第2章-9 もつれあう龍のごとく
「あれか」
「かあちゃん!」
山道を急いで降りる集団が見え、伊吹はやや安堵した。
「千里!」
向こうもこちらに気が付いた。さちが列を離れようとするのを身振りで押しとどめて、伊吹の方から一足で近づくとようやく千里を地面に下ろしてやる。
「早く山を下りろ。巻き込まれるぞ」
動揺して立ち止まろうとする村人を急かしながら、伊吹は駆けてきた方角を見つめる。激しく火柱の立つあたりが野狐と焔のいる地点だろう。
そこからはかなり距離があるが、乾いた枝を伝って炎はすぐ近くまで迫っていた。それに気が付いた村人から悲鳴が上がる。
「道を逸れるな! まっすぐ下りれば大丈夫だ」
そう村人に声をかけて、伊吹は彼らから離れて炎に近づく。
腹に力を込めて息を吸った。この先を、通すわけにはいかない。
全身を集中させて、ありったけの風に意識を巡らせる。村人たちの走る道を守るように、細く、長く。
行け。
そう念じれば、津波のように風は炎へと向かって行く。やがて赤と青の混じり合った炎とぶつかり、轟音を立てて灰色の空へと舞い上がった。
支配しきれなかった熱風が狩衣の袖をはためかせ、伊吹の頬を焼くが、構っていられない。伊吹も村人を背後に守るように山を下りつつ、次の一撃に向けて呼吸を整える。
視界の先で、まるで鼓動するかのように赤と青の火柱が激しく燃え上がっている。その勢いに押し出されて、また次の炎が迫ってくる。伊吹の操る風とぶつかる。行き場を失った炎が空へと舞い上がる。
妖力を扱うには気力も体力もいる。次第に荒くなっていく呼吸に追い打ちをかけるように、押し返された熱気が伊吹の喉を焼いた。
「っ……!」
遅ればせながら袖で口元を覆う。げほげほと咳き込むと鋭い痛みが走った。集中が途切れたその隙に襲ってきた熱風に烏帽子が煽られ、宙を舞う。
霞む視界で前を見据えた。赤と青の火柱は、もつれあう龍のごとく上空で絡み合っている。
これだけ離れていても、押し寄せる熱は人間を苦しめる。いくら炎に強いといえども、その中心で戦っているであろう焔が無傷とも思えない。
野狐は確実に仕留めなければならないが、加勢しに駆けつけたとして、炎を押し返すことしかできない伊吹が一体何の役に立つというのだろうか。
途方に暮れかけた伊吹の視界に、新たな炎が迫ってくる。
伊吹は小さく頭を振った。村人が無事山を下りるまでは、ここを離れられない。野狐を狩ることが狐継の使命だが、その本来の目的は民草を守ることだ。
今、伊吹がすべきことは、背後の村人を守ること。それに集中しなければならない。そう自分に言い聞かせて、解けた髪が頬にかかるのも構わず、伊吹は次の風を操る。
同じことを幾度繰り返しただろうか。村人が山を下りて安全な場所まで退避したことを視界の隅に確認したところで、爆発するような轟音が響き渡った。
はっと見上げれば、これまでで一番激しい火柱が立ち昇り、赤い炎が青いそれを呑み込んだ。
つんざくような悲鳴が聞こえた気がした。
勝ち誇るように周囲を赤く照らした火柱が視界から立ち消える。
やがて、待ち構えていたかのように灰色の雲がぽたぽたと雨粒を零し始めた。次第に激しくなっていくそれは、木々を包んでいた炎を静めていく。
麓へと辿り着いた伊吹は、親しんだ山の無残な姿を呆然と見上げる村人たちと共に、その広大な範囲に燃え広がった炎が消されていくのをただ見守っていた。




