死と生
ダイダーラは落馬していたもののピンピンしていた。こちらをギロリと睨みつけながら徐々に間合いを詰めてくる。
「イレーネ、あいつに対して神秘術は使うな……というか、使えないか」
ソマスは、イレーネの鎧の隙間から血が流れ出しているのを見て言い直した。霊漿液を絞り出すために棘で身体を深くまで傷つけていることは一目で分かった。
「一回くらいなら、何とか使えるよ」
イレーネは強がって答える。
「なら、その一回に全てを賭けよう。二人で力を合わせるんだ」
ソマスとイレーネは目を見合わせて互いに頷いた。
先に動き出したのはソマスだった。剣一本を握りしめてダイダーラに向かって突進していく。それを見た相手は体から怪しげな灰色の光を放ち始める。足元の地面から少しずつ砂が舞い上がって来たのを観測したソマスは、砂嵐から逃げるべく方向を変え、ダイダーラの左側に回り込むように走った。
続いて、イレーネが長槍を手に走り出す。これに対してはダイダーラは黒い靄をイレーネにまとわりつかせたが、彼女には元々、多少呼吸が出来なくても関係なく動き続ける体力があった。黒い靄による攻撃をものともせず前進し続けるイレーネの姿に怯み、思わず後ずさる。その後イレーネから繰り出される槍の連続刺突を、ダイダーラが防戦一方で受け止め続ける状態になった。
「防がれてばかりいるのもつまらない。ここで終わらせる!」
イレーネは血液とともに霊漿液を聖雲氷に注ぎ、神秘術を発動する。流石に体に堪えたのか、慟哭のような唸り声を上げる。
「イレーネ、それは……!」
ソマスが止めようとするのも聞かず、
「ソマス、合わせろ!」
イレーネから灼熱の炎が放射される。ダイダーラは待ってましたとばかりに、その神秘術を取り込むべく魔術を発動する。たちまち「黒曜の亀甲・霊跡」の灰色の光が辺りに満ちる。そんな中、ソマスも自身の神秘術を発動させ、剣撃を増幅させた衝撃をダイダーラの前方に向かって放った。すると、その衝撃によってイレーネの放った火炎が一瞬圧縮された後、一気に解き放たれて爆発的な大火球となりダイダーラを襲った。
「なっ……!」
ダイダーラはどういう現象が起こったのか飲み込めずうろたえる。目の前が全て炎で覆われ、視界が奪われた。ひとまず彼は防御の神秘術を発動してじっとこの死の火球を耐え抜こうと努めた。「霊跡」の力もあり、防御の神秘術さえ使っていれば転生十字軍側の神秘術によってダイダーラの体には一切ダメージが入ることは無い。視界が戻ったらすぐに反撃に移ろう。そう思いつつ見事に耐え抜き、炎が収まった時、ダイダーラの眼前には既にイレーネの槍先が迫っていた。
ずぶん、とダイダーラの腹部に槍の刃が深く突き刺さる。ダイダーラは自らも槍で反撃しようとするが、イレーネの長槍よりも圧倒的に短いその槍が相手には届かない。仕方なく槍投げをしようとした彼に、更に背後からソマスが剣を突き立てた。
「おの……れ……狂信者ども……め……が……」
ダイダーラはそれでも尚しばらくはもがいて自らに刺さった刃たちを振り払おうとしたが、ソマスがゆっくりと剣を相手の身体の中枢部に向けて押し込んでいくと、彼は力が入らなくなっていって膝をつく。そして、憎しみのこもった形相で天を仰いだその姿勢のまま、ダイダーラはこと切れていた。
*
東へ。私は一心不乱に馬を走らせる。敵兵の殆どがソマス勢やリューク勢と交戦中のため、私が向かうチェルシャラン軍本陣までの道のりを阻む者はいなかった。しかし、この状況がいつまで続くか分からない。少しでも早く敵の皇帝シャランと軍師チャーマッシュ・シェンを急襲しなければならない。
イレーネと分かれた後、私は手持ちの兵力が心許なかったため、その場にいた味方の兵士たちをかき集めて編入させなければならなかった。この作業に時間を食い、思ったより行動が遅れてしまった。間に合うと良いが……。焦燥感が私を無口にし、周りの兵士たちも私の様子から察したのか、黙々と前進を続けていた。
やがて、目の前にわらわらと敵兵が立ちはだかってくる。おそらくシャラン直属の近衛隊だろう。正確な数は分からないが、千人以上はいるようだった。
私は自分の懐に手を当てると、深い青色の光が溢れ始める。それを見た敵兵は怯んで動きが止まった。その光は、エリーゼが斃れ、彼女が持っていた聖遺物「紺碧の竜鱗」をいま私が手にしていることを意味していた。
本当は、私の体内にこれ以上神秘術を発動させる霊漿液など殆ど残されていなかった。しかし、こちらの事情など分かる筈もない敵兵たちは恐れをなして早くも浮き足立った。
その頃、私の懸念通り、敵本陣ではチャーマッシュがシェランに撤退を申し出ていた。
「いや、私は最後まで皆と共に戦う。皆を見捨てて逃げるなど、ここまでついてきてくれた者に申し訳が立たないではないか」
シェランはそう言って動こうとしなかった。普通なら、帝王として美徳とされる価値観だっただろう。しかし、チェルシャラン朝の皇室は先の反乱でシェランを残してことごとく殺され、その血筋が絶えかけていた。
「ご自分の命の大切さをご理解下さい。シェラン陛下が崩御すればこの国は一つにまとまることはできません。早くお逃げ下さい」
チャーマッシュが急かすものの、シェランはなお動こうとしない。
「さあ、早く!」
痺れを切らしたチャーマッシュは声を荒げて主君に詰め寄る。冷静沈着なその軍師がここまで激しく感情を露わにしているところをシェランは見たことがなかった。
「わ、分かった。だが、お前も必ず私と合流しろよ」
シェランの言葉に、チャーマッシュは黙って頷いた。
皇帝を護衛する一団が、急ぎ足に東へと向かっていく。十分に遠ざかったのを確認したチャーマッシュは、迫り来る転生十字軍を迎え撃つべく槍を手に取った。
「者ども集え! 最期の戦いに打って出るぞ!」
その声に応じてチェルシャラン軍兵士たちがぱらぱらと集まってくる。しかし次の瞬間、そこに私の率いる転生十字軍の一隊が突っ込んだ。
「戦えーっ! 少しでも敵の進軍を遅らせろ!」
チャーマッシュは声を嗄らして兵士たちを叱咤するものの、一度敗勢になった軍を立て直すのは難しい。特に、チャーマッシュに従っていた兵はまだ負け戦を知らなかった。今度の戦いも勝利を確信していただけに、敗色濃厚となった際の狼狽ぶりは一段と激しかった。
「シェランはどこだ! 敵の皇帝を探せ!」
私は必死に駆け巡りながら探すものの、見当たらない。そんな私にチャーマッシュが語りかけてきた。
「若き女騎士よ、我が陛下は既に逃がした。ここには愚劣な軍師しかいないよ」
彼は共通語ラティナを喋っていた。私はチャーマッシュの方に馬首を向ける。
「我々は、敵に捕らわれるを良しとしない。私が自害し果てるのを見届けてもらおう」
チャーマッシュは自分の首筋に剣を当てていた。彼に関してソマスは、殺せとも生け捕れとも言っていなかったが、自ら死を望む分には問題ないだろう。そう思った私だったが——
「待って下さい」
気づけば私は、彼が刃を動かそうとするのを止めていた。
「あなたを辱めるようなことはしません。どうか降伏して下さい」
どうしてそんな言葉が出てきたのか、自分でも不思議だった。ただ、チャーマッシュが懸命に兵を立て直そうとしていたのは、全て主君シェランを少しでも遠くに逃がすためだった。そんな彼の姿が、ソマスを想う自分と重なったのかもしれない。勿論、自分の恋愛感情と、チャーマッシュの忠心とを完全に同一視することは出来ない。でも、人が人を想うという点では変わらないと、私は思った。
なおもチャーマッシュは迷っている。
「あなたには、これらからも守るべき人がいるのではないですか?」
私がもう一度呼びかけると、彼はため息をついて剣を手から離した。
「……分かった。騎士どのの申出を受けよう」




