第3章-3 旅路
翌朝、さちと共に現れた千里は風呂敷を背負い、覚悟を決めた顔をしていた。
「息子を、どうかよろしくお願いいたします」
深々と頭を下げるさちに、伊吹は戸惑いながら千里を見降ろす。
「しばらく母親と会えなくなるがいいのか。この村にもそう帰ってはこれないぞ」
対する千里は、にかっと笑った。
「わかってるって。もう、伊吹は心配性だなあ」
「いや、しかし……」
「俺、ちゃんと考えたよ。初めはびっくりしたけど、俺、狐継になりたい。焔と伊吹のこと助けたいし、野狐を自分の手で倒せるようになりたいんだ」
その瞳はまっすぐ澄んでいて、伊吹はそれ以上何も言えなかった。
「ほらな」
「……うるさい」
自らの手で旅装を整えた焔が隣で低く笑う。彼の包帯はまだしばらく取れないだろうが、動きに問題はなさそうだった。
伊吹と焔がそれぞれ乗ってきた馬に荷を乗せる。千里は、伊吹の馬に同乗することになった。村長への挨拶は先ほど済ませてあり、さち以外に見送りはいない。
「では出立だ。千里、さち殿にお別れを」
「うん」
千里は恥ずかし気に鼻の下を搔いた。
「かあちゃん。俺、立派な狐継になるから」
さちは一歩近づくと、縋りつくように己の息子を抱きしめた。
「ええ。ええ。母はあなたのことを信じています。体に気を付けて、立派にお役目を果たすのですよ」
抱きしめ合う母子を見ながら、きっと千里は愛されて育ったのだろうなと想像する。あの夜は取り乱した様子を見せたさちだったが、息子を思う気持ちは本物なのだろう。
やがて抱擁を解き、息子の背を押したさちに、伊吹は声をかける。
「この子を正式に狐継として認めるか、最終的には継監尹殿が判断することになるだろう。だが、それまでは私が責任を持って世話をしよう」
「ありがとうございます。どうぞ、よろしくお願いいたします」
深々とお辞儀をするさちに見送られ、三人は都へと出発した。
空は高く澄み渡り、日差しはぽかぽかと温かい。旅をするには丁度良い気候だった。
「うっひょー。俺、馬乗るの初めて」
「危ないから身を乗り出すなよ」
「おう」
千里を前に乗せて、後ろから手綱を握っている。子供とはいえ一人多く乗せているので、馬には負担がかかる。行きは二日で踏破した道のりだが、今回は時間をかけて戻るしかなさそうだった。
「俺、都にいくのも初めて」
うきうきと言う千里に、伊吹は思わず苦言を呈する。
「遊びに行くわけではないぞ」
「わかってるって。なあ、都じゃお菓子を売ってて、好きな時に買って食べていいってほんと? 俺、今までお菓子って一回しか食べたことねえの」
「菓子は確かに売っているが、その前にお前は金がないだろう」
「そこは伊吹がなんとかしてくれるでしょ」
「図々しいやつだな」
千里は終始上機嫌で、よく喋った。
「狐継ってどれくらいいるの? 俺と同じくらいの年の奴も他にいんのかな?」
「ああ、いたとは思うが。狐継の里は基本的に他里と交流しないからな」
「え、でも。焔と伊吹って幼馴染だろ?」
不思議そうに見上げられたが、伊吹も怪訝に見下ろす。
「いや、私がこいつと会ったのは元服してからだが」
「あれ、おっかしいなあ」
首を捻る千里は、背後を行く焔に話しかけようと、身を乗り出して振り返る。
「なあなあ! 焔って昔から伊吹のこと知ってるだろ?」
「ああ、そうだな」
「ほら!」
「わかったわかった。いいからちゃんと前を向け」
千里が再度見上げてくるのを、適当にいなす。知っているか知らないかでいえば、もちろん伊吹だって、鬱金家にいる歳の近い狐継のことは幼い頃から知っていた。
大人になったら共に戦うのだと、いつのことだったか定かではないが、父が語り聞かせてくれた記憶がある。
「実際、お前の歳ではまだ元服には早いからな。どこか他の里で預かるという話にはなるかもしれん」
「ふーん。でも俺、伊吹と焔と一緒にいたいよ」
「残念ながら、狐継は忙しいんだ。国中をあちこち飛び回ることになる。大人になるまでは、いや、大人になっても無理だな」
「えー」
さちに約束したので、継監尹から沙汰が降りるまでは傍にいてやるつもりだった。だが、その後のことは千里に告げたとおりだ。
「今からでも村に戻るか?」
「やだ。俺、狐継になるから」
「頼もしいことだ」
決心は固いらしい。だが、狐継として生きていくなら当然必要な覚悟でもあった。
昼間は陽射しにより多少の温もりを得られていたが、夜になると未だに底冷えがする季節だ。日が落ち切る前に、街道の脇で三人は野宿の支度を始めた。
「俺、野宿も初めて!」
「こら、はしゃぐな」
じゃれつく千里をいなしながら、すぐ傍の林に分け入り燃えやすそうな枯れ枝を集める。体温を維持するためにも、野に生きる熊や狼といった動物を近づけないためにも、焚き火は必要だ。
集めた枝を開けた地面にまとめて置き、荷の中から火打ち石を取り出そうとすれば、背後で千里が歓声を上げた。
焔の足元で、枯れ枝が赤々と燃えている。
それを認めて、伊吹は手にした火打ち石をそっと荷の中に戻した。
鬱金家の能力で火を付けた焔は、その場に胡座をかき、干し飯をもそもそと食べ始める。伊吹と千里もそれに倣って焚き火を囲んだ。
「貴族って、もっと豪華なもの食べてると思ってた」
母が用意したのだろう干し飯に齧りつきながら千里が言う。
「旅の食事は誰でもこんなものだろう」
伊吹も同じく咀嚼していた干し飯を呑み込んで続ける。
「旅先に限らず、狐継の生活は質素なものだ。貴族だからといって余計な期待をするなよ」
「えー。俺、お菓子だけじゃなくて、米とか魚とか、たらふく食ってみたかったのに」
千里が米粒のついた唇を尖らせる。
「残念だったな。狐継はほとんど都に留まらない。身一つで国中を渡り歩くのだから、贅沢とは無縁だ。そもそもそんな金もない」
「ふーん。狐継って貧乏なんだ」
明け透けな物言いに伊吹は顔をしかめた。
「……正面から言われると腹が立つが、まあそうだ。食べ終わったならさっさと寝る支度をしろ。明日も日が昇り次第動くぞ」
「はーい」
食事を終えた焔が、火傷の状態を確認している。その手元を恐る恐る覗き込んだ千里が、驚きの声を上げた。
「え! めっちゃ治ってるじゃん!」
包帯を巻き直そうとする腕にしがみつかれて、焔は鬱陶しそうにしている。火傷のあった箇所には、薄く皮膚が出来上がってきていた。
「こんなもんだろ」
「狐継ってすげーのな」
なぜか焔を尊敬の眼差しで見つめる千里に、伊吹は呆れた視線を向ける。
「妖狐の血を引くなら、お前の体も同じようなものだろう。今まで自覚はなかったのか?」
「え? どうだろう。治りが早いのは若い証拠だってばあちゃんが言うから、そういうもんだと思ってた。あ、でも母ちゃん、ばあちゃんがその話をする時いつも変な顔してたかも」
ばあちゃんというのは父方の祖母のことだろう。つまり、狐継のことは知らない人間だ。
それがどんな内容であれ、所謂普通でない人間は、周囲から迫害を受けることもある。狭い村なら尚更だ。妖狐の血を引く千里がその扱いを受ける可能性は少なからずあって、さちは気が気でなかっただろう。
「前にも言ったが、狐継の存在は民から秘匿されるべきものだ。継監台の人間は問題ないが、さち殿の努力を無駄にしないためにも、都では目立つ振る舞いをするなよ」
「わかってるって」
千里が伊吹との会話に気を取られている間に、焔は包帯を巻き直して、ごろりと寝転がった。
びゅうと風が吹き、千里が首を縮める。同時に、焚火の炎が大きく揺れた。
「さむっ」
千里が暖を求めるように焔の懐にすり寄って丸くなる。片目を開けてそれを確認した焔は、しかし何も言わずに再び目を閉じた。
「まったく……」
伊吹は目線を上げて、周囲の風を支配下に置いた。揺れていた炎の影が、落ち着きを取り戻す。
「伊吹、なんかした……?」
焔の体で暖を取ったまま、視線だけを向けて問うてくる千里に、肩を竦めて返す。
「さあな。早く寝ろ」
千里が言われたとおりに目を閉じたのを確認して、伊吹も傍にあった切り株に寄りかかった。




