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醜男だった俺が、男女比1:500の世界で王と呼ばれるまで  作者: きなこもち
第3章 『王じゃなくて、朔也として・・・』

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「断らなきゃいけない」

 


 冬月書房を出たあとの夜は、妙に静かだった。


 街の灯りはある。

 人もいる。

 スマホには相変わらず通知も来る。


 それなのに、今までみたいに何かへ飛びついて埋めようという焦りが、少しだけ薄い。

 代わりに、別の重さが胸の奥へ沈んでいた。


 断らなきゃいけない。


 その言葉が、ようやく自分の中で形を持ち始めている。


 玲奈にも。

 麗華にも。

 紗良にも。

 そして、名前をつけることすら曖昧にしてきた女たちにも。


 これ以上、曖昧な熱だけ返して、そのたび少し優しくしたり少し欲しがったりして、相手の期待をつないでいくのは、もうだめだ。


 遅い。

 遅すぎる。

 それでも、今ここで止めないと、たぶんもっとひどくなる。


 スマホが震える。


 玲奈だった。


 **会いたい**


 少し間を置いて、続けて。


 **ちゃんと話したい**


 その文面を見た瞬間、胸の奥が重くなる。


 玲奈から先だ、と思った。

 順番なんてないのかもしれない。

 でも、自分の中では、先に向き合うべきなのは玲奈だった。


 いちばん熱くて、いちばんまっすぐで、そしていちばん傷つけてきた相手だから。


 ◇


 待ち合わせた玲奈は、珍しく最初から笑っていなかった。


 泣いてもいない。

 怒ってもいない。

 ただ、まっすぐ見てくる。


 それが一番つらい。


「来てくれたか」


 玲奈が言う。


「…呼ばれたし」


「うん」


 それだけ言って、少しだけ視線を落とす。


 カフェの窓際。

 周囲には普通の客がいて、空気は静かだ。

 少し前なら、こういう場所に玲奈といれば、どこかで二人きりになれるかどうかばかり考えていた。

 今は、そんなことを考える余裕すらない。


「ねえ」


 玲奈が先に口を開いた。


「今日はたぶん、わかってるよね」


 逃げ道のない問いだった。


「…うん」


「そっか」


 玲奈は一度だけ頷いた。

 その頷き方があまりにも静かで、朔也の喉が詰まる。


「私さ」


 玲奈はストローを指先でいじりながら言う。


「ずっと、このまま押してたら何とかなるって思ってた」


「…」


「朔也くん、欲しがるのもわかりやすいし、女の体見てちゃんと興奮するし、そういう意味ではすごく正直だったから」


 そこで、少しだけ笑う。


「だから、最後も延長線にあるのかなって」


 違うとは、もう言えない。


 熱は本物だった。

 玲奈の体を欲しいと思ったのも嘘じゃない。

 首筋も、胸元も、声も、何度も欲しいと思った。

 でも、その“本物”だけではもう足りないところまで来てしまった。


「…ごめん」


 また謝ろうとして、玲奈がすぐに首を振る。


「今日はそれ先に言われると、ちょっと腹立つ」


「…」


「謝る前に、ちゃんと言って」


 まっすぐだ。

 ほんとうに。


 朔也はテーブルの上の手を握った。


「玲奈のこと、欲しいと思ったのは本当だよ」


 それが最初の言葉になった。


「今も、たぶん会えば普通に欲しいと思う」


 玲奈の睫毛が少し揺れる。


「でも」


 その先が、何より苦しい。


「それだけじゃなくなった」


 玲奈は何も言わない。

 逃げずに聞いている。

 そのことが、余計に痛い。


「誰かに欲しがられることとか、自分が欲しがることとか、そういうのでずっと埋めてきたけど」


 言葉を選びながら、でも逃げずに続ける。


「玲奈のことも、その中に混ぜたまま抱いてた時がある」


 そこで玲奈の指先がきゅっと止まった。


「…うん」


 声は小さい。

 でも、崩れてはいない。


「それ、わかってた」


 その一言で、胸の奥がさらに重くなる。


「わかってたけど、私が勝てるかもって思ってた」


「玲奈」


「だって、ちゃんと欲しかったでしょ。私のこと」


「…うん」


「だから、そのうち熱だけじゃなくなるかなって」


 玲奈はそこで一度だけ息を吐いた。


「でも、違った」


 その“違った”は静かだった。

 泣き叫ぶより、ずっと痛い。


「違ったっていうか」


 玲奈が、少しだけ笑おうとして失敗する。


「もっと先に、別のものができちゃってたんだよね」


 名前は出ない。

 でも、もうお互いわかっている。


「…ごめん」


 今度は、止められなかった。


 玲奈は目を閉じる。


「うん。ごめんで合ってると思う」


 その受け止め方が、優しすぎて余計に苦しい。


 しばらく、どちらも何も言わなかった。

 カフェのざわめきだけが、やけに遠い。


「私さ」


 やがて玲奈が言う。


「朔也くんの、ああいう下品なとこも好きだったよ」


 不意打ちだった。


「…何だよそれ」


「だって本当だもん」


 玲奈は少しだけ目を細める。


「女の体見て、ちゃんと興奮して、欲しがって、こっちの反応で余計に熱くなるとことか」


 そこまで言われると、逆に何も返せない。


「この世界だと珍しいし、たぶん私はそれにすごく弱かった」


 玲奈は笑う。

 今度は、ちゃんと少しだけ笑えた。


「だから余計に悔しい」


「…」


「でも、好きだったのは本当だから、そこは消したくない」


 その言葉は、救いであると同時に罰でもあった。


 玲奈は、自分との時間まで全部汚したくないのだ。

 最低だった部分も含めて、本当だったと残そうとしている。


 朔也には、それが眩しすぎた。


「…俺、お前のこと傷つけたな」


「うん」


 即答だった。


「でも、今ちゃんと断ってくれるなら、それでいい」


 玲奈はそこで、まっすぐこちらを見た。


「もう、欲しいからって来ないで」


 その一言が、決定的だった。


「会えば、たぶん私もまた欲しくなるし、朔也くんもたぶん欲しくなる」


「…」


「でも、その先にちゃんと行かないなら、もういらない」


 まっすぐ。

 最後まで、玲奈はまっすぐだった。


「…わかった」


 やっとそれだけ言う。


 玲奈は、少しだけ寂しそうに笑った。


「うん」


 それきり、会話は長く続かなかった。

 玲奈は最後に一度だけ「じゃあね」と言って立ち上がる。

 その背中を見送りながら、朔也は初めて、ひとつ断れたのだと実感した。


 熱くて、明るくて、まっすぐだったものが、ちゃんと終わった。


 ◇


 麗華とは、もっと静かだった。


 場所も、いつもの高い部屋ではない。

 外が見えるホテルのラウンジ。

 夕方の光が窓へ薄く差し込んでいる。


 麗華は最初から、何もかもわかっている顔だった。


「いらっしゃい」


「…うん」


「今日は抱かれに来た顔じゃないわね」


 その一言で、朔也は少しだけ苦く笑った。


「全部わかるんだな」


「ええ」


 麗華は紅茶へ口をつける。


「だって、今まで見ていたもの」


 その言い方は、やっぱり大人だ。

 責めるより先に理解が来る。

 理解されるほど、余計に痛い。


「…終わりにしようと思ってる」


 朔也が言うと、麗華は静かにカップを置いた。


「そう」


 それだけ。


「驚かないんだ」


「いずれそうなると思っていたから」


 少しだけ目を細める。


「あなたは、ここへ熱を持って来るたびに、同時に少しずつ胸の中が冷えていたもの」


 その言葉も、やっぱり図星だった。


「私のこと、欲しかった?」


 麗華が聞く。


「欲しかった」


 そこに嘘はない。


「今も、たぶん見れば普通に欲しくなる」


「でしょうね」


 麗華はあっさり頷く。


「私も、あなたに欲しがられるのは嫌いじゃなかったわ」


 その言葉に、少しだけ胸が痛む。


「でも」


 麗華が続ける。


「それと、最後に選ばれることは違うもの」


「…」


「そして、曖昧なまま抱かれ続けるのは、やっぱり嫌」


 前にも言われた言葉だ。

 でも今は、それが完全に終わりの線になっている。


「…ごめん」


 言うと、麗華は少しだけ笑う。


「あなた、本当にそれが癖ね」


「…」


「でも今は、その謝罪もたぶん本物なのでしょう」


 責めるでもなく、慰めるでもなく、ただ事実みたいに言う。


「だから受け取るわ」


 その受け取り方が、また痛い。


「お前はほんとに強いな」


 思わず言うと、麗華は首を傾げた。


「強いわけではないわ」


「そうか?」


「ただ、綺麗に終わらせたいだけ」


 それができるのが、やっぱりこの女の強さなのだと思う。


「最後にひとつだけ」


 麗華が言う。


「何」


「私はあなたを王として欲しかったわけではないのよ」


 少しだけ、間を置く。


「桐生朔也としても、ちゃんと魅力的だった」


 その言葉が、今まででいちばんまっすぐ刺さった。


 希少な男だから。

 そういう世界の補正だけではなく、自分そのものにも欲を向けられていた。


 その事実を、今になって受け取るのは重すぎる。


「…ありがとう」


 それしか言えなかった。


 麗華は最後に、いつも通り綺麗に微笑んだ。


「ええ。さようなら、ではなく」


 紅茶の向こうで目を細める。


「お元気で」


 それが、この女なりの終わらせ方だった。


 ◇


 紗良とは、もっと生々しかった。


 麗華のあと、部屋へ戻る。

 リビングには紗良がいた。

 いつも通りのスーツ。

 いつも通りの姿勢。

 でも、ここへ帰ってくるたびに、この女とだけは“いつも通り”がどこにもない。


「お帰りなさい」


「…ただいま」


 少しの沈黙。


 紗良はすぐにはこちらを見なかった。

 それが逆に、今日の話の重さをはっきりさせている。


「玲奈さんと」


 紗良が言う。


「麗華さんとは、話したんですね」


 朔也は少しだけ驚く。


「何で」


「顔です」


「便利だな」


「ええ」


 そこでようやく、紗良がこちらを見た。


「それで、私ですか」


 逃げ道のない聞き方だ。


「…うん」


「そうでしょうね」


 紗良は端末を机へ置いた。

 立ち上がる。

 長身の影が少し近づく。


「何を言うつもりですか」


「終わりにしたい」


 自分で言って、喉がきしむ。


 紗良の目が、ほんの少しだけ揺れた。

 怒るかと思った。

 でも最初に来たのは、怒りではなく、深い疲れみたいな表情だった。


「そうですか」


「…怒らないのか」


「怒っています」


 静かな即答。


「でも、今さら大きく見せる気はありません」


 そう言われると、余計に苦しい。


「お前のことも」


 朔也が続ける。


「欲しかったのは本当だ」


「でしょうね」


「でも、その中に、俺が上に立てる証拠みたいなものを求めてた時があった」


「知っています」


 またそれだ。

 知っている。

 見抜かれている。

 その上で、ここまで来ている。


「…ごめん」


 紗良は少しだけ目を閉じた。


「本当に、その言葉が好きですね」


「好きで言ってるわけじゃない」


「でしょうね」


 そして、まっすぐにこちらを見る。


「でも、謝られるたびに軽くなる気がしているなら、それはまだ甘いです」


 鋭い。

 でもその鋭さが、今は必要だった。


「じゃあどうすればいい」


「私に聞かないでください」


 きっぱりと言う。


「自分で決めて、自分で背負ってください」


 その通りだ。


 玲奈にも。

 麗華にも。

 そして紗良にも。

 自分はこれまで、誰かの熱の中で判断を先延ばしにしてきた。


 もう、それはできない。


「…お前には」


 朔也が言う。


「ひどいことしたな」


「はい」


 紗良は頷く。


「でも、それ以上にひどいのは、そこへ自分で気づくのが遅かったことです」


 胸へ刺さる。


 たしかにそうだ。

 最低なことをしただけじゃない。

 その最低さを、自分の快楽が濁り始めるまでちゃんと見ようとしなかった。


「…もう、逃げ道にしない」


 それだけは、ようやく言えた。


 紗良は数秒黙ってから、わずかに息を吐く。


「そうしてください」


 怒鳴りもしない。

 泣きもしない。

 でも、その静かさの中に、最後まで残る痛みがある。


「お前は」


 朔也が聞く。


「俺のこと、まだ嫌いにならないのか」


 紗良はほんの少しだけ眉を動かした。


「その質問、ずるいですね」


「…」


「嫌いになれたら、もう少し楽だったのでしょう」


 その答えが、思ったよりも重かった。


 紗良もまた、ちゃんと感情を持っていた。

 持ったまま、ここまで来ていた。


「だからこそ」


 紗良が続ける。


「ここで終わらせるのは、必要です」


 必要。

 この女がその言葉を使う時は、だいたい正しい。

 今も、たぶんそうだ。


 しばらく、どちらも動かなかった。

 やがて紗良が視線を外し、書類を手に取る。


「今日は、もう休んでください」


「…うん」


「顔色が最悪です」


「最後までそれかよ」


「事実です」


 少しだけ、いつものやり取りに近い。

 でも、同じではない。


 これで終わったのだと、ちゃんとわかる距離がそこにあった。


 ◇


 夜更け、朔也は一人でリビングに座っていた。


 玲奈を断った。

 麗華とも終わらせた。

 紗良にも線を引いた。


 “断る”なんて簡単な言葉で済ませていいほど軽くはない。

 失くしたのは、相手の期待であり、熱であり、たぶん少しずつ芽生えていた感情そのものだ。


 そして、それを終わらせたのは自分だ。


 部屋は静かだった。

 前に感じていた静けさより、もっと重い。

 本当に誰の熱もない静けさ。


 ここまで来て初めて、朔也は自分がハーレムの中心にいたことの意味を思い知る。

 女たちに囲まれ、欲しがられ、その熱を受け取りながら、自分も欲しがることで、ずっと一人でいることを見ないようにしてきた。


 今は、その熱がない。


 だから、やっと本当の孤独が来る。


「…っ」


 息が詰まる。


 苦しい。

 でも、この苦しさから逃げたら、また同じことの繰り返しだ。


 スマホを手に取る。

 通知は減っていた。

 いや、来ていても開ける資格がないだけかもしれない。


 そして、その画面を見つめたまま、朔也は最後にひとつだけはっきり理解する。


 今、自分が会いたいのは。

 熱をくれる女じゃない。

 欲しがってくれる女でもない。

 そう気づけたから・・・



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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