表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
67/71

あと一歩の勝利

「イレーネさま、これを……」


 自分の槍を投げ渡そうと懸命に腕を動かそうとするが、体が言うことを聞いてくれない。だが、流れ出た霊漿液が聖雲氷に触れ、神秘術が発動する。その作用だけで、私は腕に勢いをつけて槍を空中へと送り出す。狙いはあまり定まっていなかったが、イレーネはそれをうまく掴み取った。


 地面から起き上がったエリーゼに対し、すかさずイレーネは槍を突き出す。相手はなんとかその攻撃を剣で逸らそうとしたが、イレーネのあまりの打突の強さに、エリーゼの剣は空しく弾かれていた。


 どすん、と鈍い音が響く。


 エリーゼの胸を、イレーネの槍が鎧ごと貫通していた。血を溢れ出しながらエリーゼは膝から崩れ落ちていく。


「お前は美しい……」と、死にゆく彼女の口から零れ出る。「その美しさが……憎かった……」


「ええ。私は美しい生き方を選びました。別にエリーゼさんみたいな生き方だってできましたけど」


 その答えを聞くと、エリーゼは満足げにほほえんだ。イレーネは、槍を握る手に力を込め、一息に引き抜く。自分に対してどこまでも正直だった改宗騎士は、聖戦場の砂の上に横たわり、永の眠りについた。


 イレーネは一つ肩で大きく息をすると、すぐに私の方に向き直った。大仕事が終わったが、ぐずぐずしている暇はない。私の体は既に痺れが取れてきていた。


「これからあの敵の横っ腹に突っ込む。その後私は北の戦場まで駆け抜けるから、ランクテちゃんは東に向かって敵の本陣を衝いて」


 イレーネはリュークたちと交戦しているシェックァウィ勢を指し示した。


「でも、イレーネさま、そんなお体で……」


 言いかけて、私はやめた。彼女の顔からは戦意は全く減退していないのが見て取れた。もう殆ど霊漿液を使い果たしている筈なのに、むしろ戦えば戦うほど彼女は生き生きとしていくようだった。


「行くわよ」


 イレーネが馬を拾って駆け出し、私も自らの兵に号令を飛ばした。


 *


「何とかならないのか、この状況! 南側を救うどころか、一歩も進めないじゃないか!」


 モーガンはソマスを見つけるなり怒鳴っていた。


「とにかく今は持ちこたえろ! 隙を見つけて、私がダイダーラを討つ!」


 ソマスもやや苛立ちながら応答する。


 戦場の北側で、一旦は押しかけていたソマス勢とモーガン勢も、中央の方からダイダーラ勢、東方からキャギャ族の軍勢が押し寄せてきたことでまた劣勢になりかけた。そこにマデラウス勢とシュツッツェル勢が援護に駆けつけ、一帯は混戦状態となっていた。


 数に劣る転生十字軍側は、時間が経つほどにじりじりと追い詰められていく。次第に兵士たちの表情にも疲れが滲んでくる。


(このままではまずい)


 ソマスは焦っていた。全滅、という言葉が何度も頭に浮かぶ。


(何でもいい。何か、戦局の流れを変えるきっかけがあれば……)


 その祈りが通じたのか、彼らが戦っている場所のやや東方に、この勝敗を左右できる人間がたった一人存在した。


「あれ、いつの間にかランクテどのたちからはぐれてしまったなあ……」


 孤高の中年騎士エイリーン・ファ・ルニクスは百人ほどの兵士を連れてうろつきながら、そうぼやいていた。


 旧ズィーメリー騎士団勢と共に戦場の南側で戦っていた筈のエイリーンだったが、無我夢中で戦っているうちに敵中を抜け、戦場の東側に出てきてしまったのだ。散り散りになった兵士たちをかき集め、ようやく百人ほどまでになったところだった。


「さて、これからどうしたものか」


 最初は、もう一度南側へ戻って再び旧ズィーメリー騎士団勢と合流しようかとも考えた。しかし戦況というものは刻一刻と変化していくものだということはエイリーンも理解していた。果たして一つの方面にそこまで拘泥する必要があるのか? 必死に頭を働かせているうちに、ふとキャギャ族の一隊が西に向かっていくのが目に入った。その先を見てみると、北方の小高い丘のふもとで真っ黒い塊のようになっている人の群れが蠢いている。ソマスたちのいる混戦状態と化した戦場だった。


(よし、あそこに背後から襲いかかってやろう)


 エイリーンは決断すると、兵士たちに向かって呼びかけた。


「皆、自分が転生十字軍だと分かる印を捨てよ」


 転生十字軍の者は皆、赤い十字の印を体のどこかに身に着けることになっていた。エイリーン自身も鎧の胴部分に赤い十字が描かれた布をまとっていた。彼はそれを破り取って投げ捨てる。


「いいのですか。それでは敵味方が判別できなくなります」


 と兵士の一人が困惑する。


「それが狙いだ」


 エイリーンは槍で突撃する方向を指し示し、馬の腹を蹴った。兵士たちも恐怖で縮み上がりながらも何とか彼についていこうと足を動かす。エイリーンは貧乏貴族ゆえ、率いている隊も馬に乗っている者は少ない。その一隊が、黒々とした人の大群に向かって突っ込んでいく。誰もが、瞬殺されることを覚悟した。


 しかし、彼らの危惧とは裏腹に、戦場到達まで敵からの攻撃を受けることは全く無かった。東からやってくる軍勢がまさか転生十字軍側のものとは誰も思わなかったのだ。


「目に入るもの全て敵と思え! 突撃ーっ!」


 エイリーン隊が大群の中に斬りこんでいく。思わぬ方向からの思わぬ外見の勢力に襲撃され、チェルシャラン軍の兵士たちは抵抗する余裕もなく斬り伏せられていった。そこは丁度ダイダーラが率いていた箇所で、敵襲の報を聞いた彼は、事態に対処すべく自ら号令をかけた。


「一部の者たちは後方に向かえ! 敵は前だけでなく後ろにもいる! 注意せよ!」


 前線を馬で駆けまわってそう叫んでいるダイダーラの姿は、ソマスからも見ることが出来た。


(どうやら、東側から何かが起こったようだ……)


 これが千載一遇の好機であることに、ソマスはちゃんと気づいていた。


「今だ! 攻勢に転じるぞ!」


 ソマスは真っ先に前へ躍り出て、神秘術で増幅した衝撃で敵兵をなぎ倒していく。続けてソマス勢の兵士たちもめいめいに槍を突き出しながら突貫すると、勢いが相手を呑み込んだのか、敵を押し下げて前進することに成功し始めた。


「これ以上好きにはさせん。腕に覚えがあるなら私と勝負しろ、ダイダーラ!」


 ソマスの狙いはただ一つ、敵将を討つことであった。数の少ない転生十字軍の優勢を保ち続けるためにはそれしかない。ダイダーラの方も、ソマスの姿をみとめると兵を叱咤するのをやめ、槍を構えた。


「丁度良い。あいつを殺すのが手っ取り早そうだ」


 ソマスが霊漿液を流して赤い光を放ち始めると、ダイダーラも対抗して神秘術を発動する。「霊跡」で強化したその力はソマスのそれよりも遥かに強く、傍目から見ると二人の衝突は、灰色の光が赤い光を包み込んでいくようだった。


 一方、エイリーンは大勢の敵の中を潜って北の方へ抜けつつあった。ギーランド公国などという小国の弱小貴族が単隊で、二万の敵を相手に中央突破を成し遂げようとしている瞬間だった。


(こんな夢のようなことがあっていいのか)


 次々と敵兵を散らし、道を開いていく。面白いように思いつきがうまくいった。まるで神が彼に今日の舞台を用意するために全てを仕組んでいたみたいに。


(この歳になって、もうこんな熱くなれる経験は出来ないかと思っていた。でも情熱を追い求め続けて良かった。いや、分けてもらったんだ。転生十字軍の、若い騎士たちから)


 なぜか真っ先に、故郷にいられなくなったあの可哀想な女侯爵騎士が頭に浮かんだ。


(さて、まだ終わりじゃない。もっと暴れるぞ!)


 その時だった。


 一本の矢がひょうっと飛んできてエイリーンの首元に刺さった。チェルシャラン軍の誰かが放ったものだろう。それは正確にエイリーンを狙ったというよりは、偶然流れてきたものが不運にも当たったという感じだった。


「む……」


 傷口をおさえつつ、馬の速度を落とした彼に、敵兵士たちが一斉に群がってくる。片手で盾を支えて必死に槍を防いでいたエイリーンだったが、やがて力尽き、砂の上へと落ちていった。


 チェルシャラン軍に動揺を与え、戦いの流れを変えたエイリーン・ファ・ルニクスは、間違いなく転生十字軍反攻の立役者といえる。だが当の本人は、戦いの行方を見届けることなく命を落とした。それでも彼の人生の最期の輝きは歴史に刻まれ、永遠に残り続けるだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ