第3章-7 調査
伊吹と燦の視線がぶつかり合い、無言のまま静止する。
書記官たちがあちこちで言葉を交わしている気配が耳に届くが、内容までは聞き取れない。
しかし、そちらを意識から追い出す間もなく、燦の方からすっと視線を逸らしたので、伊吹は拍子抜けした。
「そうだ、燦殿。先程、ご子息も戻って来られていましたよ」
何事もなかったかのように紀平が話しかければ、燦はかすかに頷く。
「なんでも、伊吹殿と共に野狐を倒したとか。二人とも、頼もしくなりましたなあ」
それに燦が答える前に、継監尹が戸口に姿を現した。ざわざわとしていた書記官たちがぴたりと口を噤む。
注目を浴びる中、継監尹はのしのしと執務室内を闊歩すると、自席に腰を下ろして大きなため息を吐く。やがて己に視線が集まっていることに気づいたのか顔を上げ、続いて伊吹たちのいる一角に目を留めた。
「おや。珍しい組み合わせだ」
伊吹が燦を嫌っていることを承知している継監尹が、茶化すように笑う。
だが、すぐに伊吹の隣に座る子供に気が付いたようで、訝し気な顔をした。伊吹は継監尹に向き直る。
「継監尹殿。この子供は、天鵞絨家の血を引く、千里という者です。此度のお役目で出会ったのですが、狐継だと判断し連れて参った次第です」
姿勢を正して告げれば、継監尹はますます疑念を抱いた顔になる。
「天鵞絨家の者は、もう残っていないのではなかったのか」
「はい。そう思われていましたが、里を襲った野狐から逃げ延びた者が一人いたそうです。この子の母親がそうだというのですが、実際、この子は妖狐の血を引いています。天鵞絨家の血筋であることは、かの一族を知る鬱金家当主も先程認めました」
「本当か、燦殿」
黙したまま頷く燦を確認し、継監尹はふむと顎髭を撫でる。
「わかった。だが、裏付けは必要だな。当時の資料はあるのだろう? 伊吹殿。それと、紀平殿も。資料をあたり直し、今の話が事実かどうか調べるように」
「御意」
「はいはい、俺は?」
元気よく手を挙げた千里を伊吹が窘める前に、継監尹がにやりと笑う。
「坊主はそうだなあ。お前、読み書きはできるのか」
「ううん」
「では、手習いからだな。空いている時間に伊吹殿に教えてもらえ」
「私ですか」
思わず非難めいた口調になってしまった伊吹に、継監尹が言葉を続ける。
「詳しいことはまだ言えんが、次のお役目に出るのは少し先になると思っていてくれ。……焔殿はまだ戻らないか」
伊吹が真意を問いただす前に、継監尹は紀平へと視線を移していた。
「いえ、先程、伊吹殿と共にこちらへ。またどこかへ行ってしまいましたが、宮城内にはいるかと」
「そうか。わかった」
「あの、継監尹殿。我が家のご隠居の件は……」
控えめに尋ねた紀平に、継監尹はちらと燦を見てから首を振る。
「それもまだ言えん。だが、明日にも事が動く可能性はある」
それだけ告げると、継監尹は山積みになっている書簡の束に手を伸ばした。会話は終了の合図だ。伊吹と紀平は一礼すると、千里を連れて隣室に移動する。
書記官たちが仕事をする部屋の隣には、狐継に関する歴代の記録などが保管されている。天鵞絨家の隠れ里が野狐に襲撃された一件も、後の調べでわかったことはすべて書き残されているはずだ。
「さて。どのあたりだったかな」
堆く積まれた書簡の山を眺めなら紀平が呟く。伊吹はほとんどこの部屋に立ち入らないので、彼の指示に従った方がよさそうだと判断した。
「すっげえな。これ、全部紙なのか?」
手近なものをつんつんと突きながら千里が言うので、慌ててその手を止めさせる。
「不用意に触るな。雪崩を起こしたら後が面倒だ」
伊吹は、この子供が悪戯盛りの悪餓鬼であったことを思い出した。目を離すと碌なことにならないかもしれない。
紀平の指示に従い、千里と二人で書物の山を別の場所に移していく。
「紀平殿。先程の、祖母上の件というのは」
「……継監尹殿が何も仰らないなら、私の口からも伝えられない。すまないね」
「はあ、わかりました」
煮え切らない返事に首を傾げるが、もうひとつ気にかかっていたことを思い出す。
「千里。先程は手習いをと継監尹殿に言われていたが、お前はその振る舞いと言葉遣いもなんとかしなければいけない」
「えー。いいじゃん」
手を動かしながら告げれば、千里が唇を尖らす。
「駄目だ。狐継たる者、貴族としての誇りを持たなければ」
「急に貴族の誇りなんて言われても、俺ふつーに平民だったからわかんねーって。野狐を倒すだけじゃ駄目なの?」
「ああ。我らが野狐を狩るのは、民草を守るためだ。その意義を確認するためにも、普段から貴族として正しい振る舞いをだな」
「あーあーきこえないーっ」
「お前な……!」
耳を手で塞ぐ千里に伊吹が怒鳴りかけたところで、紀平が取りなす。
「まあまあ。千里くんはまだ子供じゃないか」
「しかし。この歳の頃には私はもう、行儀作法は完璧に身に付けておりました。千里は学ばなければいけないことが多いので、今から詰め込まないと間に合いません」
「確かに、伊吹殿は優秀な子供だったからなあ。でも、千里くんのやる気が一番大事だよ。無理に押し付けても、身に付かないと思うんだ」
「しかし……」
「っくしゅん!」
大人たちの会話に飽きて手近な書棚を覗き込んでいた千里が、埃っぽさにくしゃみをする。
「うへえ」
ごしごしと鼻を擦った千里の肘が、隣にあった伊吹の背丈ほどある山に当たった。ぐらりと、書物の塔が揺れる。
「馬鹿!」
咄嗟に飛びついて、全身を使ってそれを押しとどめる。上の方にあった分厚い書が伊吹の額にごんと当たって止まった。
「わはは! 伊吹、上手上手!」
伊吹はそっと己の体で支えた書の山から離れると、にやにやと笑う千里に拳骨を落とした。




