第2章-6 朝餉
翌朝、さちと千里が食事を届けに来た。
「昨夜は大変失礼いたしました」
配膳を終えたさちが、深々と頭を下げる。
「お二方はお役目でこの村に来ておられるでしょうに、私の話ばかりしまして申し訳ありません」
昨晩とは打って変わって落ち着いた様子のさちに、伊吹はどこかほっとする。
「ああ、いや。それは構わないが」
「お役目にご協力差し上げたいのですが、今日は村の大人総出で、裏山に山菜取りに向かう予定でして。代わりになるかわかりませんが、千里を置いていきますので、どうぞ使ってやってください」
それだけ言うと、さちは静かに去っていった。
「そういうわけでよろしくな!」
朝餉に手を付ける二人の前で、千里がなぜかふんぞり返る。こちらも、一晩経って何やら吹っ切れたようだ。
「えーと、名前何だっけ。もやしと……」
「もやしじゃない!」
反射的に言い返してから、箸を置いてこほんと咳払いをする。
「銀灰家当主、銀灰伊吹だ」
「伊吹ね。覚えた」
当然のように呼び捨てにされて、伊吹はむっとする。
「こら。呼び捨てにするな。伊吹殿と呼べ」
「えー。言いにくいじゃん。なら、もやしって呼ぶ」
「やめろ」
「冗談だって」
にししと笑う千里に、伊吹は朝から深いため息を吐く。
「そっちは?」
千里が、大あくびをかましている男に臆せず問いかける。
「……鬱金焔」
寝起きの不機嫌さを隠さない焔だったが、千里は気にした様子もない。
「焔ね。わかった。なんでも俺に聞いてくれよ!」
「ああ。だが、とりあえず食事をさせてくれないか」
「いいよ。あ、伊吹、茸が嫌いって本当? 好き嫌いはよくないんだぜ」
言った傍から話しかけてくる千里に、再び箸を手にした伊吹は呆れながら答えてやる。
「あれは方便だ」
「方便って?」
「そう答えた方が、話が早かっただけだ。私は別に、茸が嫌いなわけじゃない」
千里が首を傾げる。
「なにそれ。なんでそんな嘘吐いたんだ?」
「だから方便だと言っているだろう。それよりお前、この村に、お前以外に妙な気配をもつ奴を知らないか」
「妙な気配って?」
「そうだな……。人間のようだが人間でない。人外の技を使うもの。ようは、野狐を探している」
「野狐って狐だろ? そんなん見たら分かるだろ。この村にはいないよ」
「野狐は獣の姿をしているとは限らない。奴らは人間に擬態して、周囲を欺く」
「じゃあ、人間じゃない奴が、人間のふりをしているってこと?」
「そういうことだ。心当たりはないか」
問うても、千里は首を傾げた。
「いないんじゃねえの? 村の奴の顔なんて全員覚えてるし、よそ者が入ってきたらすぐに気が付くよ。俺、そういうの得意なんだ」
「野狐は人間を操ることもある。最近急に様子がおかしくなった者などは」
「さあ?」
再度首を傾げる千里。だが、ここまでは想定内だ。もし村の中にいれば、伊吹や焔だってすぐに気が付いている。
「質問を変えよう。昨年大量の茸を見つけたのは、お前たちらしいな」
「そうだよ」
「何かおかしなことはなかったか」
「別に? たまたまいっぱい生えてるところ見つけて、運がいいじゃんって」
「子供たちだけで見つけたのか」
「うん。本当は大人と一緒だったんだけど、飽きたから抜け出して遊んでたら、たまたま。裏山にはよく行くけど、あんなところに茸が一杯生えてるなんて初めてだった」
千里の話に不審な点はない。今わかっている時点で、野狐がしたことといえば、木の葉を茸に見せかけて村に持ち帰らせただけ。この村の人々はそうとは知らず木の葉を口にする羽目になっているが、他の村と交換することで逆に食糧を得た一面もある。
狐継がお役目にあたる中で、実際に野狐が関わっているものは多くはない。伊吹もこれまで遭遇したのは数回程度だが、そのいずれにおいても、彼らは人間が慌てふためくのを眺めて面白がっている節があった。
今回の件は、冬を超えた今になってもその幻覚を解くこともなく、この村に対して危害を加えようとする意志が感じられない。
野狐が関わっているのは明らかなのに、その尻尾が掴めない。
皿はすべて空になったがそのまま考え込む伊吹に、千里は訝し気に尋ねる。
「茸がどうかしたのか?」
「まあ、そうなんだがな……」
見たところ、木の葉は食しても人体に毒を成す類のものではないように見えた。知らない方が幸せなこともある。茸の正体については、まだ千里には伏せていてもいいだろう。
そう結論づけて、伊吹は立ち上がる。
「とりあえず、その茸を見つけた場所に行ってみたい。案内できるか」
「いいよ。焔も行く?」
「いや、こいつは……」
どうせ動きやしないと伊吹が断ろうとしたところ、焔ものっそりと立ち上がった。
「……行くのか?」
「ああ」
「どういう風の吹きまわしだ」
「別に。無意味なことはしないだけだ」
まるで、昨日の伊吹の行動が無意味だったと言わんばかりの言い草だ。昨夜の会話から、話せばわかり合えるかもしれないと思ってしまった自分に呆れるばかりである。
だが、極論この男が野狐を狩るために役に立つのであれば、それでいい。伊吹は口をつきかけた言葉を呑み込んで、身支度を始めた。




