イレーネ再突撃
(このままだと押し切られてしまうだろうが……少しでもその時を遅らせるんだ)
私は霊漿液を垂れ流しにしたまま槍を振るい続ける。敵兵が襲いかかってくる瞬間をとらえて神秘術で自分の動きを速め、逆に敵の防御の空いているところに刃を突き刺す。そうやってもう幾人殺したか分からない。敵を倒す度にかかってくる血飛沫を拭う暇もなく、私の顔は口紅を塗りたくったように朱に染まった。
戦っているうちに、心なしか周りに味方の兵士が少なくなっているように見える。私は敵と距離をとりながらふと辺りを見回してみる。周囲にいる敵味方の割合では、圧倒的に敵の方が多かった。多くの十字軍兵士が骸となって地面に転がっている。生き残っている兵士たちも絶望のあまり生気を失った顔で得物を振り回していた。
(他の戦場がどうなっているか、ここからじゃ見えないだろうか……)
私が馬の上で背伸びをして、遠くの方まで眺めようとした時だった。ぶつかり合う兵士たちの頭越しに何か蠢くものを発見した。方角にして南の方で、砂煙を上げながら移動している一団がいた。
「あれは……イレーネさま!?」
私は目元についた返り血を手で拭ってもう一度確認する。最初の布陣から考えて、あの方角に存在できるのは、一旦西方に動いたイレーネ勢しか考えられない。それにぼんやりとではあったが、その一団の戦闘を走る騎馬から仄かな白色の光が放たれているのが見えた。
「イレーネさまが来てくれたぞ! この戦況をひっくり返すために!」
時間的にはかなり早い気がしたが、それだけあっという間にピクシール勢を蹴散らしてしまったということなのだろう。私が大声で叫ぶと、兵士たちも元気づけられたのか、動きが活発になる。精神的にはだいぶ希望が持てるようになったが、それでも実際にイレーネ勢が到着するまではかなり厳しい。早く到着してくれないものか……。祈るような気持ちでもう一度南方を見ると、今度は私の顔は青冷めた。
東の方から、別の一団が走ってくる。どうやらイレーネ勢に向かっているようだった。そうなると、敵の新手の勢力である可能性が高い。そして、その一団の戦闘を走る騎馬からは、深い青色の光がほとばしっていた。
(もしやあれは……エリーゼ・シャン・クロー)
私の脳裏に、転生十字軍をタリハリに釘付けにした忌々しい仇敵の姿が浮かんだ。果たして、防衛十字軍騎士という立場から改宗した者がチェルシャラン軍内で聖遺物を預けられるほど信用されるだろうか……? という疑問もあったが、私の直感は、今イレーネを倒そうと懸命に駆けている人物はきっと彼女に違いないと告げていた。
(イレーネさまが危ない)
私はなぜかそう思った。普通に戦ったら、イレーネが負けるとは想像しにくい。だが、エリーゼは普通には戦ってこないだろう。嫌な予感に、私の胸はざわついた。
「リューク! ちょっといい?」
私は人の群れの中から戦友の姿を見つけて駆け寄った。
「なんだ? ランクテ」
リュークは敵騎兵と槍を合わせながら返答する。私は彼が今交戦している相手を横から一突きして倒すと、用件を述べた。
「これからイレーネさまの援護に向かいたいと思う。ここを離れるわね」
「えっ、離れるって言ったって、敵に囲まれかけてるのにどうやって……」
「だから、敵中を突破していくのよ」
私はそう答えると、近くにいたロアフォーレン侯領の兵士に指示を出す。
「無茶だ。ソマスどのにも言われただろ、自殺に等しい殉教はするな、と。お前が今死んで、この戦場はどうなる!?」
リュークは語気鋭くたしなめてくる。
「確かに、これまで色んな心配をかけてきたね……だけど、今回は違う。私が行かないとイレーネさまが危ないの! それに……」私は一度言葉を切って続ける。「この場はあんたに任せてもいいって……信頼してるから」
「そんなこと言われたって……」
「だから、リュークも私を信じて。私たちなら、きっと大丈夫」
私の真剣な訴えに根負けしたのか、リュークは軽く微笑みながら頷いた。
「分かった。ランクテを信頼する。必ず勝ってきてくれ」
私は黙って頷く。そこに、先ほど指示を受けた兵士が近づいてきた。
「ランクテさま、準備整いましたーっ!」
「よし。我が旗を掲げろ!」
砂が濛々と巻き上がる空に、「マリア、マグダラ」と記された旗が堂々とのぼった。私が勝手に自らの守護聖人と決めた者の名を見て、付近にいたロアフォーレン侯領の兵士は一斉に注目した。
「これより、敵中を突破しイレーネさまの元に向かう! 勝利を我が手で導かんと欲する者は私に続け! デウス・ウルト!」
私が一息に叫び駆け出すと、私の声が聞こえた範囲のロアフォーレン侯領勢がわらわらと動き出す。その中にノーナムの姿もあった。こうして、約二百人の即席の決死隊が結成されたのだった。
だが、決死の突撃を行ったからといって、そう簡単に事態を動かせるわけではない。
「守りの壁を厚くしろ! 敵の突破を許すんじゃない!」
シェックァウィも私の思う通りにさせまいと動いてきた。彼の頭の中には、南部人にして反乱に一度加わってしまった自分が認められるには、この戦場で他人の何倍もの成果を出さなきゃいけないのだという執着がこびりついていた。
「ランクテさま! 行く手完全に阻まれました!」
兵士が悲痛な叫びを上げる。目の前には横に整列した敵歩兵の突き出す槍の壁がある。少し敵の一角を切り崩して進撃したかに見えた私たち決死隊も、今となっては完全に足が止まっていた。
*
白地に赤の十字が描かれたマントが風になびいて翻る。イレーネはただひたすら馬を走らせて先を急いでいた。目的はただ一つ、既に交戦状態に入っている敵の横っ腹を衝いて中央突破からの敵軍分断を果たすことだった。
ピクシール勢は、一度中央突破してから反転してまた襲いかかれば、まとまりを失った敵部隊を一つ一つ各個撃破していくような形で簡単に蹂躙することが出来た。勢いづいたイレーネ勢の兵士たちは意気揚々と次の戦場へ向かおうとしていた。
「イレーネさま、あれは何でしょう……?」
唐突に、南東の方角を指してそう訊いてくる者がいた。
「ん?」
イレーネが視線を指摘された方に向けると、砂煙を上げながらこちらに猛然と向かってくる軍勢があった。数は、イレーネ勢よりもやや多いくらいだ。
(しまった、なぜ気づかなかったのか)
走るのに集中し過ぎた、とイレーネは後悔した。それも無理はない。今この状況では敵の殆どの隊が戦闘状態に入っていると普通ならば思うだろう。まして、彼女を討つためだけに待機している敵の遊撃隊があるなどとは予測不可能であるに違いない。
「全員、進軍やめ! 右方向からの敵襲に備えろ!」
イレーネの怒号に近い指示がこだまする。だが、急な戦いに備えるには既に遅かった。細長く隊列を組んでいたイレーネ勢の真ん中よりやや先頭寄りのところに敵の軍勢が突っ込み、隊の脇腹を横から衝かれるような形になった。彼女がやりたかった突撃を、逆に敵にやられてしまっていた。
そしてその時、イレーネはその敵勢を率いているのが誰かはっきりと認識した。体から青い光を発しながら鋭い視線をイレーネ個人に投げかけている異教の女騎士は、他でもないエリーゼ・シャン・クローだった。
「イレーネよ、よく似合っているじゃないか、その十字のマント。どうしてそんなに着こなせてしまうんだろうね。本当のあんたは平然と戒律を破るし、味方のことも簡単に裏切る屑なのに!」




