第3章-4 ずるい男
程なくして、すうすうという千里の穏やかな寝息が聞こえてくる。ざわざわと、近くの木々が枝を揺らす静かな音が続いている。狼の遠吠えが風に乗って小さく届いた。
伊吹は瞼を閉じたままそれらを感じていた。安全が確保されていない場所で熟睡することはないが、狐継にも休息は必要である。
そうやって暫く夢と現の間を彷徨っていたが、不自然な物音を聞きつけて伊吹は顔を上げた。
焚き火は依然として赤々と燃えている。その向こうにいる男の気配を伺うが、動く様子はない。それを確認すると、伊吹は音もなく立ち上がった。
足音は一切立てないまま、月明かりの届かない林の中に足を踏み入れる。
焚き火は動物を近づけさせないために有効だが、逆に人間にとってはそこに誰かがいるという目印になる。そしてそれを利用して悪巧みをする野盗がいるのも現実だ。
神経を研ぎ澄ませて気配を伺う。
……足音は全部で五つ。焚き火を目指してじりじりとにじり寄る様子から、寝込みを襲おうと企てる野盗で間違いない。
そう判断して、意図的に気配を消したまま、最も右手にいた男の背後に回り込む。
相手は刃物を携帯していた。立ち振る舞いから、こういった行動に慣れている様子が伺われたため、伊吹は躊躇わずその首筋に手刀を落とした。
男は伊吹の存在に気づいた様子もなく、呆気なく気を失った。倒れ込んだ男の体が地面を鳴らす前に、伊吹は次の獲物に忍び寄っている。
二人目も同じように意識を奪い、三人目はあえて鳩尾に拳を叩き込んだ。
「ぐえっ」
その奇声に四人目が振り向く前に、素早く懐に飛び込んで同じ一撃を繰り出す。目を見開いた男の口から無様な悲鳴が漏れた。
最後に残った男が、驚愕の表情でこちらを振り向く。息も乱さずに流れるような連撃を繰り出していた伊吹は、そこであえて足を止めた。
背後には意識のない男二人と、呻き声を溢しながら蹲る男二人。肩越しにそれを示してやって、唯一立っている男に向かって首を傾げる。
「このまま仲間を連れて立ち去るのなら追いはしないが、どうする?」
狐継が民草を傷つけるわけにはいかないが、大人しく襲われてやる理由もない。だが、悪党を取り締まることもまた、狐継の仕事ではない。
ここが落とし所だった。
逆襲されることは想定していなかったのだろう。男は驚愕の表情で伊吹と己の仲間を見比べていたが、やがて苦虫を噛み潰したような顔をして両手を挙げた。
伊吹が道を譲ってやると、舌打ちを残して仲間の元へと向かう。よろよろと立ち上がった者たちと共に、意識のない男たちを担いで、慣れた足取りで林の奥へと立ち去って行った。
それを十分な距離まで見送ってから、伊吹は踵を返して焚き火の元へと戻る。微かな足音を察してか、焔が目を開けてこちらを見ていた。
「起きていたなら手伝え」
千里を起こさないように、抑えた声音で苦言を呈する。
「馬鹿を言え」
「なに?」
寝転がったままの焔がにやりと笑う。
「お前が、あの程度の相手に後れを取るはずがないだろう」
視線が交わって、伊吹は言葉に詰まった。
「……何を知った口を」
なんとかそれだけ言うと、再び元の場所に座り込む。
腹を立てたわけではない。
認められていると、不覚にも思ってしまった。
あの時、目的があったと言えど戦場から離脱した己を、焔は軽蔑していると思っていた。なのに、今ので許された気になってしまったではないか。
普段何を考えているかわかりにくいだけに、こんな時だけずるい男だと思った。




