4
館の三階、その最奥。
十八重の封印に閉ざされた部屋では、今日も彼女を置き去りにしたまま、時間だけが過ぎていった。
朝が来て、昼になり、やがて窓から差し込んでいた陽光が傾き始めても、寝台の上へ長い金色を宿した銀髪を広げて横たわる女が一度として身じろぎをする事は無かった。
呼吸もなければ胸が上下することも、眠りの浅さを示すような瞬きさえないその姿は、人間が見れば眠っているというより、とうに息絶えた死者のように見えただろう。
当然だった。彼女は生きていない。
全身に血潮がめぐることも、心臓の鼓動が脈打つこともない。そう、生きたことなど、一度もない。
リリィが一日のうち、自らに許している稼働時間は、およそ二時間。
朝、一時間ほど目を覚まし、自己診断を行い、長い髪を梳き、その日の身体がどこまで動くのかを確かめてから、窓の外を眺める。
それが、誰にも省みられる事のないリリィ自身のための時間であり、それを終えれば再び魔力炉の出力を最低限まで落とし、夜が訪れるまで深い休眠状態へ戻る。
そして、もう一度目を覚ますのは、午後十一時を迎える少し前。
エドアルドが来るからだ。
本来ならば夜の稼働も一時間程度に留めるのが望ましい。
そうすれば一日の二十二時間を休眠に充てることで、既に限界へ近づきつつある魔力炉への負担を可能な限り抑えることができる。
だが、彼がいつ部屋を出ていくかだけはリリィにも決められないため、話が長引けば二時間を超える日もあれば、彼が疲れていれば一時間にも満たない日もある。
けれど、その時間だけは削らなかった。削りたく、無かった。
むしろ削るのなら、自分一人で過ごす朝の方だった。
エドアルドが扉を開けたときには目を覚ましていたい。
きちんと髪を整えて、ローズの顔で笑って、彼が望む声で「遅かったじゃない」と迎えたい。
そのためならば、一日のほとんどを暗闇の中で失っても構わなかった。
午後十時三十分。
――起動時刻まで、三十分。
胸の奥で、それまで消え入りそうなほど小さく保たれていた魔力炉の光が、繊細に組み上げられた魔術式を淡く浮き上がらせる。
そうして、ゆっくりと魔力が体の中を巡って次々に「リリィ」を起動していく。
まず記憶領域。次に、思考領域。
続いて聴覚と触覚が戻り、最後に視覚が接続されると、二十二時間近い暗闇を経て、緑色の瞳が静かに開いた。
「……」
リリィは、しばらく天井を眺めていた。起動直後は、いつも少しだけ思考が鈍い。
自分が誰なのか、ここがどこなのか、今がいつなのか。
眠っているあいだに失ったものがないかを確かめるように、それらを一つずつ、自分の中から拾い上げていく。
識別番号、ED-00。
個体名称、リリィ。
製造者、エドアルド・ヴァレンティ。
そして、主命――ローズ・ヴァレンティとして振る舞うこと。
完全に覚醒したリリィは、寝台の上でしばらく自分の身体を確かめてから、ゆっくりと床へ足を下ろした。
右手を持ち上げ、一本ずつ指を曲げていくと、親指、人差し指、中指までは命令通りに動き、けれど薬指だけは昨日と変わらず微動だにしなかったため、内部を走査してみても魔力伝達系の反応は鈍いままだったが、少なくとも昨夜から急激に悪化した形跡はなく、続けて左脚、視覚、聴覚、魔力炉と順番に確認していけば、残存出力は三十一・八パーセント――昨日より〇・二パーセント低下しているものの、想定されていた範囲から外れるほどではない。
「……大丈夫」
最近、いつの間にか口にするようになった言葉だった。
誰かに聞かせる必要などないし、自分自身を安心させる必要だって、本来ならばない。
それなのに、僅かな異常を見つけるたびに同じ言葉が口をついて出るようになった。
その理由について考えかけて、リリィはすぐに思考を打ち切る。
魔導人形に、恐怖という感情は――。
「……」
考えなくていい、必要ない。それよりも、もうすぐエドアルドが来る。
リリィは寝台から立ち上がると、壁際に置かれた鏡台へ向かい、櫛を手に取って腰近くまで伸びた銀色の髪を丁寧に梳き始めた。
この髪が長いのは、ローズの髪が長かったから、それだけ。
エドアルドから聞いた話では、結婚した頃の彼女は腰ほどまで髪を伸ばしていたらしい。
だからリリィの髪も同じ長さに整えられ、鏡の中に映っている顔も、淡い緑色の瞳も、身長も体格も、声帯を模した共鳴器官から生まれる声さえも、残されていた記録をもとに可能な限り忠実に再現されている。
似ていて当然だった。
世界でも指折りの魔導具師が、五年という歳月と、正気のほとんどを費やして造ったのだから。
櫛を置いたリリィは、鏡の中にいる女を見つめた……エドアルドが愛した女が、そこにいる。
幼い頃から傍にいて、やがて妻となり、彼が世界で何より大切にしたという女――ローズ・ヴァレンティが、こちらを見つめ返している。
少なくとも、姿だけならば。
「……ローズ」
確かめるように名前を呼びながら鏡へ指先を触れれば、冷たい硝子の向こうから、まったく同じ顔をした女が同じように手を伸ばしてくる。
「ローズ」
もう一度呼んでも、当然ながら返事はなかった。鏡の中の女は、どこからどう見てもローズだった。
顔も、声も、髪も、瞳の色も同じ。
笑うときに僅かに目尻を下げる癖も、怒ったときに頬を膨らませる仕草も、紅茶へ蜂蜜を二匙入れることも、本を読むときには無意識に頁の端を指で撫でることも、リリィは知っている。
林檎が好きだったこと。雨の日が嫌いだったこと。寝起きが悪かったこと。
赤い薔薇を何より好んだこと。
そのほかにも、数え始めればきりがないほど多くのことを知っている。
どんな話をすれば喜ぶのか、何を言われれば怒るのか、どんなときに笑い、どんなときに夫を叱るのかさえ、五年間をかけて少しずつ覚えてきた。
けれど、そのどれもリリィ自身が覚えていることではない。
全て、エドアルドから聞いたのだ。
『昔、ローズがこう言った。』
『ローズはこれが好きだった。』
『ローズならこうした。』
『ローズはこんなふうに笑った。』
『ローズは……』
彼が懐かしそうに語るたびに一つずつ拾い集め、覚えて、真似て、次に同じような場面が訪れたときには間違えないよう記憶領域へ刻み込んでいった。
結果、今では本物のローズを一度も見たことがないはずのリリィの中に、一人の女を形作れるほど膨大な情報が蓄積されている。
それでも。鏡の中にいる女を見つめながら、リリィは思う。
これは、ローズではない。どれほど似ていても。
どれほど正確に振る舞えても。これはリリィだ。まがい物だ。レプリカだ。
ならば、二人を分けているものは何なのだろう。
人間をその人間たらしめるものが外見ではないのなら、記憶なのだろうかと考えたことがあった。
もしローズが生きていた頃の記憶をすべて自分へ移植することができたなら、その瞬間から自分はローズになれるのだろうかと仮定したこともあった。
だが、その問いに対してだけは、どれほど演算を重ねても、なぜか肯定を返すことができなかった。
たとえローズが見た景色をすべて見たとしても。ローズが感じた痛みを知っても。
ローズがエドアルドと過ごした年月を、そっくりそのまま記憶として与えられたとしても。
きっと、違う――理由は、分からない。
ならば、――私は?
ふいに浮かんだ問いに、リリィの思考が止まった。
ローズについてなら、いくらでも答えられる。
好きな食べ物も、嫌いな天気も、好きな花も、癖も、思い出も、愛した男の名前さえ知っている。だが、――リリィは、何が好きなのだろう。
「……」
答えが、なかった。
嫌いなものは?――分からない。
好きな色は?――分からない。
食べてみたいものは? 行ってみたい場所は? 見てみたいものは?
「……」
何一つ、分からなかった。答えをもたなかった。
胸の奥で何かが僅かに揺れたような気がして、リリィは反射的に魔力炉の状態を確認した。
だが、出力にも魔力循環にも異常は見つからず、では、今の感覚はどこから生じたものなのだろうと思考を走らせたが、突き詰めることが、なぜだか少しだけ怖かった。
鏡の中には、ローズがいる――完璧なローズが。
けれど、その姿の奥にいるはずのリリィについて、リリィ自身は何も知らない。
「……馬鹿ね」
だから、ローズの声で言った。
エドアルドから何度も聞いた、彼女ならきっとこんなふうに言うだろうという声音で、鏡の中の自分へ笑いかける。
「そんなこと、考えなくていいのよ」
鏡の中のローズも、同じように笑っていた。少しだけ眉尻をさげて困ったような、優しい微笑み。
「あなたは、ローズでしょう?」
違います。
「エドアルドの妻、でしょう?」
違います。
「エドアルドに、愛されているでしょう?」
――違います。
最後の否定だけが、ほんの少し遅れた。
「……」
なぜ遅れたのか、それすらも分からない。分からないことばかりだった。
だからリリィは目を伏せ、これ以上考えることをやめるように鏡から離れた。
考えても仕方がない。仕方がないから、考えない。
自分が何者なのかも、何が好きなのかも、先ほど胸の奥で揺れたものが何だったのかも、今すぐ答えを出す必要はない。
それよりも、彼が来る。もうすぐエドアルドが来てくれる。
そのことを思い浮かべただけで、それまで思考領域を占めていた輪郭のない雑音が、嘘のように静かになっていった。
今日も会える。
あと少しすれば十八重の封印が一つずつ解かれ、扉が開いて、聞き慣れた足音とともに彼がこの部屋へ入ってくる。
そして、自分を見る。灰青色の瞳にこの顔を映して、いつものように呼ぶのだろう。
『ローズ』と――それでいい。
自分が何者なのか分からなくとも。エドアルドがわたしを何者だと思っているのかだけは分かっている。
彼にとって必要なのはローズであり、自分はローズとして存在する為に造られたのだから。
そう、それさえ間違えなければ、ほかの答えなどなくても構わない。それだけで、
「……十分です」
ぽつりと零れた声だけは、ローズのものではなかった。
リリィ自身の声だった。
――午後十一時、いつもの時間。
十八重の封印が一つずつ解かれていく音がして、やがて扉の向こうから聞き慣れた足音が近づいてくる。
それまで鏡の前で自分が何者なのかなどと考えていたことが馬鹿らしく思えるほど、リリィの意識は自然と一人の男へ向けられた。
扉が開いた、男が笑う。いつもと同じ柔らかな笑みで口を開く。
「ローズ」
「遅かったじゃない、エドアルド」
いつも通りの声で、いつも通りに笑う。
エドアルドも僅かに表情を緩めて部屋へ入り、今日は王立魔導院から送られてきた魔力炉の設計書を見ていたのだと話したため、仕事、と聞いた瞬間、リリィは思わず目を見開いた。
昨日まで、何度勧めても仕事などする気にならなかったのに――今日、仕事をした。
「……珍しいこともあるものね」
「お前がしろと言ったんだろう」
「言ったけれど、本当にするとは思っていなかったわ」
「何だそれは」
失敬な、と言わんばかりの顔。それゆえに男が仕事をしたのは、本当なのだと理解し、リリィは笑った。
嬉しかったのだ。ほんの少しでも、彼が以前の生活へ戻ろうとしていることが。
それからしばらく他愛のない話をしているうちに、エドアルドがふと思い出したように、今日、西側の庭で薔薇が咲いているのを見たと言った。
「薔薇?」
「ああ。赤だ」
「赤……」
「見たいか?」
そう問われて、リリィは口を開きかけた――答えは知っている。
ローズは薔薇が好きだった。
とりわけ赤い薔薇を好み、幼い頃からそれだけは変わらなかったのだと、エドアルドから何度も聞いている。
だから、見たい、と言えばいい……それだけのことだった。
けれど、なぜかその瞬間、頭に浮かんだのは鮮やかな赤ではなかった。
窓の向こうの、庭の片隅。
誰かが植えたわけでも無い。庭師型の魔導人形に世話をされているわけでも無い。
それでも、春になると決まって同じ場所へ咲く、名前も知らない小さな白い花。
「……白い花」
「ん?」
エドアルドの声で我に返った。リリィは瞬きをする。
「……何でもないわ」
「白い花がどうした?」
「本当に何でもないの。ただ、白い薔薇も咲いているのかなって」
「ああ、白薔薇か」
それならば、とエドアルドは納得しかけたものの、すぐに不思議そうに眉を寄せた。
「だが、お前は赤い方が好きだろう」
「……そうね」
「白い花は葬式みたいで嫌だと、昔から言っていたじゃないか」
ほんの一瞬。リリィの指が止まった。
知らなかった。赤い薔薇が好きだったことは知っている――けれど、白い花が嫌いだったことまでは知らなかった。
ローズについて知っていることは、すべてエドアルドから与えられた情報でしかない。
それ故に、どれほど集め、どれほど正確に覚えたところで、生きていた一人の人間のすべてを再現できるはずなどないのだ。
そんな、当然の事実が、こんな些細な会話の中でぴしりと自分とローズのあいだの細い亀裂となって走った。
「……覚えていないのか?」
男の、僅かな違和感を含んだ声――まずい。
間違えた。そう判断した瞬間には、もう笑っていた。
「覚えているわよ。少し気が変わっただけ」
「気が変わった?」
「人間なんだから、好みくらい変わるでしょう?」
口にしてから、その言葉だけが妙に耳へ残った。
――人間なんだから。
自分で言ったくせに、胸の奥に小さな異物を呑み込んだような感覚が残った。
だが、幸いエドアルドはそこに気づかず、五歳の頃から赤い薔薇ばかり好きだった女が今さら、と可笑しそうに言っただけだった。
「もう。だったら赤でいいわ」
「拗ねるな」
「拗ねてない」
顔を逸らし、僅かに頬を膨らませる――ローズは怒るとこうした。
エドアルドから聞いた通りに振る舞えば、彼はそれ以上疑うことなく、むしろ悪かったとでもいうようにリリィの頭へ手を置いた。
「明日、持ってきてやる」
「……赤い薔薇?」
「ああ」
「ありがとう」
嬉しかった。彼が自分のために花を持ってきてくれる。
その事実だけで嬉しいはずなのに。
その喜びの奥深くで、名前をつけられない小さな寂しさがゆらゆらと沈んでいく。
白い花が好き。たった、それだけ。
誰にも教えられていない、ローズから借りたものでもない。
さっき鏡の前で「わたしは何が好きなのだろう」と考えても何一つ答えられなかった『リリィ』が、おそらく初めて見つけた、自分だけの『好き』。
それを自分で隠した。
「……ローズ?」
「何?」
「いや。何でもない」
エドアルドは一瞬だけ不思議そうに彼女を見たものの、やがて気にするのをやめたらしく、そのまま何気なく髪を撫でた。
温かい手だった。
その温度に目を細めながら、リリィは話題を変えるように、そういえば、と口を開く。
「今日、ちゃんと朝ご飯は食べた?」
「ああ」
「……本当に?」
「食べた」
「全部?」
「ほとんど」
リリィは目を丸くした。仕事をした、朝食も食べた。
昨日、自分が彼にしてほしいと願ったことを、彼は二つもしてくれた。
そのことが思っていた以上に嬉しくて、先ほどまで胸の底へ沈んでいた寂しささえ一瞬忘れてしまうほど気持ちが弾んだ。浮かれていた。
だから、その言葉は考えるより先に零れた。零れて、しまった。
「マスター、偉いです」
――空気が、凍った。
「……」
リリィは笑ったまま、動けなかった。
何を言った?――いま、わたしは。
エドアルドの手が、髪の上で止まっている。
つい先ほどまで穏やかな温度を伝えていた指先が、そこに置かれたまま微動だにせず、やがてゆっくりと離れていく。
その僅かな動作だけで、部屋の空気から何かが急速に失われていくのが分かった。
「……今」
低い声だった。リリィの魔力炉が大きく脈打つように出力を上げる。
「何と呼んだ?」
顔を上げる。灰青色の瞳が、こちらを見ていた――凍てついたような瞳。
ほんの数秒前まで自分を撫でていた男と同じ人間だとは思えないほど、その目から柔らかさが消えている。
怖い――その認識が、今度は誤魔化しようもないほど明確に生まれた。
「……何のこと?」
笑った。ローズの笑顔で。
「私は、エドって呼んだでしょう?」
「違う」
即座に返された。反論を許さない、命令する事に慣れた、冷たい声。
「聞き間違いよ」
「俺が聞き間違えると思うか?」
「疲れているのよ、きっと」
「ローズ」
名前を呼ばれた。リリィは反射のように微笑んでみせた。
「なあに?」
「……」
けれど、エドアルドは答えない。ただ、見ている。
リリィを、いや――リリィの向こう側に、何か別のものを探すように。
「お前は……」
言葉が途切れ、灰青色の瞳が僅かに揺れた。
その奥で、長いあいだ閉ざされていた堅固な扉が、ほんの少しだけ開きかけたように見えた。
五年前。
工房、魔法陣、冷たい身体、動かない心臓、白い薔薇、棺、土に埋められていく――ローズは、どこだ?
「……っ」
ぐらりと足元から何かが崩れるような感覚がして、男が頭を押さえた。
「エド!」
リリィは反射的に手を伸ばした――ぱしん!
「触るな!」
乾いた音がした。伸ばした手を、強く払われたのだと理解するまでに、一瞬の間があった。
二人とも動かなかった――否、動けなかった。
エドアルド自身も、自分が何をしたのか信じられないように、女を払った手を見つめている。
振り払われた手が痛かった。けれど、それよりも……彼が壊れる方が怖かった。
「……大丈夫」
リリィは、もう一度微笑んだ。優しく穏やかな、いつも通りの微笑み。
今度こそ――完璧なローズとして。
「大丈夫よ、エド」
「俺は……」
「疲れているのよ」
彼の前へ膝をつき、逃げかける灰青色の瞳を追うように顔を覗き込む。
「私を見て」
「……」
「ねえ、エドアルド。私を見て」
ゆっくりと。暗い淵にいた彼の瞳が戻ってくる。
リリィは微笑んだ。何百回も、何千回も練習した。
彼のために覚えた、ローズの笑顔で。
「私は誰?」
「……」
「ねえ。私は誰?」
長い、長い、沈黙のあと、男が溜息のように「ローズ」と口にした。
「そう」
リリィは微笑んだまま、彼の頬へ手を添える。暖かな体温が伝わってくる。彼は生きている。
「私はローズ」
今度は間違えない。間違える訳にはいかない。わたしは、ローズ。
「あなたの妻」
「……ローズ」
「ええ」
「ローズ」
「ここにいるわ」
次の瞬間、強く抱きしめられた。内部骨格が軋むほど強い腕だったけれど、リリィは何も言わず、その震える背中へ腕を回した。
「ここにいるわ」
「ああ」
「私は生きている」
「ああ」
「どこにも行ってないの」
「……ああ」
震えている。
マスターが――否、エドアルドが、だからリリィは、その背中をゆっくりと撫でた。
大丈夫。大丈夫よ……何度でも繰り返して、何度でもそう思わせればいい。
自分がローズであり続けることで、この人が壊れずに済むのなら。
「大丈夫よ、エド」
嘘をつく、何度でも、繰り返し、繰り返し、わたしは、嘘を吐く。
「私は、ここにいるから」
そして今度は、二度と間違えなかった。




