105:転移能力者撃破
雨は止んでいた。
崩壊都市ヴァルゼアの朝は静かだったが、その静けさは安堵ではない。
昨夜の戦闘で、宿屋《白鹿亭》の二階は半壊していた。
壁は裂け、床には焦げ跡が残る。
転移能力者。
空間潜行。
座標多重化。
普通の戦士では触れることすら難しい相手。
その暗殺者を撃退した事実は、既に街中へ広がっていた。
だが。
終わっていない。
レインはそう感じていた。
「……まだいる」
宿屋の裏庭。
朝の冷たい空気の中で、レインは呟いた。
セレナが壁にもたれて腕を組む。
肩には包帯。
昨夜の傷は浅くはなかった。
それでも彼女は平然としている。
「根拠は?」
「空間の揺れです」
レインは目を閉じる。
「昨夜の奴……本隊じゃない」
セレナが小さく息を吐いた。
「やっぱりそう思う?」
「はい」
鑑定で見えた。
あれは端末だ。
本体は別にいる。
もっと遠く。
もっと深い場所に。
「つまり、まだ狩られてる」
「……はい」
崩壊都市ではここ数ヶ月、冒険者の失踪が続いていた。
死体すら出ない。
突然消える。
転移。
空間誘拐。
そして。
魔力反応の消失。
「気持ち悪いですね」
レインが言う。
「街ごと、見えない檻に入ってるみたいです」
セレナは少し笑った。
「そういう感覚、大事よ」
レインは視線を落とす。
昔なら、自分の感覚なんて信用できなかった。
今も自信はない。
それでも。
セレナだけは、否定しない。
「今日、潜るわよ」
「……ダンジョンに?」
「本命がいる」
セレナの目が鋭い。
「空間系能力者は、“座標の安定した場所”を作る必要がある」
「つまり?」
「巣がある」
レインの背筋が冷える。
未知。
危険。
死。
怖い。
でも。
もう逃げたくはなかった。
「行きます」
セレナが少し目を細めた。
「本当に変わったわね」
「まだ震えてますけど」
「知ってる」
セレナは歩き出す。
「それでも進くから強いのよ」
ダンジョン第十八階層。
そこは普通の地下空間ではなかった。
壁が歪んでいる。
距離感が狂う。
遠近が壊れている。
歩いているだけで吐き気がした。
「……空間侵食」
レインが呟く。
「ここまで広範囲に……?」
「かなり強いわね」
セレナも警戒していた。
火炎灯が揺れる。
道が伸び縮みする。
空間そのものが生きているみたいだった。
「止まって」
レインが手を上げる。
「前、変です」
セレナが足を止める。
直後。
空間が裂けた。
無数の黒刃。
「っ!!」
セレナが大剣を振る。
轟音。
炎。
衝撃波。
刃を吹き飛ばす。
しかし。
次の瞬間。
背後から気配。
「セレナさん!!」
転移。
黒衣。
仮面。
昨夜と同じ。
だが。
数が違う。
十。
二十。
三十。
「分身体……!」
レインの顔が青ざめる。
全部が転移している。
空間を埋め尽くす殺意。
セレナが笑った。
「最高に面倒ね」
炎が爆ぜる。
大剣が振るわれるたび、空間が震えた。
暗殺者が消える。
現れる。
斬る。
逃げる。
普通の戦士なら即死。
それをセレナは真正面から捌いていた。
圧倒的。
S級。
レインは息を呑む。
強い。
本当に強い。
でも。
そのセレナですら、押し切れない。
「レイン!」
「はい!」
「本体探して!」
レインは鑑定を広げる。
空間が邪魔をする。
ノイズ。
多重座標。
偽装。
頭痛。
吐き気。
でも。
読む。
読む。
読む。
恐怖の中で。
必死に。
「……いた」
違和感。
一つだけ。
動かない座標。
「右奥、壁の向こう!!」
セレナが即座に動く。
床を砕きながら突進。
炎を纏った一撃。
壁が吹き飛ぶ。
その先。
巨大な魔法陣。
中央に座る黒衣の男。
本体。
男が初めて目を見開く。
「馬鹿な」
転移。
消える。
しかし。
「空間固定!!」
レインが魔力を叩き込む。
空間が軋む。
固定。
転移阻害。
男の動きが止まった。
「貴様……!」
男の顔に初めて恐怖が浮かぶ。
レインは震えていた。
血も吐いている。
未完成術式。
脳が壊れそうだった。
でも。
逃がさない。
「セレナさん!!」
「任せなさい!!」
セレナが跳ぶ。
爆炎。
超大型大剣。
男が空間障壁を展開。
しかし。
セレナの火力は、その上から叩き潰した。
轟音。
障壁が砕ける。
男が絶叫する。
「ありえない!!」
「あるのよ」
セレナが冷たく言う。
「人を狩り続けた報いが」
男が狂ったように魔力を解放する。
空間崩壊。
周囲が歪む。
床が裂ける。
転移暴走。
巻き込まれれば終わり。
レインの本能が叫ぶ。
逃げろ。
逃げろ。
逃げろ。
でも。
レインは前へ出た。
「闇縛!!」
黒い鎖が男へ絡みつく。
「風圧!!」
動きを止める。
「氷牢!!」
凍結。
男が悲鳴を上げる。
「やめろ!! 私は選ばれた存在だ!!」
レインは震える声で返す。
「……だから何ですか」
男が目を見開く。
「強いから」
「特別だから」
「人を消していい理由にはならない」
それは。
ずっと弱かった男の言葉だった。
セレナが少し笑う。
「いい顔するじゃない」
そして。
最後の一撃。
炎が走る。
超大型大剣が振り下ろされる。
転移能力者は完全に両断された。
空間が静まる。
歪みが消える。
重かった空気が晴れていく。
終わった。
レインはその場へ崩れ落ちた。
限界だった。
呼吸が荒い。
手が震える。
セレナが近づいてくる。
「お疲れ様」
レインは笑おうとして失敗した。
「……怖かったです」
「知ってる」
「吐きそうです」
「いつもね」
セレナがしゃがみ込む。
そして。
レインの頭を軽く撫でた。
「でも、逃げなかった」
その一言が。
胸に刺さる。
レインは俯く。
「セレナさん」
「なに?」
「……守れましたか」
セレナは少しだけ目を細めた。
「ええ」
優しく。
静かに。
「今回はちゃんと、守れたわ」




