第2章-1 鬱金焔
「なぜ貴様がここにいる!」
都を出て二日。木和田村に到着し、村人から空き家があるからそちらに寝泊まりしてもらえればと案内されたその家にいた男の顔を確認して、伊吹は思わず叫んでいた。
鬱金焔。
その体格は線の細い伊吹と比べるまでもなく逞しく、しかしだらしなく筵の上に寝そべる様は、狐継といえどもどちらかというと大型の猫を連想させる。
辛うじて烏帽子は頭に乗っているものの、濃紅の狩衣は皺だらけで、腰に佩いてきたであろう刀もその辺に打ち捨てられている。
とてもじゃないが貴族と呼べた有様ではない。
五代目当主鬱金燦の息子であり、お役目からの戻りが遅いと噂されていたその本人が、なぜか伊吹の派遣された村に先に滞在していた。
「よう、伊吹」
くわ、と欠伸をしながら返されて、伊吹は青筋を立てる。
「気安く呼ぶな。俺はお前より年上だ」
「二つだけだろう」
「それでも年上を敬うのが礼儀だ。大体なんだ、貴様のだらけ切った態度は。それでも誇り高い継家の端くれか」
「あ、あのう……」
案内をしてくれた村の男が控えめに口を挟んできたのに、伊吹ははっと状況を思い出した。
「すまない。見苦しいところを見せた」
「いや、すんません。都から来られたっちゅうから、てっきりお連れさんかと思ったんだが、違ったですか」
「いや、こやつがここにいるのは予想外だったが、顔見知りだ。問題ない」
「はあ」
「荷物を置いたらこちらから村長のところに伺おう。出迎えは不要だと、そう伝えておいてくれるか」
「へい。わかりやした」
案内人の男が離れたのを確認して、伊吹は再度焔に向き直った。
「で、どうしてここにいる」
伊吹と男のやり取りを寝そべったまま聞いていた焔は、立て肘をついて伊吹を見上げる。
「近くを通りかかったら妖狐の気配がしたからな」
「前のお役目はどうした」
「終わらせてある」
端的すぎる回答に、伊吹は苛立ちを抑えて詰問する。
「貴様が、故意に都への戻りを遅らせているとの噂があるが」
「野狐を倒せればそれでいい。噂など知らん」
取り付く島もない焔に、伊吹はこめかみを揉む。
「貴様の行いで狐継全体の品位が疑われる。さっさと都へ戻れ」
「嫌だね」
「なぜだ」
「野狐がいるのがわかっているのに、すごすご帰れるか」
その言葉に、伊吹はひとつの可能性に思い至る。
「まさか、手柄を横取りする気か」
「手柄? んなもんに興味はねえよ。そこに野狐がいるならこの手で狩る。それだけだ」
焔は心外だというように鼻で笑った。
この男、全く何を考えているのかわからない。しかし、ここで押し問答をしても仕方がなく、伊吹はこの男を都へ追い立てることを早々に諦めた。
代わりに、戻ったときに己まで余計な詮索をされることがないように、お役目に巻き込む形で仕事をさせることにする。
「今から村長のところに話を聞きに行く。貴様も来い」
「断る」
「は?」
これも断られるとは予想しておらず思わず剣呑な声が出たが、焔はどこ吹く風だ。
「今更聞く話もねえからな」
「今更と言ったか? いつからこの村にいる」
「さあ。五日は過ぎたかな」
「その間、何をしていた」
「何も」
五日間、何もせずにただ滞在していたとは怠惰の極みである。伊吹は深々とため息を吐いた。
「よくわかった。やる気のない貴様は無視して、俺は俺のお役目を全うする」
そのまま外へ出ようとしたが、焔の言葉に引き留められる。
「待つしかねえよ」
「……どういう意味だ」
振り向いた伊吹を、寝そべったままにも関わらず狩る者の瞳をした焔の視線が捕らえる。
「お前も気づいているだろう」
「妖狐の気配のことなら当然だ」
伊吹がこの村に到着して、感じた妖狐の気配は三つ。
ひとつは、この目の前の怠惰な男のもの。
あと二つ、この村には人ならざる気配が存在している。それが人間を脅かすものなら、狐継が狩るべき野狐ということだ。
「ひとつは簡単に見つかる。あとひとつについては、待つしかねえな」
「悠長なことだ。貴様が手を抜いているだけではないのか」
焔はそれには答えず、再び大きな欠伸をすると目を閉じてしまった。話は終わったといわんばかりの態度である。
鬱金焔とはこういう男なのだ。
金狐の血を引き、代々炎を扱う力を継いできた鬱金家は、なぜかその性格に難のある者が多い。
この男も、父である鬱金燦ほど口数は少なくないが、自分の言いたいことしか言わない。基本的に説明が足りていないまま一方的に会話を終了させるため、結局聞く方にその意図が伝わらない。選ぶ言葉も極端であり、周囲に誤解を招くがそれを解こうとするそぶりも見せない。
また、彼には元服前の子供のうちから、とある噂があった。
曰く、『己の母親を焼き殺した』と。
彼の母親は、彼が産まれてすぐに亡くなっている。その死因が、赤ん坊の焔が妖力を暴走させて呼び起こした炎による焼死だというのは、継監台に勤める者なら一度は耳にしていることであった。
伊吹は鬱金家が嫌いだが、十五で元服を済ませ出仕してきた焔に最初から辛くあたったわけではない。
父親があの男だとしても、過去に悲惨な事故を引き起こしていたとしても、まだ無垢な少年かもしれない。それなら先輩として導いてやればよい。そう思っていたのに、その良心はすぐさま粉々に打ち砕かれた。
彼は初日からふてぶてしかった。伊吹のこともはじめから呼び捨てだった。先達を敬う心を欠片も持ち合わせていないことは、少し見ているだけで十分察せられる有様だったのだ。
もちろん、彼のせいで狐継全体の誇りが穢されることがあってはならないという焦燥感から、その態度を矯正しようと試みた。
だが、伊吹が諭しても焔はどこ吹く風。こちらを避けるようなことはしないものの、伊吹の言うことなど聞きやしない。それどころか、苛立ちから声を荒げる伊吹を面白がる始末。
彼を前にすると銀灰家当主に相応しい態度を保てない己に気が付き、伊吹は彼と距離を置くようになった。
元々、狐継は単独行動だ。顔を合わせる頻度もそう多くないため、それでよかったはずなのだが、まさかこんなところで遭遇するとは。
その相変わらず傍若無人な態度にどうしようもなく苛立ちを覚えつつも、伊吹は彼に背を向けて今度こそ外に出た。




