13
「ベルガルド、お前にもう一度聞こう」
ターンをした視界の端で、王族が使う出入り口にドレスの端が見え隠れしている。
揉めているのだろう、耳障りな声が音楽を乱しつつある。
だから、いま聞かなくてはならない。
彼女の姿が見えてしまえばもう、アデリーヌを見ることはなくなるこの男に。
「もし、何の憂いもなく彼女を娶れるならば、お前はどうしたい?」
「アデリーヌ、団長、何を言って。何を知っている?」
「お前は私の猟犬だ。上手く『待て』をしろよ」
「は?」
エスコートのための呼び方さえ、少し心が揺れただけで元に戻ってしまう。
馬車を降りて会場に入るまでが、一生にただ一度、愛する人からのエスコートだった。
会場ではパートナーとして扱わなかった。ベルガルドのこれからを思えば、アデリーヌと関係があったかもしれないと思わせるわけにはいかないから。
ファーストダンスは数回ステップを踏んで、二度ターンをして足を止める。一曲踊り切れはしないだろうと思っていたが、思ったよりも早い。
アデリーヌのドレス姿を見て、似合っていると言ってくれた。教本の台詞通りに。
でも、ベルガルドはきちんとアデリーヌを見てそう言った。
それでもう、終わってしまった。
それでもう、十分に幸せだと思った。
ぐっと男の両手首を握る。振りほどこうと思えば簡単に振りほどける、小さな拘束。
ベルガルドの手首を掴みきることは出来ないけれど、いま灰紫色の貝の飾りボタンを覆い隠すには十分な大きさの手をアデリーヌは持っている。華奢な令嬢では果たせなかっただろうと思うと口の端がわずかに上がった。
「ベルガルド、お前、ペイシェル家の養子になったぞ」
「ん?」
騒ぎが気になりつつも、思わぬ言葉が聞こえて意識を引き留めることにも成功した。
「よく聞け、馬鹿者。お前にだけ褒美をやらないわけにはいかないからな。お前は私に良く尽くした。だから、お前はいま私の弟になっている」
「いや、なんの褒美?というか俺、初耳なんですけど?」
「だから書類はよく見てからサインしろと言っただろうが」
「まさか本気で言ってるのか!?」
「ちなみにお前の両親はすでに納得済みだし、我が父上、ペイシェル伯爵も承知している。何ならお前のサインもしてあるのですでに貴族院に提出済みだ」
「外堀が存在しない!?いや、おかしいでしょ、知らない間に他所の家の子になってるとか!」
「姉上と呼んでみるか?」
「団長!?」
「書類を確認しなかった、お前が、悪い。そしてこれは褒美だ、と言っただろう?」
音楽の切れ間、ガシャンとグラスが割れる音が響く。
耳障りな男の怒声と、女の悲鳴。
「我らが敬愛するアンディ第二王子殿下は、婚約者をすげ替えるおつもりだ」
ばっと体ごと振り向いたベルガルドは、すっかり青ざめていた。それで自分にもチャンスが回ってくるかもなどとは考えない。ただひたすら彼女が傷つけられることを恐れている。
「王子に婚約破棄された侯爵令嬢なら、伯爵令息にも手が届くと思わないか?」
限界まで見開いた目で、アデリーヌを凝視するベルガルドの首を抱き寄せた。
「いつまで経ってもお前がとりにいかないから、私が褒美をやろうと言っている」
『レイチェル・ノルン侯爵令嬢、お前との婚約を破棄する!!』
完全に音楽が止まった会場に、その声はよく響いた。
それを受けた貴族たち一人ひとりのあげた声は小さくとも、これだけ大人数がいれば、海の波音か、森を走る風の音のようにざわめきが響く。
「待てだ。待てだぞ、猟犬」
アデリーヌは自分の瞳が、シャンデリアの光を受けてギラギラと輝いているのがわかった。
ベルガルドの耳に寄せた唇から珊瑚色の紅はとっくに剥がれて、元の唇の赤色が露出してしまっているだろう。
獰猛な獣のようだ、と父上が言うように。
アデリーヌは恋ではなく、戦場に生きる女だ。
美しい衣装のなかで、男の筋肉がはりつめているのがわかる。
太い首から肩に手をおろし、胸板にそっと頭を預けて、ベルガルドの静かな鼓動に耳を傾ける。
愛しい女が傷つけられる、その瞬間に首輪をはめられた猟犬が、アデリーヌの言葉一つで耐えている。
それを愛しいと思うのは、おかしいのだろうか。




