決戦開始
転生十字軍がチャーマッシュ・シェン率いるチェルシャラン遠征軍三万五千と対峙したのは、カナーノキアからさほど離れたところにあるわけではない、ハーッタンより二日ほど東側に行軍したところにある名もなき丘陵地帯だった。後に「聖戦台地」と呼ばれるその地は、ハーッタンの平原に比べれば土地の起伏があるものの、他の砂漠地帯に比べれば陣が布きやすいとのことでチャーマッシュは行軍を停止させたのだ。
一方、転生十字軍は出来ればもっと東方を戦場に選びたかったので、不本意な布陣となった。ここはチェルシャラン軍の進軍速度が見事だったと言う他ない。実際、ピクシール率いるカナーノキア防衛隊がカナーノキアを出て転生十字軍の背後を衝くのを目指して進軍中との知らせが入り、ソマスの頭を悩ませた。
この時転生十字軍は、伝染病の流行で数を減らしたこともあり、一万五千人ほどとなっていた。これに対しチャーマッシュの率いる三万五千に、ピクシール率いる一万の兵を合わせれば、チェルシャラン軍の総兵力はこちらの三倍にものぼる。並の戦い方では到底勝ち目はなさそうだった。
「どのような状況であっても、やるべきことは同じ。イレーネを先行させての中央突破からの包囲殲滅だ」そう言ってから、ソマスは口端を歪めた。「……と、敵は思っているだろうな」
「今回は何か違う策を用いなければならないということか?」
モーガンが問うと、ソマスは頷いた。
「まず、後ろから迫っているピクシール勢を何とかしなければならない。それと同時に、目の前にいるチャーマッシュにも対処する必要がある。これまでよりも複雑で器用な連携をとらねば」
「前面の敵だったら、私に任せて。敵が何万いようと突破してみせるから」
イレーネが口を挟む。会議の場で滅多に発言しない彼女だったが、段々余裕がなくなってきているソマスを見て、彼を安心させたくなったのだろう。だがソマスは「ふーむ……」と言って腕を組むだけだった。
「あの……」私は思い切って発言してみる。「むしろ逆なんじゃないでしょうか?」
「どういうこと?」
イレーネに反問され、私はちょっとまごまごする。
「えっと、ソマスさまはピクシール勢が気になって適当な陣形を思い描けずにいるように見受けられます。ならいっそ、イレーネさまは先にピクシール勢を叩き、後方の憂いを断った状態で前面の敵に取り掛かるべきではないでしょうか」
「しかし、その間もチャーマッシュは攻勢をかけてくるぞ。それをイレーネ無しでどう防ぐ」
今度はモーガンが訊いてくる。
「それは……私たち旧ズィーメリー騎士団の面々で迎え撃ちます」
「お、おい。何勝手に請け負ってんだ」
リュークが慌てて割り込んでくる。
「でも、誰かがやらなきゃいけないでしょ」
「そうはいってもなあ……そもそも、イレーネさんを最初に後方に回すという発想自体が非常識だぞ」
私とリュークで言い争いになりそうになるのを、ソマスが咳払いをして止めた。
「ランクテの申し出、ありがたい。こういう場面で名乗りを上げてくれる者を求めていた」
ソマスに褒められ、私は状況を忘れてちょっと嬉しくなる。
「だが作戦の方は直ちに採用とは言い難い。この後は私の方で検討を進めるから、ランクテも本当に要撃役を引き受けてよいのか、リュークやパイシェンどのとよく話し合ってくれ」
ソマスはそう言うと、難しい顔のままモーガンと共にどこかへ消えていった。
*
「味方の数が多いからと、状況を甘く見るのは良くないね」
同じ頃、エリーゼはチェルシャラン軍の本陣でチャーマッシュにそう語っていた。
「つまり、大軍に兵法無しとばかりに攻めたら敗れる恐れがあると言いたいのか?」
チャーマッシュの言葉に、エリーゼは頷く。
「ソマスという男はデキる奴だ。必ず何か対策してくるに違いない。こちらもそれなりに考えていかなければ足元をすくわれる」
そもそも、防衛十字軍とて当時のチェルシャラン軍より数が多かったにも関わらず敗れたのだ。数の多寡が絶対ではないことを両者ともよく分かっていた。
「では、どうすべきか。考えを聞かせてくれないか」
チャーマッシュが素直に尋ねてきたのが、エリーゼは意外だった。天才軍師と呼ばれて持て囃されているにも関わらず、元々敵だった自分にも意見を求める。そんな謙虚さが強さの証なのかもしれないとエリーゼは思った。
「転生十字軍はどういう作戦であろうと、イレーネ・ルン・フィーラを必ず攻勢の要にもってくる。奴に味方の陣を崩されれば負け、逆に奴を討ち取ればこちらの勝ちだ」
「どうやってイレーネ・ルン・フィーラを討つのか、策はあるのか」
チャーマッシュの問いに、エリーゼは不敵な笑みを浮かべてみせた。
「簡単な話だ。私が奴と戦う」
チャーマッシュはやや戸惑いながら「絶対に勝てる自信があるのか……?」と言った。
「戦いに絶対は無い。だが、勝機は十分にある。イレーネは協調性が無ければ仲間からの信頼も無い。だからいつも自前の兵だけを引き連れて馬鹿の一つ覚えみたいに突撃するしか能がない。奴が出てきたところを数に余裕をもって迎え撃ち、包囲撃破すればいいだけのことよ」
「そんなにうまく迎え撃てるものか?」
「そうね、少なくとも私を遊撃隊にしてもらう必要があるわ」
エリーゼは挑戦するようにチャーマッシュの瞳を覗き込む。戦いの重要な鍵を握る役割をこのシュレーン人に任せてよいのか、軍師の決断力が試された。
「分かった、考えておこう」
チャーマッシュは返事を保留して、話を終わらせた。
*
翌日、両軍は本格的に臨戦態勢をとるべく互いに陣を整え直していた。各騎士の部隊が北へあるいは南へと忙しく動き回っている。私もソマスからの指示を受け、炊事道具などを片付けて移動を開始した。
丘陵地帯の西側に布陣する転生十字軍は、左翼すなわち北側にはソマス勢、モーガン勢、マデラウス勢が陣取り、中央にはナイギャーカらポッドス兵とシュツッツェル勢、イレーネ勢が陣取り、中央やや南から左翼にかけてパイシェン、リューク、ハルズ、私たち旧ズィーメリー騎士団の軍勢が陣取り、最左翼にはエイリーン勢が陣取る形となった。
他方で丘陵地帯の東側に布陣するチェルシャラン軍は、右翼すなわち北側にはセイシャル勢とキャギャ族の軍勢が陣取り、中央にはシェラン、チャーマッシュを守る親衛隊とシェックァウィ勢が陣取り、左翼すなわち南側にはダイダーラ勢と、遊撃隊となったエリーゼ勢が陣取っていた。
そして、忘れてはならない存在がもう一つ。
「ピクシール勢、目視できる位置まで進軍しています!」
砂塵を巻き上げて、カナーノキアを防衛していた一万のチェルシャラン兵たちが転生十字軍の背後に迫ってきていた。報告を受けたソマスは自ら陣を離れてイレーネのいるところへ赴いた。
特に何か新たな伝達事項があるわけではない。伝えるべきことは全て朝のうちに伝え終わっている。ただ、面と向かって言葉をかけることで彼女を鼓舞するため、ソマスは全軍の司令官として時間を割いたのだった。
「なに、ソマス。改まって」
イレーネはこんな時でも飄々としていた。ソマスは彼女と目を合わせた途端、何を言うべきか見失った。今更どんな言葉を投げかけても浅いような気がする。この二人には、それだけ色々なことがあった。
防衛十字軍で初めて会った時、イレーネとエリーゼの決闘を見届けた時、聖遺物保管庫で直接刃を交わした時、ポッドスで再会した時、転生十字軍を立ち上げた時、カナーノキアへ向かうイレーネを追いかけた時……。様々な場面と、その時々に感じた思いが去来する。共に戦った日々の積み重ねを経た今、互いに尊敬と信頼を向け合っていることは、口に出さずとも分かっていた。
「イレーネ、よろしく頼む」
結局、ソマスから発されたのは、いつもの文句だった。
「分かったわ」
イレーネも短く応じた。
「私たちは常に先頭に立って戦ってきた! 今もまた、最初に動き出すのは我々である。今日、ウィンガルト伯領勢が最強であることが歴史に刻まれるだろう! 存分に働き、そして勝利せよ! デウス・ウルト!」
イレーネが長槍を掲げ、馬の腹を蹴る。彼女の配下の重装騎兵たちが次々とあとに続いて走り出す。彼女らの向かう先は――西の方角、すなわちカナーノキアから出てきたピクシール勢のいる方向だった。
ピクシール勢一万に対し、千三百人ほどのイレーネ勢が一筋の光のようになって突撃していく。その光景を見た敵方は恐慌した。
「イレーネ・ルン・フィーラがこちらに向かってきている……!? 一体どうなってるんだ……」
ピクシールは頭を抱えた。イレーネの武勇はチェルシャラン側も嫌というほど思い知っていた。
「仕方ない、出来るだけ耐えるしかない。チャーマッシュどのに、すぐさま攻撃開始してくれと伝えろ。挟み撃ちにしてやればひとたまりも無いだろう」
問題は、そこまで自軍が耐えられるかどうか、だ。チェルシャラン側が勝利しても、自分が戦死したら貧乏くじだ。ピクシールは弓兵に号令をかけた。
「一斉に矢を射かけよ! イレーネ・ルン・フィーラの頭上に死の雨を降らせてやれ!」
すぐさま弓兵が前面に進み出て、侍大将の指示に従って構え、斉射する。無数の矢が戦場の上空を覆ったが、イレーネの鎧から淡い白色の光が漏れ出たかと思うと炎の幕がイレーネ勢の周りに張られ、飛んできた矢をことごとく燃やし尽くして兵士たちを守った。
「やはり効かないか……防御態勢をとれ!」
弓兵に代わり槍兵が前面に出てきて、盾を並べてその隙間から槍を出す。十分な数の兵が何列にも控えて厚い層をなしており、普通なら重装騎兵隊の突撃であっても簡単に突破されることは無い。
イレーネが霊漿液を聖雲氷に流し込むと、炎の向きが反転する。聖遺物「鈍白の霹靂」によって増幅された炎の渦は、あっという間に前線に立つシェルシャラン兵士を何人か炭化させた。
うわぁっ、と悲鳴が上がり、敵兵がうろたえるのが見える。隊列が崩れた一角目がけて、イレーネ率いる騎兵隊が突っ込んでいった。敵方は、ある者は無抵抗で突き刺され、ある者は懸命に応戦しようとするが敵わず馬上から繰り出される槍の餌食になっていった。イレーネ勢の用いている長槍は一般に用いられているものよりはるかに長い。まともに正面から突き合えば敵の攻撃は届かず、イレーネ勢が一方的に敵を突き倒すことができた。
イレーネ勢の強さと突破力に気圧され、ピクシール勢の中には徐々に戦意を喪い、背を向けて逃げ出す兵士も出てき始めた。ピクシールは馬にまたがり、周囲の兵士たちを大声で激励しながらなんとか前線が崩壊しないよう努めている。そんな彼の姿をイレーネは容易に発見することが出来た。
「ピクシール、いざ勝負!」
イレーネは身を低くしてその賢将に向け猛進していく。勝負といっても、神秘術の使い手で聖遺物まで所持している彼女にピクシールが勝てるわけがない。彼は兵士たちの中に紛れて一騎討ちを回避しようとする。しかし、気づいた時には彼の周りにいる兵士は燃やされて炭と化していた。
「このっ……これで勝ったと思うなよ、狂信者どもめが!」
怨み言を吐き続けるピクシールに向かってイレーネは重い一突きを繰り出す。骸となったピクシールは砂を舞いあげながらドサリと落ちていった。
*
チャーマッシュの方でも、この動きを見逃すことはなかった。ただちにイレーネ不在の転生十字軍を攻めるべく、前線の軍勢に前進を命じた。
「数ではこちらが優に上回っている。怯むことなく一気に押し潰せ!」
威勢の良い激励を飛ばしたチャーマッシュだったが、全ての隊を攻撃に回したわけではなかった。四猛将の中では、セイシャルとシェックァウィが前進を命じられ、エリーゼとダイダーラは待機を命じられた。相手の出方を窺いつつ、肝心な場面で強力な聖遺物所持者を投入するという安全策だった。
「親父も慎重なことで」
ダイダーラはすぐに出撃できないのが不満そうだった。
「チャーマッシュさまも人ですから、ご子息を大切に思われているのでしょう。特にコイトーシュさまを亡くされた後ですから……」
側近は気を遣って言ったつもりだったが逆効果だったようで、ダイダーラは声を荒げた。
「息子だとか人だとか、そんなことは関係ない! だからコイトーシュを処断したんじゃないか。俺のことも他の武将と同じに扱ってくれなければ困る」
チャーマッシュは単に戦術的意図で待機を命じたのだが、そんな深謀遠慮をダイダーラは分からず、苛立ちを露わにし続けていた。親子であることを意識しているのはむしろダイダーラの方であるかもしれない。
一方、目の前のチェルシャラン軍が動き出したのを見た私たち旧ズィーメリー騎士団も緊張感を高めていた。既に弓兵は前面に出て矢を手に持っている。
私は改めて戦場を見回してみる。その丘陵地帯は北側の方が標高が高くなっていて、南側には小さくオアシスが見える。地面は砂地で、全体的に足元が悪かった。
(なんだか、フォーレンフェルに似てるな……)
私はふとそう思った。最初の戦場、実の兄と戦った因縁の地から私の罪と救済の旅は始まった。そしてこの世紀の聖戦で、その贖いをせよということなのかもしれない。
ただ、戦いの規模は全然違う。迫り来る敵軍を見て、私は軽く震えを感じた。そもそも三万五千などという大軍を生涯これまで見たことがない。もしかして私たちの力なんて全然通用せず、大軍に呑み込まれるようにして終わるんじゃないだろうか……。周囲の兵士たちも同じような心境でいるようで、不安な表情を浮かべていた。
と、そこに、ソマスからの伝令が駆け込んできた。何か作戦に変更でもあったのかと思いきや、意外なことに伝令がもたらしたのは、ソマスからの激励の文句だった。
『神の王国が再興するも滅亡するも、全てこの一戦に懸かっている。各自の一層の働きを期待する』
そうだ、勝てるかどうかは問題じゃない。私に本来の戦意が戻って来た。元々殉教するつもりで参加した戦いだ。全力を出し切って戦って、それでダメならその時に初めて諦めよう。私はロアフォーレン侯領の兵士たちの前に立った。
「ソマスさまからのお言葉を聞いたか! 必ず彼の期待に応え、異教徒を討ち滅ぼす!」私は一つ息を吸って「矢をつがえよ!」と命じた。
弓兵が手に持っていた矢を弓につがえ、斜め上に向けて構える。目標は勿論、チェルシャラン軍の上に矢を降り注ぐことだ。
「撃て!」
何かの塊が飛んでいくかのように、斉射された矢たちがチェルシャラン軍に向けて飛んでいく。やがて、敵からもお返しの矢が飛んでくる。向こうの方が矢の数も圧倒的に多い。相手は進軍速度を全く緩めるつもりはなく、矢の応酬を繰り返しながら徐々に距離を縮めてきた。ちらほら、矢に当たって倒れる兵士も増えてくる。いよいよか。私は従者から槍を受け取った。
私が兵士たちに号令をかけようとした矢先、少し離れたところで鬨の声が上がるのが聞こえた。見ると敵の一団がこちらに向けて突撃してきている。旗をよく観察すると、シェックァウィ勢であるようだった。更に、味方側からも喊声が上がる。血気盛んなリューク勢が敵を迎え撃とうと前進しているところだった。
「リューク勢を単独で突っ込ませるわけにはいかない。我々も援護するぞ!」
私はそう言うと馬を走らせ、兵士たちの先頭に出る。周りの者も慌てて私のあとに続く。あんなに遠くに見えていた敵も、互いに馬で近づき合うと一気に距離が縮まっていき、一人一人の顔が分かるまでになった。




