第2章-3 悪餓鬼
ふと己に近づく気配を感じて、伊吹は浅い眠りから目を覚ました。
そのまま相手の顔も見ず、掴みかかってきた手を逆に捕らえて床に押さえつける。その軽い手ごたえに、やはりかと伊吹は独りごちた。
「いでっ」
村長宅で歓待を受け、焔のいる空き家に渋々戻り眠りについた夜。伊吹の寝込みを襲った暴漢の正体は、あどけない悲鳴を上げる子供だった。
「まさか夜中に来るとはな。村長が手を焼くわけだ」
わずかに差し込む月明りに照らされる影は、幾分か小さい。昼間、他と並ぶと大きく見えた子供が、伊吹の腕の下でじたばたと藻掻いていた。
ふ、と視界が明るくなる。奥で寝ていた焔が灯かりを入れたようだ。
「早速来たか。俺のことは避けていたくせに」
焔が押さえつけられた子供の顔を覗き込む。
よく日に焼けた健康的な肌に、黒々とした大きな瞳。どこの村にでもいそうな見た目だが、狐継の勘はそうでないと告げている。
「だって見るからに強そうなんだもん。こっちのもやしみてえな奴ならなんとかなると思ったのに。なあ、寝てただろ。なんで気づいたんだよ」
藻掻くのをやめた子供が、興味深々といった様子で伊吹を見上げてくるが、そのあまりにも失礼な言葉に伊吹はくわっと目を見開いた。
「色々失礼な奴だな! もやしとはなんだ。それに、私はこの男より弱くなどない。見た目で見くびるな」
「えー。白いし細いしもやしみてえじゃん。なあなあ、なんで気づいたのか教えてくれよ」
隣で焔がくつくつと笑っているのは無視したが、悪びれもしれずきらきらとした瞳で見つめられて、伊吹は耐えられず脱力した。
「足音も消せないくせに、何を一丁前に」
面倒になって、押さえつけていた腕を離してやる。子供は、ぴょんとばねみたいに跳ね上がると、二人の目の前に大人しく座った。
「えー。俺、色々やったけどばれたことねえよ? この間なんか村長んとこの屋根裏に忍び込んで、上から驚かせてやったらさ、村長ったら驚きすぎて腰抜かしちゃって」
「聞いたとおりの悪餓鬼だな。それで、貴様は何者だ」
「え? 千里だけど」
きょとんとした千里に、伊吹は頭を振る。
「名を訊いたのではない。ここで何をしているのかを聞いている」
「何って言われても。畑の野菜を盗んでいく奴っているじゃん。今は採れるもの何もないけど。よそ者が二人も来たから、そういう奴らならちょっと相手してやろうかなって思っただけ」
「そのわりには殺意がなかった」
伊吹がこの子供の拘束を解いたのはそのためだ。野狐が襲いに来たのなら、確実に息の根を止めに来る。
だが、千里は首を傾げる。
「殺意?」
「殺す気で来たわけじゃなさそうだと言っている」
「なんだよそれ。さすがの俺でも、そんなこと考えねえよ。てか、怖ええこと言うじゃん。都から来たんだろ? 都の人って皆そんなにおっかないのか?」
本気で不思議がる様子に、伊吹は改めてこの子供を観察した。
村に来て感じた妖狐の気配のうち、二つめの正体は明らかにこの子供だ。昼間の時点で察しはついていた。それくらい、この子供は妖狐の気配を隠そうともしていない。
だが、逆に人として会話が成立しすぎている。
どれほど上手く擬態しようとも、妖狐相手ならどことなく違和感を覚えるものだ。
何か知っていることはないかと思い、ちらりと焔を見たが、何を考えているかわからない腹の立つにやけ面が返ってくるだけだった。こやつの方がよっぽど会話にならない。
どうしたものかと思った時、外からバタバタと焦った足音が近づいて来て、三人は揃って開け放たれたままの戸口に視線を向けた。
「夜分に申し訳ありやせん。こちらに息子がお邪魔してねえでしょうか」
焦って走ってきたのだろう、寝乱れた姿のままの女性が、息を乱してそこに立っていた。
「あ、かあちゃん」
「千里! あんた、なにやっとうね」
千里に母と呼ばれた女性は、おずおずと家の中に入ってきたが、千里の頭に手をやると有無を言わさず床に伏せさせた。
「この度は息子がご迷惑をおかけしもうて、誠に申し訳ありやせん」
「構わん。あなたの子か」
大人相手なのでさすがに貴族らしい振る舞いを取り戻した伊吹に、顔を上げた女はしっかりと頷く。
「はい。あの、息子が何か失礼なことをしやせんでしたか。この子、村でも色んな人に迷惑をかけゆうものですから」
「いや……」
「こいつの寝込みを襲ったが返り討ちにされていたな」
「おい!」
折角取り繕っていたのに、余計なことを言うなと焔を睨めば、肩を竦められる。
反対に、女は蒼白になって再び床に額付けた。
「申し訳ありやせん。罰は私めが受けますので、この子については、どうかご容赦を。どうか。どうか……」
「かあちゃんは関係ねえだろ」
「あんたは黙って!」
悲鳴のような女の声を聞きながら、やんちゃな子を持った母というのは大変だと同情する。
「安心しろ。取り立てて騒ぐつもりはない」
伊吹の言葉を聞いた女は思わずといった素振りで顔を上げてから、再び床に額を擦り付けるようにひれ伏した。隣では不服そうな様子を隠し切れないながらも、千里も母に倣って頭を下げている。
二人の頭を眺めながら、今度こそあの村長が真っ青になりそうだと取り留めもなく思ったところで、焔が口を開いた。
「そいつ、お前の実の子か」
「へ、へい」
女が恐る恐る顔を上げて頷く。
「私の腹を痛めて産んだ実の子ですだ」
はっとして伊吹が焔を見る。焔はそれだけ聞くと面倒そうに口を噤んで、顎を使って見せた。その態度に片頬をひくつかせながらも、伊吹は女に向き直る。
そう、野狐は人の腹からは産まれない。
「父親は」
「この子が幼ねえ時に死んでおります」
「そうか。失礼だが、どこかであなたの子が取り違えられた可能性は?」
「いいえ。私がこの子を見間違えるはずありやせん」
強い口調で言い切った女だったが、なにやらしばし逡巡する様子を見せた。
「どうした?」
「いえ、あの……」
女は伊吹と焔の顔を交互に見比べている。その後に己の息子を見下ろすと、一度ぎゅっと目を瞑ってから、居住まいを正して再び口を開いた。




