鮮やかなる転進
話は再び、タリハリを発してカナーノキアへ向かうランクテ・シャン・ユイの物語に戻る。
転生十字軍はカナーノキアへの道中で新年を迎えた。生まれ年をゼロとする数え年で、私は十六歳、ソマスは二十一歳になった。
クリスマスをしっかり祝ったばかりなので大いに祝うことはしなかったが、行軍を一時止めてゆっくりと食事を味わう時間くらいは作った。
「カナーノキアはこの世界の全ての聖徒らにとって人生に一度は巡礼すべき最重要の聖地である。それにも関わらず現在、かの地は自然崇拝を行う異教徒らの支配下だ。加えて、自然崇拝者はたちは支配地域の聖徒から"異教税"なるものを徴収していると聞く。巡礼者の安全と現地の聖徒らの信仰を守るため、我々は必ずカナーノキアをこの手に収めなければならない」
年始の集会で、ソマスは改めて聖戦の意義を皆に向けて強調した。
それから十日ほどかけて、転生十字軍はカナーノキアの目の前にまで到着した。以前、イレーネを追いかけてカナーノキアに向かった際は割と近く感じた距離も、騎兵だけでなく歩兵を連れ、更に材木や食糧などを輸送しながら行軍しなければならないとなると、移動に時間がかかった。
城壁を前にして早速私たちは攻城塔の建築に取り掛かったが、そこに悪い知らせが届いた。
「新皇帝シェランと軍師チャーマッシュ・シェン率いるチェルシャラン軍が、バーカーヤトを出発してこちらに向かっているようだ」
情報を仕入れたシュツッツェルがソマスに報告した。
「うむ。それで、敵の数は?」
「うちの兵士の報告によると……三万五千とある」
「三万五千!? 何かの見間違いじゃないか?」
モーガンが驚いて問いただす。
「確かに、これは兵士が目視で測定しただけだから、正確とは限らない。常識的に考えても、短期間でそこまで大軍勢を揃えられるとは考えにくい」
シュツッツェルも首を傾げていた。軍勢を数えるのも、ある種の職人技が必要である。見晴らしの良い高い場所に登って敵軍を一望した上で、それを正確に数えられるようになるには技術や経験が必要だった。この報告も、まだその真偽は分からなかった。
だが、時を経るごとに段々と同様の報告が積み重なっていった。特に、チェルシャラン軍がマッカンを通過する際は多くの斥候がその軍容を確認したが、誰もが敵軍は総勢三万から四万と報告した。
「これは大変なことになったな」
モーガンは会議の場で険しい顔をしていた。ここ数日の会議で自ら発言するのはソマスとモーガンだけになっていた。本当に深刻な状況に直面すると、人は何も語れなくなるのだということを私は痛感していた。
「このままバーカーヤトからやって来る敵軍を迎え撃てば、カナーノキアを背にして戦うことになる。それだけは何としても避けたい」
とソマスは言う。カナーノキアにはピクシール率いる敵勢一万人ほどが籠っている。彼らに背後から攻撃されてはたまらない。
「では、やはり撤退か? そもそも敵軍三万五千と戦うだけでも分が悪い。一旦タリハリか、あるいはファヤー港まで引いた方が……」
「いや、撤退はしない。あくまでこの戦いで決着をつける」
ソマスは断言した。
「どうしてだよ。別に今にこだわる必要は無いんじゃないか」
「それが、あるんだよ。世間は我々が勝ち続けているから神のご加護があるのだと思うし、支援も送ってくれる。だが、敵の大軍を前にして引き下がったとなれば、もう我々に神のご加護はなくなったと思われるだろう」
「そうだな」とモーガンが暗い顔をする。
「だが、ここにいる者たちを見てみろ」
ソマスに促され、モーガンは場を見渡す。私たちも互いの顔を見合った。ソマスは言葉を続ける。
「逆に言えば、こんなに優秀な面々が同じ軍に揃うのは今をおいて他に無い。思えば、この転生十字軍の歩みは幸運の連続だった。私とモーガンが防衛十字軍から生還し、ポッドスでイレーネと再会し、その後ちょうどランクテたちが合流してくれた。神の引き合わせとも思える縁で集まった我々ならば、きっとチャーマッシュ・シェンを打ち破り、聖地カナーノキア奪還を成し遂げられる」
力強い演説に、その場にいた者たちは大いに勇気づけられたが、ソマスの本音としては「勝ち続けなければいけない」という部分が全てなのだろう、と私は思った。転生十字軍は遠征軍であって、イクストル地方土着の存在ではない。遠く離れたシュレーン王国やズィーメリー王国から集まって出来た寄せ集めの軍勢が、こうも士気高く、また世間からの支持も得て存立し続けていられるのは、純粋に勝っているからだ。
セルエル峠から撤退したことはあったが、あの時も戦闘では戦術的勝利を収めていたし、どちらかというと敵の方が我々との戦いを避けて砦に閉じ籠っていたせいで攻めあぐねた結果なのだから、格好はついている。転生十字軍が戦術的に敗れたり、敵を恐れて逃げたりしたことはいまだかつてなかった。
ソマスは多分、勝利の確信が無いまま決戦に挑もうとしている。私はそう思った。それでも、勝たなければならないのだ。
「ただ、戦いの場所は移す。我々はカナーノキアを離れ、東に移動する。ピクシールの追撃を避けるため、まずは奴にある程度痛手を与えよう。攻城塔はいくつ完成している?」
ソマスが尋ねると、攻城砦の建築を指揮しているリュークは
「現在すぐ使えるのは、二棟です。もう二、三日待てば、もっと増えるのですが……」
と答えた。
「それで構わない。今夜、総攻撃を行う」
全員に緊張が走った。
*
その夜、私たちは攻撃態勢を整えて、戦いが始まるのを息を潜めて待っていた。篝火も最小限にし、敵に動きを悟られないようにする。二つの攻城塔には、それぞれ聖遺物を持つイレーネ勢とパイシェン勢が詰めている。その後ろに、彼らに続いて突入できるよう私やリューク、モーガンらが控えていた。カナーノキアを三方から囲むようにして布陣していた転生十字軍だったが、今は東側に戦力を集中させている。
「前進を開始しろ」
ソマスの命令が全軍に発され、攻城塔が夜陰に紛れておもむろに城壁に向かって押し出されていく。まだ交戦は起こらない。私たちロアフォーレン侯領勢も攻城塔の後ろについてそろそろと前進していく。そのうちに、城壁にいた何人かの敵兵がこちらに気づき、攻城塔に向かって矢を射かけ始めた。
「弓兵、各自撃ち返せ!」
パイシェンの声が響く。徐々に城壁側から聞こえてくる人の声も大きくなっていき、敵が集まってきているのが分かる。やがて唐突に城壁の上で炎の柱が上がった。イレーネの操る神秘術"ラファエルの戒飭"によるものに違いない。つまりイレーネが城壁上の敵陣に突入したのだ。
「私たちも行くぞ」
私は攻城塔に駆け寄って梯子を上り始める。敵中に飛び込んだイレーネはきっと何人もの敵兵を同時に相手しているに違いない。早く援護しなければ。
その時、イレーネの北側の城壁が突如轟音と共に一部崩れ落ちた。あれはソマスの神秘術"アダムの傲岸"による攻撃だ。剣を振るう衝撃を増幅させてぶつけたのだろう。足元が崩れたことにより敵兵は分断され、崩れた箇所の南側の戦場ではイレーネの独壇場となりつつあった。
「突撃ーーっ」
私は味方優勢となった城壁にやすやすと飛び移る。イレーネは私の姿をみとめると、更に敵陣の奥へ突き進み始めた。
カナーノキアの城壁のうち、外壁は既に転生十字軍がほぼ占領していた。敵方は外壁の戦線維持は諦め、内壁に軍勢を集めている。外壁を降りてなおも前進する転生十字軍に対して、内壁の上のピクシール勢が矢の雨を降らせてきた。私が盾を掲げて矢を防ごうとすると、仄かな熱と共に、私たちの頭上を炎の幕が覆った。矢が灰となってぱらぱらと落ちてくる。
「私が皆を庇いつつ地道に前進していく……なんて悠長なことはしてられないわね」
炎の幕を張った張本人であるイレーネがぼやく。転生十字軍の前進はここまでだった。すぐにソマスが指示を出し、味方の兵士たちはじりじりと外壁の上へと後退を開始していく。そこを追撃して一気にカナーノキア城壁内の支配を取り戻そうと、ピクシールが攻勢をかけてきた。
「これを待っていた」
リュークがニヤリと笑う。「ランクテ、いくぞ!」
私は頷いてロアフォーレン侯領の兵士たちに号令をかける。私とリュークの軍勢はくるりと方向を変えて、内壁と外壁の間を移動するピクシール勢に襲いかかった。相手は横腹を衝かれる形になり、動揺が広がっていくのが見てとれた。
ピクシールはその時、軍勢の比較的先頭の方を走って、兵士たちを鼓舞していた。虚を衝かれて逃げ惑う者たちを叱咤し、何とか前線を維持しようとしている。そんな敵将の姿を発見した私は、神秘術"ガブリエルの御手足"を発動させて動きを加速させながら彼に接近していく。
「あっ」
私が近づいてくるのを見たピクシールは、青ざめてすぐさま身を翻した。彼の立場からすれば、いま戦死してしまうわけにはいかない。いくら堅牢なカナーノキアの城壁でも、彼の指揮がなければ長く持ちこたえることはできまい。しかし、指揮官の逃亡が軍崩壊の契機だった。敵兵士たちは我先にと逃げ始め、内壁に上がるとそこから一歩もこちらに向かってこようとはしなくなった。
「相変わらず、閉じ籠ることだけは上手い奴だ。これで我々を追撃するどころか、しばらく偵察にも出てくるまい」
リュークはそう言って愉快そうに笑った。
その夜のうちに、転生十字軍は占領した外壁に篝火の明かりだけ残し、東方へ向けて出発した。翌朝、ピクシール率いる敵カナーノキア防衛隊は、敵が外壁にいないことに気づいてからも動くことは出来ず、一日経ってようやくこわごわ外壁に登ってみたところ、転生十字軍の姿がどこにもないことに気づいたという。




