第五章 著作権のない世界での著作権闘争
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第五章 著作権のない世界での著作権闘争
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この問題の核心的な皮肉を誰よりも深く理解していたのは、志賀真帆だった。
彼女はこの騒動を、論文の題材としてではなく、食卓の問題として見ていた。誰が作り、誰が学び、誰が明日の代金を払うのか。その線引きが曖昧なまま技術だけが先に標準化されることに、うすい怖さを感じていた。
レシピには著作権がない。
これは日本の著作権法においても、米国の著作権法においても、確立した解釈だった。料理の手順やプロセスは「アイデア」に過ぎず、アイデアは著作権によって保護されない(アイデア・表現二分論)。だから料理本からレシピをそのまま真似しても著作権侵害にはならない。
ところが RML は、この前提を根底からひっくり返す可能性があった。
論理はこうだ。
RML は GPL ライセンスのソフトウェア仕様である。GPL には「この仕様を使って作られた著作物も GPL に従う」という継承条件がある。RML で記述されたレシピは RML という仕様の「使用」である。ゆえにレシピも GPL の対象になり得る。
しかし反論もある。
レシピは著作物ではないのだから、著作権ライセンスの対象になり得ない。GPL は著作物に対するライセンスだ。著作物でないものに GPL を適用しようとしても、それは空虚なライセンスだ。
この論争は「架空の権利の拡張」対「著作権の空白地帯を埋める試み」という、法哲学的な深みを持っていた。
志賀は東大の同僚と夜遅くまでこの問題を議論した。
「面白いのはね」彼女は言った。「シュルツは実はよく考えていたんだと思う。レシピに著作権がないから企業が秘密保持契約で縛るしかなかった。でもその秘密保持契約の範囲は、雇用関係の中でしか機能しない。消費者や一般ユーザーはそのレシピを見て真似できる。なのに同じレシピが企業では秘密扱い、一般では自由という奇妙な二重構造がある」
「GPL で何が変わるんですか」同僚が問う。
「変わらないかもしれない。でもこれが法廷で争われれば、判例が出る。そしてその判例が、料理という三百万年の人類の知恵の法的地位を決めることになる。たった一つのライセンスが、食文化の未来を変えるかもしれない」
「それはシュルツが望んでいたことでもある?」
志賀は少し考えた。
「彼は望んでいた。ただ、どんな判例が出るかは、彼にもわからなかっただろうけど」




