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醜男だった俺が、男女比1:500の世界で王と呼ばれるまで  作者: きなこもち
第3章 『王じゃなくて、朔也として・・・』

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「欲しかったのは、お前じゃなくて」

 

 霧島紗良は、ここ数日ずっと静かだった。


 元々、よく喋る女ではない。

 必要なことだけを言う。

 余計な感情は、できるだけ表へ出さない。

 それがこの女の基本形だ。


 でも、今の静けさは少し違う。


 玲奈のことも、麗華のことも、たぶんもう薄くは知っている。

 朔也の顔を見れば、今どの程度乱れていて、どの程度冷えているかも、おそらく読めてしまう。


 それでも紗良は何も言わない。

 管理も、牽制も、説教も、前より少ない。


 その“何も言わなさ”が、逆にいちばん重かった。


 リビングで向かい合っていても、紗良は端末や書類へ視線を落としたままだ。

 こちらを見ない。

 必要以上に近づかない。

 まるで、自分から一歩だけ距離を引いたような空気がある。


「…何だよ」


 気づけば、朔也のほうが先に口を開いていた。


 紗良は手を止める。


「何がです」


「最近、お前」


 言いかけて、うまく言葉がまとまらない。


 最近お前、静かだな。

 最近お前、避けてるだろ。

 最近お前、前みたいに来ないよな。


 どれも、少し違う。

 でも本質は同じだった。


 紗良がこちらを見る。


「続けてください」


「…別に」


「便利な言葉ですね」


「お前が言うな」


 返したところで、紗良はまた視線を落とした。

 その冷たさに、妙に腹の底がざわつく。


 玲奈に対しては、欲しいと思う。

 麗華に対しては、崩したいと思う。

 紗良に対しては、そのどちらとも少し違う何かがある。


 近いのに遠い。

 崩れたのを知っているのに、またすぐ元へ戻る。

 その戻り方まできっちりしているから、余計に腹立たしい。


 そして、その腹立たしさの下に、たぶん欲がある。


「…避けてるだろ」


 とうとう、そのまま言った。


 紗良の指が止まる。


「誰が」


「お前が」


「避けていません」


「嘘つけ」


「嘘ではありません」


 その即答が、むしろ本当じゃない時のやつだと思った。


「前みたいに近くに来ないし」


「必要な距離にはいます」


「そういう言い方じゃなくて」


「ではどういう言い方なら」


 またそれだ。


 こういう、会話を言葉の端で閉じてくるところ。

 そのくせ本当にどうでもいいわけではないのが、余計に厄介だった。


「…お前、怒ってるのか」


 紗良は少しだけ沈黙した。


「怒っている、の定義によります」


「その返しやめろよ」


「曖昧な質問なので」


「じゃあはっきり聞く」


 朔也はソファから立ち上がる。

 紗良は座ったままこちらを見た。


「俺に、むかついてる?」


 少しの沈黙。


「はい」


 即答だった。


 その一言が、思ったより深く刺さる。


「…そこは早いんだな」


「聞かれたので」


「何で」


「ご自分でわからないんですか」


 その声には、珍しく少しだけ棘があった。


 玲奈は傷ついてもまっすぐだった。

 麗華は見抜いても静かだった。

 紗良は、たぶん今、そのどちらとも違う場所にいる。


「…わかるけど」


「では聞かないでください」


「いや、でも」


「でも?」


 そこで、朔也は少しだけ言葉に詰まる。


 何を言えばいい。

 ごめんと言えば、またそれで済ませようとしていると思われる気がする。

 黙れば、それこそ何も伝わらない。


「お前が、最近」


 やっと出た言葉はひどく鈍い。


「離れると、なんか腹立つ」


 言ってから、自分でも何を言ってるんだと思う。


 でも紗良は笑わなかった。

 ただ、ほんの少しだけ目を細める。


「勝手ですね」


「知ってる」


「本当に」


 紗良は立ち上がった。


 その動作だけで空気が張る。

 長身。

 真面目なスーツ。

 首筋は今日もきっちり隠されている。

 でも、その“隠している”感じが、今の朔也には余計に煽りだった。


「あなたは」


 紗良が静かに言う。


「今まで、自分が欲しい時だけこちらへ手を伸ばしてきた」


「…」


「玲奈さんにも、麗華さんにも、たぶん他の人にもそうでしょう」


 返せない。


「そのうえで、自分から少し距離を取られると腹が立つ」


 低い声。


「ずいぶんと都合がいい」


 図星だった。


 図星すぎて、腹が立つ資格すらない。

 でも、その図星の上に乗るみたいに、別の感情もある。


 欲しい。

 紗良に近づきたい。

 その冷たい顔を少しでも崩したい。


 そこに自分の勝手さが混じっているのも、もうわかっている。


「…じゃあ、どうすればいいんだよ」


 自分でも情けない声だった。


 紗良は数秒、黙ってこちらを見ていた。


「そんなこともわからないなら」


 そこで少しだけ息を吐く。


「もう手を出さないでください」


 その言葉が、予想以上に強く刺さった。


 もう手を出さないで。


 それは正しい。

 たぶん、いちばん正しい。


 でも、その正しさのせいで、逆に腹の奥が熱を持った。


「…無理」


 ぽつりと出た言葉に、自分で少し驚く。


 紗良の目が揺れる。


「何がです」


「お前に、もう手出さないの」


 空気が、一瞬で変わった。


 ここで黙って引ければよかったのかもしれない。

 でも、引けない。


 玲奈とも麗華とも違う。

 紗良には紗良で、別の欲がずっとある。

 真面目な顔。

 硬い声。

 管理だ職務だと言いながら、近くにい続けた女。


 その女に「手を出すな」と言われると、逆に余計に出したくなる。


「…最低ですね」


 紗良が言う。


「知ってる」


「何度目でしょう、その返答」


「わかんない」


 言いながら、朔也は一歩踏み出していた。


 紗良は下がらない。

 下がらないが、迎えにも来ない。

 だから距離は自分で詰めるしかない。


「来ないで」


 紗良が低く言う。


「本気で?」


「…」


「本気で嫌なら、ちゃんと言えよ」


 そこまで言った瞬間、自分で吐き気がした。


 何だそれ。

 相手が拒みきれないのをどこかで知っていて、そこへ踏み込んでいる。

 それは、もうかなりひどい。


 でも、止まらない。


 紗良の呼吸が少しだけ浅くなる。

 それを見た瞬間、欲のほうがまた勝つ。


「…そんな顔するなら」


 朔也は手を伸ばした。


 最初に触れたのは、いつかと同じ手首だった。


「っ」


 紗良の体が揺れる。


 やっぱりここだ。

 冷たい顔をしていても、女の反応はちゃんとある。


「離して」


「嫌だ」


「…」


「お前が最近距離取るの、むかつくから」


 我ながらひどい言い分だった。

 でも、本音だった。


 紗良の手首を引く。

 体が近づく。

 胸元と胸元の間にほとんど隙間がなくなる。


「勝手すぎる」


 紗良の声が掠れる。


「知ってる」


「あなたはいつも…」


「いつも何だよ」


「欲しい時だけ」


 その一言が、胸へ刺さる。


 でも、刺さったまま止まれない。


「…今も欲しいよ」


 口に出した瞬間、紗良の睫毛が揺れた。


「首も、声も、そうやって我慢してる顔も」


「…っ」


「だから無理」


 最低な告白だと思う。

 でも、それが今の朔也の本音だった。


 紗良は目を逸らしかけて、逸らしきれないまま朔也を見た。


 怒っている。

 たぶん本当に。

 でも、その怒りの底に別の熱もあるのが見える。


 それがまた、たまらなく厄介だ。


「…わかって言ってるでしょう」


 紗良が言う。


「何が」


「そういうことを、私に」


「わかってるよ」


「なら、なおさら最悪です」


「知ってるって」


 その返しと同時に、朔也は紗良の首筋へ顔を寄せた。


「っ…!」


 久しぶりにそこへ触れた途端、紗良の全身がはっきり震える。


 やっぱり。

 ここは今でも弱い。


 耳の下。

 襟元から少しだけ覗く肌。

 そこへ口づけると、紗良の指が朔也の腕へ食い込んだ。


「…やめて」


「本気で?」


「…」


 答えない。


 その沈黙を、朔也はまた都合よく解釈する。

 本当に最低だと思う。

 でも、その最低さが今はもう自分の一部だ。


「紗良」


「呼ばないでください」


「じゃあ何て呼べばいい」


「今は何も」


「無理」


 そのまま、もう一度首筋へ唇を落とす。

 紗良の呼吸が崩れる。

 崩れたまま、それでも理性で立っていようとする感じが、余計に欲を煽った。


 朔也の手が、今度は腰へ回る。

 スーツ越しでもわかる細さ。

 引き寄せると、紗良が小さく息を呑む。


「…っ」


「またそうなる」


「最低…」


「知ってる」


「本当にそれしか」


 最後まで言わせず、朔也はキスした。


 紗良の唇は、最初かたく閉じている。

 でも押し切ると、少し遅れて熱が漏れる。

 受け入れるのが遅いぶん、一度崩れると戻りにくい。


 玲奈とは違う。

 麗華とも違う。

 この女は、“崩した”手応えが一番重い。


 そこへ酔う自分がいる。


「…ん、っ」


 ついに漏れた小さな声に、腹の底が熱くなる。


 そのままソファへ押し込む。

 紗良の髪が少し乱れる。

 シャツの襟元がずれる。

 そこへ視線が落ちる。


 欲しい。

 もっと見たい。

 もっと崩したい。


 その欲に従って、手が胸元へ伸びる。


「っ…」


 服の上からでも、そこにある形はわかる。

 掌で確かめるみたいに触れると、紗良の声がまた崩れた。


 その瞬間。


 不意に、朔也の中で何かが引っかかった。


 この感覚、何だ。


 紗良を欲しい。

 それは本当だ。

 でも、その本当さの下に、別のものがある。


 征服。

 確認。

 自分がまだ“男として上に立てる”証拠みたいなもの。


「…」


 手が止まる。


 紗良が、乱れた呼吸のままこちらを見る。


「どうしたんです」


 その問いに、朔也はすぐ答えられなかった。


 崩したかった。

 ずっとそう思っていた。

 でも、それは紗良そのものを求めていたというより、この真面目で硬い女を崩せる自分を見たかっただけなんじゃないか。


 そう思った瞬間、急に吐き気みたいなものが込み上げる。


「…最悪だ」


 思わず口に出る。


「何が」


 紗良の声はまだ熱を含んでいる。

 でも、朔也の中では熱と一緒に別のものが広がり始めていた。


「俺、お前が欲しかったんじゃなくて」


「…」


「自分が、そうできるって証拠が欲しかっただけかもしれない」


 言った瞬間、空気が凍る。


 紗良の表情から、熱がすっと引いていくのがわかった。


「…っ」


 その顔が、玲奈とも麗華とも違う種類で痛い。


 紗良はゆっくりと朔也の手を外した。

 乱れた襟元を直す。

 呼吸を整えようとする。

 でも、その指先が少し震えているのが見えた。


「…最低ですね」


 今度のそれは、本当に冷たかった。


「紗良」


「今さら名前を呼ばないでください」


 低い声。


「何を気づいたみたいな顔で言ってるんですか」


「…」


「最初からそういう部分があったでしょう」


 返せない。


「あなたは、欲しい時だけ近づいて」


 紗良が立ち上がる。


「そのうえで、今度は“自分の男性性の確認”だったかもしれない、ですか」


 言葉が鋭い。

 でも、全部その通りだ。


「ふざけないでください」


 初めて、紗良がちゃんと怒った。


 声を荒げているわけではない。

 でも、その静かな怒りのほうがよほど重い。


「私は、あなたの便利な証明じゃない」


 その一言が、真正面から胸へ刺さる。


「…ごめん」


 反射みたいに出た謝罪に、紗良の目がいっそう冷える。


「だから、それですませないでください」


 前に玲奈にも言われた。

 麗華にも見抜かれた。

 それでも、自分はまた謝っている。


「もう」


 紗良が一歩引く。


「都合のいい逃げ道にしないでください」


 その言葉を残して、紗良は寝室のほうへ消えた。


 ドアが閉まる。


 リビングに残るのは、乱れた空気と、自分の呼吸だけだ。


 朔也はソファへ崩れるように座り込んだ。


 首筋も、手のひらも、まだ熱を覚えている。

 なのに、その熱の上へ、急速に自己嫌悪が広がる。


「…ほんと、何やってるんだよ」


 今度は、前よりずっとはっきり思った。


 自分は玲奈を傷つけた。

 麗華にも見抜かれた。

 そして紗良には、いちばんひどい形で自分の最低さを突きつけた。


 もう前みたいに、熱だけでごまかせる段階じゃない。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

もし作品を気に入っていただけましたら、

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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