紫の承継者
「え?」
私は戸惑い、動きが遅れる。その隙にジェイバラハラはパッと「紫稀の祝福」を掴んだ。また持っていかれるのか……そう思ったが、
「んぐおおお」
ジェイバラハラが野太い悲鳴を上げながら悶絶し始めた。「紫稀の祝福」を持つ手が、ぷすぷすと焦げ始めている。その聖遺物は、高温状態にあった。
聖遺物はどれだけ物理的ダメージを加えても、過酷環境に置いても、壊れるどころか劣化した例すらないという性質を持っていた。ただ、熱すれば高温になったり、逆に冷やせば低温になったりするという状態変化は当然する。そうなっても聖遺物としての神秘術増強効果は変わらないというだけだ。「紫稀の祝福」は今、先ほどのイレーネの攻撃によって過度に熱されており、それに触れたジェイバラハラの手の皮を一瞬で溶かすほどには高温だった。
「ランクテ、奴を斬れ!」
改めてソマスが命令してくる。私は今度こそ神秘術を発動させて奴に近づいていく。ジェイバラハラはそれでも、もう片方の腕と腹部を使って器用に逃げていく。そして、私が繰り出した剣撃を一度はよけたものの、流れるような動きで振り下ろした二撃目をも避けることが出来るほどには、奴に体の自由は残されていなかった。
私の一撃はジェイバラハラの顔に刺さり、その刃は肉や細かい骨を断ちながら体内に入っていき、首の骨に当たって止まった。ジェイバラハラは盛大に鮮血を吹き出しながら、最後まで聖遺物を手放さずに絶命した。
*
聖遺物「紫稀の祝福」を回収が済むとすぐに、転生十字軍は撤退を始めた。ピクシールの差し向けた一隊によってこちらは早くも劣勢に追い込まれていた上、ソマスやイレーネも疲労困憊で、ここから形勢を巻き返すことは難しかった。「紫稀の祝福」を奪取するという大きすぎる戦果を挙げたのに、だらだらと戦いを続けたばっかりに奪い返されるという事態になったら洒落にならない。
外壁から外に降りる際、私はちらりとカナーノキア市内を振り返った。夜明け直前の微かな光に照らされて、伝統的な石造りの寺院や住宅が立ち並ぶ街並みが美しく浮かび上がる。私にとっては、初めて見る新鮮な光景。防衛十字軍に参加していたソマスたちにとっては、懐かしい光景だった。
「必ずここへ戻ってくる」
私は独り、呟いた。
「これ、返すよ」
タリハリへ戻る途中、イレーネは馬でソマスに近づいていき、持っていた「鈍白の霹靂」をソマスに差し出した。
「返却は不要だ。お前が持っていてくれ」
ソマスは頑として受け取らない。
「何でよ。これは私が持ってちゃいけないでしょ。てっきり一時的に預けてきたのかと思って受け取ったけど、違ったわけ?」
イレーネは怒ったような、泣きそうな声になる。
「ああ。私はお前を信じる。だから、それはお前が持っていなくちゃいけない。騎士と騎士との、信頼の証だ」
ソマスがそう言うと、イレーネは顔を背けて、差し出した手を引っ込めた。
「ふん、あとで後悔しても知らないからね」
*
そんな熱い友情の応酬からは置いてけぼりにされがちな私だが、ひょっとすると聖遺物を持つ機会が巡ってくるかもしれないという話が舞い込んできた。
タリハリに帰還したソマスは、新たに手に入れた聖遺物「紫稀の祝福」を誰に持たせるかを検討し始めた。最終的には幹部騎士たちの会議を経て決まるのだが、まずはソマスとモーガンが非公開に話し合って案を練っているようだった。
そして噂によれば、通常の序列でいけば事実上の副官であるモーガンが聖遺物を持つのかとも思えるが、転生十字軍内での政治的バランス及び連帯意識の必要性を鑑み、ここは旧ズィーメリー騎士団の人間(パイシェン、リューク、私など)から選ばれるのではないか、と囁かれていた。
(これはもしかして……私かも!?)
自惚れじゃないが、私は選ばれる自身がそこそこあった。何より、私はソマスに気に入られている。いや、もしかしたら私が一方的に彼に懐いているだけかもしれないが、そうだとしても懐いてくる人間は可愛い筈だ。それに、私はファヤー港上陸戦で誰よりも活躍した実績もあるし、先日のジェイバラハラとの戦いでも、最終的に奴を斬ったのは私だ。
私って、けっこう活躍してると言えるのでは? わくわくしながら、発表の時を今か今かと待ち構えていた。
しかし、会議の場でソマスの口から出てきたのは、私の名前ではなかった。
「『紫稀の祝福』は、パイシェンどのに託したいと思う」
モーガンも、黙って頷く。どうやら、噂自体は本当だったようだ。そして、旧ズィーメリー騎士団の中で最年長のパイシェンが適任と、ソマスは判断したようだ。
会議に出席している幹部騎士には皆、ソマスの提案に異議を唱える権利がある。だが、これに異議があるというのはパイシェンが聖遺物の使い手だと主張することだ。誰も気を遣ってそんなことは言い出さない。ちらりとリュークの方を見たが、彼も黙ったまま手元を見ていた。
「ちょっと、何も言わなくていいの。リュークも自分が選ばれなくて悔しいでしょ」
私が耳打ちすると、リュークは焦って
「そりゃそうだけど、だからといって自分の方が適格ですなんて言えるわけないだろ」
と言ってきた。まあ、それはそうだ。
結局、誰も反対しないまま、すんなり聖遺物の承継者が決まった。パイシェンは旧ズィーメリー騎士団で騎士団長を務めていたので、当然といえば当然の人事だった。それでも私は何となくもやもやとした気持ちを抱えたまま、会議を終えた。
「ま、まあ、また機会はありますよ。それに、聖遺物を持たなくったって、ランクテさまは十分強くて、僕の憧れです」
自陣に帰ると、ノーナムがそう言ってくれたが、
「なんか、あんたに励まされても、あんまり嬉しくない」
私は素っ気なく返してしまった。
「そ、そうですか……」
しょぼんとして去ろうとするノーナムを見て、私はしまったと思い
「ごめんごめん。気持ちは嬉しいからね」
と付け加えると、彼はすぐに機嫌を直した。
自分自身が落ち込んでいるのに、謎にノーナムの機嫌まで取ったものだから余計疲れ、私はそこら辺をぶらぶら散歩することにした。街の中心部を外れ、何となく城壁の近くを歩いていると、なんとソマスに遭遇した。
「ランクテ、どうしたんだこんなところで」
普段はソマスから声をかけられれば無性に嬉しくなる私でも、今だけは複雑な心境だった。
「ただの散歩を。ソマスさまこそ、何をなさっていたのですか」
言葉遣いもどこかよそよそしくなる。
「私もまあ、そんなところだ。良かったら付き合ってくれないか」
「は、はい……」
ソマスは私の前に立って階段を上っていく。散歩に付き合うと言っても、何を話せばいいのか分からず、私は無言になる。ソマスは自分のことなどちっとも評価してないのではないか……そう思うと、怖くて何も訊けなかった。
「ランクテ、体調は大丈夫か?」
ソマスが訊いてくる。
「あ、はい。どこも悪くありませんけど」
「それは良かった。兵士たちの間で体調を崩す者が相次いでいるという報告が上がっている。もしかしたら病が流行り始めているかもしれないから、引き続き健康には気を付けてくれ」
なんで、こんな時に優しいんだろう。私は上手く返事が出来なかった。
「あの、私たち、近づきすぎたんでしょうか」
思い切って、ちょっとずれた話を切り出してみる。
「何のことだ?」
「私、困ったことがあったらすぐソマスさまに相談しちゃうじゃないですか。それで、ソマスさまが私を贔屓してるみたいに思われたらやだなーって」
その発言は、だから聖遺物を託されなくてむしろ良かったのだ、と自らに無理矢理言い聞かせるようでもあった。
「確かに、そうかもな」
ソマスは曖昧に答えた。
階段を上りきり、私たちは壁の上に出る。街を一望すると、沢山の転生十字軍兵士が作業をしたり、余暇を楽しんだりしているのが見えた。今は戦いの直後ということで、全体的に兵士たちの負担を軽くするように作業を割り振っている。そのせいか、どこか皆活き活きとしていた。
「私は、こんなにも多くの兵士たちの命を預かっている」
ソマスは唐突に語り始めた。
「コンラト王が亡くなった時、自分が代わって指揮を執るということを、そこまで重くは考えていなかった。コンラト王の生前だって、作戦を練ったりしていたのは私だったからだ。だが、上がいる中で働くのと、自分自身が上に立つのとでは全然違う」
街を眺めるソマスの真剣な目を見て、私はきゅっと心が締め付けられる。同じ景色を見ていても、その見え方、感じ方は決定的に異なっていた。越えられない立場の違いを私は痛感した。
「でも幸いなことに、私の重荷を分担してくれる者たちがいる。それが、聖遺物を持つ者だ」
そう言うと、ソマスは私に向き直った。
「聖遺物の力は強大だ。だからひとたびそれを持てば、その力を使って全軍を守る使命が生じる。強い責任感を持ち、広い視野に立って、常に使命のことを考えて行動しなければならない」
「それは、今の私には、出来ないのでしょうか……」
私は訴えかける。
「不可能ではないかもしれない。だが、酷だ」ソマスは続ける。「今は、いくら自分の率いるが兵士死のうが、ランクテは責任を感じる必要は無い。お前に下した命令の責任は全て私にある。でももしお前が聖遺物を持ったら、そうはいかない」
ソマスは私の精神の未熟さをよく見抜いていた。それなら、年長者で落ち着きのあるパイシェンの方が適格なわけだ。
「まあ、今は、だがな。いずれお前にも、然るべき活躍の機会が来る。私は、ちゃんとお前のことを見ているからな」
ソマスは私から目を逸らし、来た道を戻って階段を下り始めた。気づくと、私の頬に一筋の涙が伝っていた。これは悲しみや悔しさの涙なのだろうか。私にも分からない。けれど、ソマスの最後の一言が、私にとっての希望の糧になったことは確かだった。




