第3章-2 目覚め
思考の海に沈んでいた伊吹の意識を、低い呻き声が呼び戻した。
「ぅ……」
「焔!」
身を乗り出す千里の動きに釣られて、伊吹も男を覗き込む。
三日間閉じられたままだった瞼が、ゆっくりと開く。現れた瞳は視線を彷徨わせたあと、傍らにある二つの人影に気が付いたようだった。
「……よう」
声こそ掠れていたものの、何事もなかったかのように口を開く男に、伊吹は詰めていた息を吐いた。
「起きたあ!」
千里が焔に飛びつく。
「ぅぐ」
焔が控えめな呻きを上げたが、千里はしがみついたまま離れようとしない。
「よかったあ………。ほむらっ、死んじゃうかと思ったぁ……!」
泣きじゃくる千里に、命の心配まではしていなかった伊吹は己の説明不足に思い至り、少し反省した。
狐継の体は回復力にも優れている。火傷以外に大きな外傷はなかったので、命に別状はなく、目を覚まさないのは枯渇した妖力を補うためだと高を括っていたのだが、千里には知る由もないことだ。
腹に縋りつく千里を見降ろした焔は、己の体に施された治療の後に気が付いたようで、伊吹に視線を移す。そのまま無言で検分するように眺められて、伊吹は思わず仏頂面になった。
「なんだ」
「さあな」
肩を竦めた彼は、千里の頭を乱暴に撫でてからその肩を押して顔を上げさせると、自らもゆっくりと体を起こした。腕をまわし上体を捻り、節々の動きを確認している。
「村長にはお前が目覚めるまで待ってもらっていた。明日、発てるか」
「ああ、問題ない」
当然だと頷いた焔に、まだ鼻をすすっている千里の方が驚いた声を上げた。
「嘘! さっき起きたばっかじゃん。もうちょっとゆっくりしていきなよ」
「その必要はねえ。狐継をなめるなよ」
ええ、と困惑した声を上げた千里だが、今回は伊吹も焔に同感だった。
「千里。今日はもう帰ることだ。家に戻って、さち殿とよく話をしろ。私たちは明日都へ戻るが、お前はこれからどうしたいのか、明日の朝、聞かせてくれ」
「……うん。あ、俺、村長に知らせてくる」
「いや、それには及ばない。明日の朝で構わないだろう」
焔が目覚めたと知られて、村人との間に余計な諍いが起きるのは避けたい。
頷いた千里はまだ何か問いたげにこちらを見ていたが、やがて決心がついたのかぱたぱたと足音を立てて駆けて行った。その後ろ姿を見送ってから、伊吹はおもむろに口を開く。
「あいつがもし、この村に残りたいと言ったら、お前はどうする」
「無駄なことを」
「どういう意味だ」
さすがに怪我人に対して声を荒げる気にはなれなくて、伊吹は素直に訊き返す。
「前も言ったろ。あいつも狐継だ。狐継の本能に従うだろうよ」
当然のように返された言葉に、伊吹は黙ってしまう。
狐継の本能。
それが自分にはわからないと、なぜか目の前の男には言えなかった。




