第3章-1 火傷
狐継に怪我はつきものだ。
普通の人間よりも頑丈かつ回復力に優れているものの、裂傷があるなら止血が必要であるし、火傷をすれば皮膚の再生を待たなくてはいけない。
だから伊吹は応急手当に必要なあれこれを欠かさず持ち歩くようにしているが、これほど酷い火傷を見たのは初めてかもしれない。
そんなことを考えながら、昏々と眠り続ける焔の包帯を解き、新しい薬を塗り、清潔な布を巻き直す作業をしている。
雨がくすぶる炎をすべて静めたあと、伊吹は一人で山に入った。
野狐と遭遇した地点に辿り着いて目にしたのは、野狐だったと思われる黒焦げの亡骸と、全身に火傷を負って倒れている焔の姿だった。
戦闘の激しさを物語るように、周囲の木々は焼けつくされ、ぽっかりと黒い空間が生まれていた。
村人が目にする前にと、野狐の亡骸をその場に埋め、自分より一回り大きい焔の体を背負って山を下りた。
彼の手当てに必要なものは、伊吹の手持ちだけでは足りなかったので、さちと千里が村長に掛け合って用意してくれた。二人以外は、伊吹らに宛がわれていた家に寄りつかない。
伊吹もお役目自体は果たされたため、本来なら報告書を書き上げるところなのだが、思うところがあって筆が進まない。結果、目を覚まさない焔の世話だけをする一日を、もう三度繰り返していた。
手の甲のひと際ひどい火傷に薬を塗ってやりながら、炭化していた野狐の亡骸を思い出す。
あれほどになるような炎を、この男が生み出していたのだ。炎に強い体をもつ鬱金家の狐継ともいえども、当然無傷ではいられない。
あの時、伊吹を誘うように手を伸ばした焔は笑っていた。これから始まる戦闘に、高揚しているように見えた。あれが、狐継の本能だと言うのだろうか。
正直なところ、伊吹にはあの時の焔の言動がどうしても理解できなかった。人間に害を成す野狐は滅ぼさなければならない。それは使命として胸に刻んでいる。
だが、己の身すら焼きかねない炎に躊躇いもなく身を委ねるような、そんな衝動を伊吹は感じたことがない。
継家全体で狐継が生まれにくくなっているのは、その妖狐の血が薄くなってきているからだとも言われている。現役の狐継が、現状で伊吹しかいない銀灰家は特に顕著だ。
反対に鬱金家は現役五名と、元服前の子供も二名が隠れ里で暮らしており、炎という強力な技を扱う特性も相まって最も力のある家として遇されている。
祖母が鬱金家を敵対視しているのは、伊吹の父の死だけでなくそういった背景もあるのだ。
妖狐の血が薄いから、狐継の本能という感覚さえ遠くなってしまったのか。それとも、伊吹自身に素質が足りていないのか。いずれにしても、焔と伊吹の間には、同じ狐継だとしても大きな壁があるように感じていた。
「伊吹いる?」
背後から声をかけられて、伊吹は我に返った。
「千里か。どうした」
外から顔を覗かせた千里が、躊躇いなく家の中に入ってくる。
「村長が呼んでる」
「そうか。わかった」
薬の塗り終わった右手を、清潔な布でもう一度包む。千里は伊吹の隣にぺたりと座りこんで、その作業を見守っていた。
「焔、起きないな」
「そうだな」
山に入る前の悪餓鬼っぷりが嘘のように、ここに来るときの千里は静かだった。何かの答えを探すように、じっと焔の顔を見つめている。
「なあ。狐継って、いつもこうなのか?」
おもむろに投げかけられた問いに、伊吹は手を休めず答える。
「怪我をするという意味では、そうだな。命のやり取りをしているのだから、止むを得ないことだ」
「そっか」
再び黙した千里に、臆したかと問うのは意地が悪い気がして止めた。人ならざる技を扱い、それで悦に入るのではいけない。その技を使い、命懸けで野狐と戦う。それが、狐継に定められた使命であり宿命なのだ。
包帯を巻き終わると、伊吹は立ち上がった。千里はまだ焔を眺めているので、そのまま置いて外に出る。
伊吹が出てきたのを見て、遠巻きにこちらを見ていた村人が視線を逸らした。それには気が付かないふりをして、村の中を歩く。
村長は随分と強張った顔をして伊吹を出迎えた。
「来ていただいてすいやせん。そのう、もうお一方のご容態はいかがでありやしょう」
「まだ目を覚まさないのだ。長居をしてすまない」
「いえ、とんでもねえことで……」
村長の視線が右へ左へと泳ぐ。その様子を見て、伊吹は言葉を付け足す。
「彼が目覚め次第、すぐに出ていく。それまでは辛抱してくれ」
それを聞いて、村長は少しほっとしたようだった。
それ以上の話もなさそうだったので、伊吹は村長の家を後にする。戻っても、千里は先程と同じ姿勢で焔を見つめていた。
「村長、なんて?」
顔を上げた千里の隣に腰を下ろし、伊吹も同じように焔を眺める。
「こいつの容体が聞きたかったようだな」
「……自分で見に来ればいいのに」
村長をはじめとして、千里とさち以外の村人はここに近寄らない。そのことを、この子供も気が付いている。
「そう言ってやるな」
「伊吹はなんで怒らないの?」
「なぜと言われてもな。そういうものだ」
伊吹は肩を竦めるが、千里は納得しないようだった。
「わかんないよ……。だって、だって、焔は野狐と戦って、この村を守ってくれたんだよ。なのに、村のやつら、焔は山神様を怒らせたから天罰を受けたんだって言うんだ」
山火事以降、村人たちの向けてくる視線が変わっていたので、なんとなくこの言葉は想像できていた。
よそ者である伊吹と焔が山に入ったことが、村人に知られてしまったのがよくなかった。
本来、狐継は民草に気づかれずに野狐を狩るべきなのだ。今回は、山神様という信仰の存在が隠れ蓑になってくれたおかげで、この失態を誤魔化せているともいえる。
だが、千里はそうは思わないようだ。
「おかしいって。そんなの」
「狐継とはそういうものだ。無理矢理追い出そうとしないだけ、この村は良心的だと思うぞ」
中央から来た貴族という肩書きを恐れてか、村長も直接的なことは口にしなかった。意識のない焔を馬に乗せるのはさすがに難しい。居心地が悪くとも、せめて彼が目覚めるまではこのまま滞在させてもらいたいところだった。
「でも、嫌だよ。俺……」
納得できない様子の千里にこれ以上言ってやれる言葉もなく、伊吹は代わりに気になっていたことを口にする。
「それより、お前は咎められていないか。私たちを山に案内したのも知られているのだろう?」
「うん、それは平気。村長の拳骨なんてなれっこだし」
伊吹たちのせいで、この村で生まれ育った千里まで、村人から白い目で見られることは避けたかったので、ひとまず安堵する。
それにしても、と伊吹は考える。
狐継である伊吹にとって、この結末はある意味当然のことだった。人々に理解されずとも、己の使命を全うする。そうすることに、意義がある。そう幼い頃から教わっているから、そこに疑問を挟む余地などなかった。
だが、普通の村の子供として生きてきた千里には、その割り切りは難しいようだ。狐継として育てられなかったとさちが言っていたのは、こういうところなのかもしれない。
さちは、千里にこれからは狐継として生きてほしいと言っていた。だが、それが本当にこの子供の幸せなのだろうか。この村で安全に平凡に生きていく。そういう選択肢はないのだろうか。
もちろん、狐継として生まれた者にはその使命を果たす義務がある。その考えは変わらない。だが、そうは育てられていないこの子供にも、それは押し付けられるべきなのだろうか。
伊吹と焔がこのことを中央に報告しなければ、千里の存在は明るみに出ない。まだ、彼は未来を選ぶことができる。そう思ってしまうのは、なぜなのだろうか。




