第3章-6 鬱金燦
継監台に到着した三人は、ざわざわと気もそぞろな空気に出迎えられた。
「ああ、伊吹殿。遅かったね。心配していたよ」
紀平は常の穏やかな笑顔を向けてきたが、伊吹の背後を見ておや、と表情を変える。
「珍しい。焔殿と、あと……」
「俺、千里!」
大きな声で名乗った千里に、他の書記官たちの視線が集まる。
しまった、と伊吹は焦った。この子供に、継家、もっと言えば貴族としての振る舞いというものを教えるのを失念していた。
「煩くしてかたじけない。継監尹殿は外出中でしょうか」
「え、ああ。先程出ていかれたところだ。そう待たずとも戻ってこられると思うが」
「承知しました。この子について、折り入って話がありますので」
そう言えば、書記官たちは興味を惹かれながらも、それぞれの仕事に戻っていった。紀平も軽く頷くと、それ以上聞かずに部屋の隅の方に腰を下ろす場所を用意してくれた。
だが、焔はそれに従わず、一人踵を返す。
「あれ。焔、どこ行くの?」
「昼寝」
「おい、報告書は」
「後で書く」
そのまま外へと出ていく焔の背中に、伊吹は呆れた視線を送る。それを隣で見ていた紀平が、目を見開いた。
「驚いた。いつもみたいに怒らないんだな」
「え、ああ。そういえばそうですね」
紀平に指摘されて伊吹も己の変化に気が付く。
「なんというか、怒り疲れたといいますか。奴の言動に散々振り回されたので、今更怒るほどのことでもないといいますか」
「へえ、そうかい。君たちが仲良くなるのは良いことだと思うよ」
「いえ、仲良くなど……」
「え、伊吹と焔、仲良くないの?」
口を挟んできた千里に、伊吹はしかめっ面を向ける。
「当たり前だろう。今まで何を見ていた」
千里は首を傾げる。
「だって、焔の手当、してあげてたじゃん」
「それは。他にできる者がいなかったからで……」
「焔殿、怪我をしているのかい?」
心配そうな声をあげた紀平に、伊吹は頷く。
「今はもうなんともなさそうですがね。向かった村に奴が滞在していまして、野狐との戦闘で少々火傷を。野狐は無事狩ることができたのですが、奴がなかなか目覚めなかったので、仕方なく手当してやっただけです。戻りが遅くなり、ご迷惑をおかけしました」
頭を下げる伊吹に、紀平がいやいやと手を振る。
「大事になっていなくてよかったよ。どんなお役目でも速やかに戻ってくる伊吹殿がなかなか帰ってこないから、少し心配していたけれど。焔殿が目覚めるまで待ってあげていたんだね」
そう言われて、伊吹は膝に手を置いたまま固まった。
確かに、元々は伊吹一人のお役目だった。千里のこともあったとはいえ、焔を置いて先に戻るという選択肢も存在したはずだ。少し前の伊吹なら、そうしていた。
「いや、それは、その。成り行きで……」
先程祖母にしたのと同じ弁明をしかけたところで、戸口に新たな人影が現れ、伊吹は言葉を止めた。
鬱金燦。
焔の父であり、鬱金家の現当主である男。
ぎろりと強い目力に、眉間に刻まれた深い皺、常に引き結ばれた口元。背丈は焔と同じくらいだが、その海老茶の狩衣に包まれた体の分厚さが、長年の研鑽を物語っている。
燦はぐるりと室内を見渡すと、伊吹らに目を止めた。
「燦殿。お疲れ様です」
近くにいた書記官が声をかけるが、それには答えず大股で通り過ぎる。車座になっている伊吹らの傍らで立ち止まると、黙ってこちらを睥睨してきた。
「どうかなさいましたか、燦殿」
紀平が穏やかに問いかけるが、燦は無言で腕を組み伊吹と千里を交互に眺めている。伊吹は居心地が悪くなって視線を逸らした。
千里について説明を求められているのかもしれないが、この無言の圧がどうしても気に障るのだ。年長者は敬うべきだと重々承知しているが、この男に対してはどうしても実行できそうにない。
そんな風に仏頂面の下で葛藤していたら、今日は燦が先に口を開いた。
「天鵞絨家か」
その言葉にはっと顔を上げる。燦はぽかんと大口を開けた千里を品定めするように見下ろしている。
「そうであると、この子の母が申しておりましたので連れてきました。……わかるのですか」
「当然だ」
それだけ言うと、燦はまた押し黙る。
何がどう当然なのかは言わないが、燦の年齢なら、千里以外の天鵞絨家の狐継にも出会ったことがあるはずで、同じ家の狐継は似通った気配をしているため察しがついたというところだろうか。
その推察をこちらに強いてくるその態度が気に食わないが、長年経験を積んだ燦の目から見ても、千里は狐継に見えるというお墨付きが得られたということだ。
「天鵞絨家に生き残りがいたということですか。それはよい知らせですね。……千里くんだったかな、私は銀灰紀平だ。よろしく」
千里の正体を知った紀平が、きょろきょろと周りを見渡していた千里に話しかける。
「おう、よろしく。紀平は伊吹の兄ちゃんなのか?」
「こら、千里。呼び捨ては失礼だと……」
「いやいや、構わないよ。子供なんてそんなものだ。……私は伊吹殿の再従兄弟に当たる。でも、伊吹殿のことは幼い頃から知っているし、実の弟のように思っているよ」
「へえ。じゃあ紀平も狐継? でもなんか伊吹とは違う感じ……」
「残念ながら私には狐継としての才はなかったんだ。代わりに、ここで狐継を助ける仕事をしている」
「ふーん。あ、おじさんは焔の父ちゃんだろ。顔もそれ以外も焔に超似てるのな」
「おい……!」
その馴れ馴れしい口の利き方に伊吹は焦った。よりにもよって、その常に崩れないしかめ面から泣く子も黙る鬱金燦に対して、それはない。
だが、燦は怒りもせず笑いもせず、千里をただじっと見返した。紀平はいつもどおりの穏やかな顔で見守っているが、伊吹は気が気じゃない。
この男の行動は読めない。何かあれば身をもって千里を庇わなくてはとやや重心を動かせば、今度はその視線が伊吹を向いたので思わず全身に緊張が走った。




