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第1章-2 継監台

 里を囲む山を抜けるまで、徒歩で一刻。昨晩世話になった麓の寺に預けたままにしていた馬を迎えに行き、西へおよそ三刻ほど駆けて都に辿り着く。


 一歩都に足を踏み入れると、そこでは連日のように市が開かれている。


 入り口近くでは、都の外から仕入れた魚や干物、調味料などが茣蓙(ござ)の上に並べられ、少し足を進めると器や反物など日用品が、さらに奥では職人の手による工芸品の類が貴族の目に留まる日を今か今かと待っている。


 市で品物を売る商人たちはそのすぐ近くに住み着いているが、貴族たちの住処はさらにその奥、より宮城に近い場所に位置する。先祖から代々受け継いだ土地と家を、宮仕えで得た俸禄で維持管理するのだ。


 伊吹の官位は従七位の下。銀灰家に限らず、継家の者は皆、従五位の下よりも昇進することがほとんどない。辛うじて貴族とは呼べるが、決して裕福ではない、そんな位だ。


 これには、狐継という仕組みができたころの為政者側の思惑、つまり、得体の知れぬ力をもつ者に権力を与えてはいけないという恐れが影響している。


 紀平の寝起きする銀灰家の土地ももちろん都の中にあるが、伊吹がそこに居つくことはほとんどない。狐継の数は年々減っており、野狐が関わると思しき案件があればどこへでも駆り出されるため、常に都と地方を往復する日々だからだ。


 今日も慣れた様子で都から宮城への道のりを馬に歩かせた伊吹は、宮城の表門ではなく西門へと回った。


 多くの官人が行き来する表門付近と違い、こちらの人どおりはまばらだ。西門をくぐる前に馬を降りて、入ってすぐに位置する馬寮(うまりょう)に預ける。


 かつては帝直属の配下であったこともあり、狐継には今もその特例的な扱いが一部残っている。自分の馬を連れて宮城に入れること、有事に備えて狩衣姿を正装とすることなど。


 また、かつて継家の当主には、帝に直訴する権限が与えられていたというが、こちらは行使されなくなって久しい。


 馬寮からやや南へ、位置的に奥まっているわりには、そこそこの大きさの建物。様々な組織を吸収して、ここ十数年で巨大になりつつある検非違使庁だ。


 伊吹ら狐継が所属する継監台(けいかんだい)という組織も、元は狐継を管理および監視する目的で作られた帝直属の組織だったのが、歴史の中で検非違使に飲み込まれたうちのひとつである。


 束帯を身にまとった官人たちが忙しなく行き来する検非違使庁内部に足を踏み入れた後も、継監台まではいくつかの官舎の脇を通り過ぎる必要がある。


 視界の端に映った二人組の官人が、狩衣姿の伊吹を見つけて何か囁きあっているが、伊吹はまっすぐ目的地だけを見据えて足を進める。


 検非違使庁内部でも最奥に位置する、他に比べて質素な建物こそが継監台の官舎だ。


 それほど広くない部屋に、正面の大きな文机には紙の山。そこに辿り着くまでの通路の両脇に、幾人かの官人が文机に向かって筆を走らせている。


「ああ、伊吹殿。ご苦労様」


 部屋の中ほどの文机から声をかけてきたのは、伊吹の血縁で継監台の書記官である、銀灰紀平だった。


「紀平殿。お疲れ様です」


 継監台には、全国を飛び回る狐継の他にも書記官と呼ばれる文官が所属しており、各地から寄せられる野狐関連と思われる事案の整理や、狐継の作成する報告書の管理などを担っている。


 なお、書記官のほとんどが、継家の生まれだが狐継の素質を得なかった者で、彼らもまた、狐継と同じく他の部署に異動することがない。


「何事もなかったかい?」


 こちらを見上げる紀平は、垂れ気味の眉が印象的な、穏やかな相貌をした男だ。わざわざ筆を置いてこちらに向き直った彼に、伊吹もその傍に腰を下ろした。


「はい。報告書はここに。今回の狐火騒動もまた、ただの篝火の誤認でした」


「そうかい。何事もなかったならよかった。それにしても、相変わらず仕事が早いね。狐継用の文机がここ数日で物置きになってしまっているから、伊吹殿が戻ってくるまでに片付けなければと思っていたのだけれど」


「その必要はありません。すぐにでも次のお役目に出ますので」


 生真面目に答えた伊吹に、紀平は肩を竦める。


「そんなに急がなくても。疲れもあるだろう。ゆっくり休んだらどうだい?」


「いえ。まだ日も高いですし。それに、鬱金家の話、祖母上から聞きました。ここは銀灰家当主として、正しい振る舞いをしないと」


 伊吹の言葉に、紀平はああ、と思い至った顔になる。


「里に寄っていたのかい。……ご隠居様はなんと」


「鬱金家には呆れるばかりだと。私も同感です。あやつの言動のせいで、狐継全体の品位が疑われる」


 強い口調で言い切った伊吹に、紀平が思案顔になる。


「そうだね。今の検非違使別当は狐継嫌いで有名な方だから、目をつけられないか心配なのは確かだけれど……」


 でもね、と紀平は続ける。


「根を詰めすぎるのもよくないと思う。先代はよく、燦(あきら)殿とお役目の合間に二人で息抜きしていたよ」


 鬱金燦。それが、鬱金家現当主の名だった。


 その名を聞いた途端、伊吹は吊り上がり気味の目尻を更に吊り上げる。


「とんでもない。父はあの男に裏切られたんだ」


 鬱金燦と共に出たお役目で、伊吹の父は死んだ。あの男に見殺しにされたのだ。


 暗く吐き捨てる伊吹と対照的に、紀平は懐疑的な表情になる。


「ご隠居様はそう言うが、実際どうなのだろうね。当時の報告書にも詳しいことは書かれていなかったけれど、でもあの方は随分と口下手だから」


「紀平殿は、随分とあの男の肩を持つんですね」


 皮肉な返しをした伊吹にも、紀平は気分を害した様子もなく首を振る。


「お二人が仲良くしてらしたのを、実際に見ていたから信じられないだけだよ。伊吹殿だって、初めの頃は燦殿に稽古をつけてもらっていたじゃないか」


「あれは一方的な暴力です!」


 伊吹は憤慨する。


 狐継は隠れ里で育てられるが、十五になれば元服を済ませて出仕し、お役目を請け負うようになる。


 伊吹も例にもれず元服までは里で寝起きし、学問・教養のみならず、体術や妖力の扱い方を完璧に身に付けた。身に付けていた、つもりだった。


 初めてのお役目は、鬱金燦の同伴だった。祖母は不満を露わにしていたが、さすがに異議を唱えることはできなかったようだ。


 燦に付き添われて現地を調べた結果、結局野狐の仕業ではなく、何事もなくお役目を終えられるはずだった。だが、野狐が出ないとわかった瞬間、燦の態度が変わった。


 初めは、伊吹からしたら全くの不意討ちだった。都への帰路の途中、なんの変哲もない道の只中で、燦に両腕を捩じり上げられ地面に押さえつけられたのだ。


 訳がわからなかった。なぜ急に、味方であるはずの男に危害を加えられるのか。碌に反撃もできずに混乱したまま大人しく押さえつけられる伊吹を見て、燦は嘆息したようだが、伊吹になんの説明もないまま体を解放した。


 その後も、燦による強襲は幾度も繰り返された。おかげで伊吹は夜も安心して眠れず、都に着く頃にはお役目とは関係なくへとへとになっていたのだ。


 そして、極めつけに、都へ戻って来てから告げられた一言。


「辞めてしまえ」


 何を言われたのか一瞬わからなかったが、それが狐継を辞めろという意味だと理解した瞬間、伊吹は目の前が真っ赤になった。


 お前が言うのか。父を見殺しにした、お前が。


 だが、燦の強さは圧倒的で、当時の伊吹がいくら反抗したところで叶うはずもない。


 その後、幾度かは燦の同伴によるお役目が続いた。


 燦による強襲も変わらなかった。燦が単独でお役目に出ているときは、伊吹は継監台に籠って紀平の仕事を手伝っていたが、彼が帰ってくると継監台の官舎の脇に造られた鍛錬場に連れ込まれ、こてんぱんに叩きのめされた。


 燦は徹底的に無言で、ただただ伊吹は彼に嬲られているに等しかった。


 地面に這いつくばって無言で見降ろされる度に、辞めてしまえという彼の言葉が脳内を木霊した。


 だが、彼の繰り出す体術や剣術を覚束ないながらもいなせるようになると、少しだけ自信が付いた。


 お役目にはいつしか一人で赴くようになっていたが、燦による一方的なしごきも一年ほどで唐突に終わりを告げた。


 後で知ったのだが、その頃から燦は己のお役目の供として、まだ元服前の彼の息子を連れ回していたらしい。


 もちろん燦からはなんの説明もなく、彼の都合で振り回された伊吹は、ただただ憎しみの感情を強くしただけだった。


「私は、あの男を許しません。絶対に」


 頑なに言い張る伊吹を、紀平は何か言いたげに見つめたが、結局言葉にするのはやめたようだった。


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