第50話「弾けろ、世界!!」
「あたしは……怖いと思っちゃったから。海獣になったカイのこと」
思わぬ一言に目を見張る。
そんな素振り、一切見せなかったのに……?
絵具を一滴落とすような憂いた微笑みに、ミオの瞳に涙の膜が張った。
今にも泣きそうなミオを見て、エルダは困ったように浮かんだ涙の粒を指で掬った。
同じ人を好きになった。
いがみ合う関係になってもおかしくなかったのに、どこまでも懐が深く、慈愛に満ちたエルダにミオは“孤独だった自分”はもういないと実感を得た。
二人が心を通わせる姿に、キアーラは目元を赤くし、鼻をすするとミオの手をしっかりと握り返す。
「がんばりすぎないでね! 私だって姫だもの! 妹姫に任せっぱなしは恥ずかしいわ!」
ムッとへそを曲げた表情に、ミオははじめて“家族”の愛情を知った。
「うん。ありがとう」
この姉が好きだ。
キツイ一面もあるが、ミオを愛してくれている。
だからミオも愛を返したい。
優雅に海に流れを生み出す尾をぼぅっと眺め、ミオは自分の色を想像した。
怖いばかりだった海は旅を通じて好きに変わった。
泳げないままだが、手を引かれている分には心地よい。
揺られる気分で足を動かすと、波をかきわける感覚で胸の中にあたたかいものが広がった。
「ここが人魚の王が住む場所」
珊瑚がいくつも重なり作られた巨大なアーチ。
海藻や空の貝殻で作られた海の城は魚たちが出入りし、何万匹もの数が舞いを踊って穏やかな波の流れを生みだしていた。
「王にはミオが来ることを伝えてある。……あんなことにならなければもっと穏便に進められたが」
「いい。別に仲良しこよしをしに来たわけじゃないから」
ミオの目的はただ一つ。
カイを助けることだ。
海獣になる運命を壊すため、人魚の王に会いに行く。
キアーラがミオに苦々しい視線を向けた後、目を反らして憂いを帯びた息を吐いた。
「お父様が待ってる。……ここからは一人で行ける?」
「ちょっ! ミオちゃんを一人で行かせるわけには!」
「これは海の問題。ミオが自分でなんとかしないといけないんだ」
「大丈夫、エルダ。私、行ってくるね」
「……ちゃんと帰ってきてね」
ミオは目を細め、拳を突きあげると強張る頬の筋肉に力を入れた。
そしてキアーラと繋いだ手をゆっくりと離す。
途端に足元が不安定になり、ミオは足を伸ばしてもがいた。
海はもう怖くない。
だが誰かに手を引かれなくては前に進むことも出来ない現状。
泳げないことがこんなにも腹立たしいと、ミオは歯を食いしばる。
(こんなところで止まっている暇はない! 今もカイは苦しんでいる!)
泳げないなら考えろ。
どうすれば王のもとへ進めるか。
手を大きく前に伸ばして水をかきわけろ。
足はなんでもいいから動かせ!
水の中にいるのだから怖いものはないはずだ。
ミオは人魚だ。
海に嫌われることはない。
そうして身を固くしていた時、ミオの足元から泡があふれた。
《水の流れに身を任せて》
風になびくウインドチャイムのキラキラした声だ。
もがいていたミオの身体から余計な力が抜けていく。
心が軽くなって、落ちついた足取りで水に後押しされ、進みだす。
「鱗……」
見送りに徹していたエルダがミオの足元に目を奪われる。
二本足に違いはないが、足首のまわりに青い鱗がついていた。
前に突き進むミオにエルダは胸を膨らませ、大きく手を振った。
「さて、私たちも行動しないとねぇ」
マルティーナの苦笑いにエルダは海の面を見つめた。
波が荒々しい。
海獣になったカイが傷を修復し、動き出したと悟る。
「ミオちゃん……。がんばってね」
この場にミオはいない。
だが海を通じてミオの背中を押していた。
もがいて呼吸が苦しくなるばかりだった海の中。
今は背中に翼が生えたかのように軽い。
海の水が肌に馴染んだことで、ようやく自分が人魚だと実感を得た。
珊瑚のアーチを潜り抜けると、空に届きそうなほど光に満ちた空間が広がった。
光を一身に浴び、威厳をみせる巨大な男性の人魚の前に泳いでいく。
「……お父さん」
陸で見た時には気づかなかった支配される感覚。
両腕を掴み、顎を突き出して、上目遣いに父を見据えた。
「久しいな。どうやら本当にあの男が連れ戻したようだ」
「別に過去のことはもういい。どうしたらカイを助けられるか教えて!」
「殺すほかない」
ミオの必死な想いを一刀両断する。
少しも考える気配がなく、鋭い言葉にミオは悔しくてたまらない。
ミオを見る目が冷たい。
あの町の人たちと差はないとモヤモヤを抱く。
(もう! 私、船のみんなが好きじゃん! 孤独を感じる場所にはいたくないよ!!)
「私は助ける方法を聞いているの! 殺すなんて絶対にありえない!!」
「お前は何も知らない。奴の覚悟も知らない」
「知らないからあがくんでしょ!」
無知であるのは百も承知。
「私は今まで自分を諦めていた。だって気味が悪いから……。そうやって自分を痛めつけて、不器用に人助けしていましたって受け入れてもらいたかった! 私は……!」
下唇を噛んで過去の痛みを上書きする。
震える手は諦めそうになる自分への鼓舞だ。
「絶対にカイを助ける! 私はもう自分も好きな人も手放さないっ!!」
弾けろ世界!
殻は突き破れ!
焦がれるものに手を伸ばして、もがいてやる!
溺れている愛は心地よいけれど、愛されるより愛したい!
悔しさも涙も、変わらない。
だったらせめて、未来は笑顔で過ごして上書きしてみせよう。
「――お前が戻ってきたことで、海獣化は再開した」
白いひげを蓄えた大きな口で低く響く。
珊瑚までも震わすほどにずんっと重たくのしかかる。
「あの男を生かすために、お前はすべてを手放した。――人魚であることも、家族も」




