第3章-5 小百合
翌日は何事もなく、出発して三日目の昼過ぎ、ついに都へと辿り着いた。
「すっげえ! 人がいっぱい!」
千里は落ち着きなくきょろきょろと当たりを見渡しては身を乗り出すので、伊吹は何度かその襟首をひっつかんで馬上に引き戻す羽目になった。
馬から降ろしてしまえば、途端に伊吹を振り切ってどこかに突進して行ってしまうだろう。都に戻って早々迷子探しは御免である。
なんとか無事に市が開かれている通りを抜けたところで、前方から見知った人影がやってくるのを見つけて、伊吹は驚きつつも馬を降りた。
「へ? なに?」
馬上に置いていかれて戸惑う千里には答えず、伊吹はその人に歩み寄る。
「祖母上。このようなところでどうされましたか」
市女笠越しでもわかる。伊吹の祖母、銀灰小百合が里の下男を連れて歩いていた。
「伊吹さん。随分と遅いお戻りですね。都を出てからもうすぐ十日にもなると、紀平が気をもんでいましたよ」
その一言で、祖母が継監台を訪れていたのだと察した。
「はい、その、色々ありまして。あの、どうしてわざわざ祖母上自らこちらに?」
伊吹が正式に当主の座に就くまでは、当主代行として都に出向くこともあった小百合だが、隠居した今はほとんど隠れ里から出ることはなかったはずなのだ。
「紀平の知らせてくれた話がどうしても気になったのでね。このまま見過ごすわけにはいかないと、昔馴染みを頼りに来ただけですよ」
それにしても、と小百合は伊吹の背後に目を向ける。
「どのような経緯かは存じませんが、伊吹さん。あなた、私の知らない間に鬱金家と随分仲良くなったようで」
祖母の棘のある言葉に、伊吹はしどろもどろになりながら弁明する。
「いえ、これは、その、成り行きで」
「そうですか。まさかあなたまで、お役目後の戻りを遅らせているなどと噂が立つようではいけませんよ」
「もちろんです。銀灰家の誇りにかけて、そのようなことは致しません」
「よろしい。では、私は里に戻ります」
言いたいことだけ言うと、小百合はすたすたと歩いて行ってしまった。彼女に付き従う里の下男、平太も気遣わしげな表情で会釈すると彼女の後を追っていく。
「なんだよ、あれ! ばあちゃんなんだろ? すっげえ意地悪じゃん」
完全に存在を無視された千里が、馬上で唇を尖らせていた。焔は何に気を引かれたのか、あらぬ方向を見つめている。
「祖母上を悪く言ってくれるな。厳しい人だが、銀灰家のことを思っての言葉だ」
伊吹が庇うが、千里は収まらないようだった。
「いや、でもさ、冷たくない? 普通に大丈夫だった?とか心配したよとかないわけ?」
千里の言葉に、今まで祖母からそのような言葉をかけられたことがあったか、一瞬思案したがすぐに止めた。
物心ついた頃から祖母は厳しい人であったが、ちゃんとできれば評価してくれる人だった。優しい言葉をくれる人ではないが、伊吹は祖母が育ててくれたおかげでこうして狐継としてのお役目を果たせているのだ。
「それに、なんかよくわかんないけど焔のこと嫌いみたいだったし、俺のこと無視するし!」
「それについては、……謝る。不快にさせて悪かったな」
「別にぃ。焔もなんか言ってやれよ」
千里が話を振って、焔はようやくこちらを向いた。
「興味ねえな」
「えー。なんかないの?」
「ねえよ。他人に褒められるために生きているわけじゃねえ」
その言葉にはっとする。
銀灰家の誇りと、祖母は常々口にする。鬱金家に劣るようなことがあってはならないと。
だが、それは命懸けで野狐を狩る他家の狐継をけなして成り立つものなのか。
本来はもっと、純粋で美しいものではないのか。
そこまで考えて、祖母の言動に疑問を見出している自分に気が付き、伊吹は動揺した。
今まで、一度も祖母の言葉を疑ったことはなかった。父を亡くし、母も床に臥せ、狐継としての先達も周囲にいなかった伊吹にとって、祖母の教えは絶対だったのに。
「伊吹? どうした? ばあちゃん悪く言われて怒ってる?」
千里に問いかけられて、伊吹は緩く頭を振った。
「いや。気にするな。それより継監尹殿のところへ向かうぞ」
千里と出会ってから、焔と共に時を過ごしてから、伊吹の中で何かが変わってきている気がする。それがいいのか悪いのか、今のところ判断はつかないが、とりあえず千里のことをなんとかしてやらなければならない。




