
その中心にいるのがセレナだった。
強さだけではない。
実戦経験。
判断力。
現実を見る力。
皆が自然と彼女に従う。
「セレナ殿!」
王国軍の将校が駆け寄る。
「東部防衛線から通信です!」
「大型魔物群を押し返したと!」
周囲がざわめく。
押し返した。
その言葉は大きかった。
今まで人類は逃げ続けていた。
守るだけだった。
それが変わり始めている。
セレナは静かに息を吐く。
「……ようやく」
「はい?」
「戦える形になってきた」
その時だった。
都市中央塔の鐘が鳴る。
緊急通信。
全員の空気が変わる。
魔導通信士が叫ぶ。
「北方戦線より報告!」
「魔物群後退開始!!」
「人類側、前線奪還成功!!」
歓声。
広場全体が揺れる。
「押し返した!!」
「勝てる!!」
「まだ終わってねぇ!!」
泣き出す者もいた。
長かった。
本当に長かった。
逃げ続けるだけの日々。
死体ばかり増えていく世界。
それが、初めて変わった。
レインはその光景を見ていた。
胸の奥が熱い。
嬉しい。
でも同時に怖かった。
反撃。
それはつまり。
もっと大きな戦いが始まるということだから。
「……怖い顔してる」
セレナが隣へ来る。
「すみません」
「謝らなくていい」
彼女は壁へ背を預けた。
「怖い?」
「……はい」
「何が?」
レインは少し考える。
「……これからです」
「勝てるか分からない」
「誰か死ぬかもしれない」
「また守れないかもしれない」
声が震える。
昔なら、そのまま潰れていた。
でも今は違う。
ちゃんと口に出来る。
セレナは静かに聞いていた。
「うん」
それだけ言う。
否定しない。
「怖いのは普通」
「戦争なんだから」
彼女は空を見る。
「私も怖い」
「……セレナさんが?」
「毎回」
レインは少し驚く。
セレナは笑った。
「無敵じゃないわよ」
「化け物扱いされるけど」
「ちゃんと人間」
その横顔は綺麗だった。
強い。
でも。
ちゃんと傷ついてきた人の顔だった。
「だから」
セレナが続ける。
「怖いまま進む」
「それしかない」
レインは小さく頷く。
「……はい」
その時。
広場奥から怒号。
「敵襲!!」
「北西門!!」
「空間裂け目発生!!」
空気が一瞬で凍る。
セレナの顔が変わる。
「レイン」
「行きます!」
二人は走った。
北西防衛区画。
空間が裂けていた。
黒い裂け目。
そこから大量の魔物が溢れている。
さらに。
奥に見える巨大な影。
「……新種」
レインの鑑定が走る。
【魔導巨兵ゼル=グラン】
・超大型
・魔力砲撃
・広域殲滅
・装甲特化
・空間侵食
レインの顔色が変わる。
「まずい……」
「都市砲撃型です」
次の瞬間。
巨兵の胸部が光る。
「全員伏せろ!!」
セレナが叫ぶ。
超高密度魔力砲。
発射。
轟音。
都市外壁が吹き飛ぶ。
兵士たちが悲鳴を上げる。
「っ……!」
レインの足が止まりそうになる。
怖い。
巨大すぎる。
勝てる気がしない。
でも。
隣を見る。
セレナがいる。
彼女は大剣を構えていた。
炎が噴き上がる。
「レイン」
「はい!」
「反撃始めるわよ」
その言葉に。
不思議と身体が動いた。
「空間固定展開!!」
巨大術式。
都市上空へ広がる光陣。
裂け目の拡大を止める。
兵士たちが驚愕する。
「空間が……閉じていく……!」
セレナが笑う。
「いいじゃない」
「英雄っぽい」
「む、無理です……」
「今さら」
彼女は地面を蹴る。
爆炎。
一瞬で巨兵へ接近。
だが敵も速い。
巨大腕が振り下ろされる。
セレナが回避。
地面崩壊。
レインは必死に解析する。
構造。
魔力流れ。
装甲接続。
弱点。
見える。
今なら。
「右胸部!!」
「装甲薄いです!!」
「了解!!」
セレナが笑う。
信頼。
迷いがない。
レインは震えながら術式を重ねる。
「重力偏向!!」
巨兵の動きがズレる。
そこへ。
炎の大剣。
「断炎」
一閃。
巨兵の右胸部が爆散した。
内部魔力炉が露出。
暴走。
「レイン!!」
「はい!!」
レインは両手を突き出す。
「空間圧縮!!」
空間そのものが捻じ曲がる。
魔力炉崩壊。
超巨大爆発。
轟音が都市全域を揺らした。
沈黙。
そして。
歓声。
「勝った!!」
「押し返したぞ!!」
「人類が……!」
誰かが泣いていた。
誰かが笑っていた。
レインはその場に膝をつく。
呼吸が苦しい。
頭が痛い。
でも。
前より少しだけ。
胸を張れていた。
セレナが隣へ座る。
「お疲れ様」
「……怖かったです」
「知ってる」
彼女は自然に肩を貸した。
「でも」
静かな声。
「もう、逃げる顔してない」
レインは少しだけ目を見開く。
そして。
本当に少しだけ。
自信を持ったように笑った。




