ジェイバラハラ
紫の武者は盾を構えてイレーネの剣撃を防ごうとするが、高温に熱されたイレーネの剣がその盾ごと紫の武者を深く切り裂いた。相手の肩付近から入った刃は、腹部まで真っすぐに斬り下げられた。勝負あり、そう思って剣を引き抜こうとすると、紫の武者の手がイレーネの剣を持つ腕をぐっと掴んできた。
「なっ……!」
イレーネは心底びっくりして動きが止まる。ファヤー港上陸戦に現れた紫の武者も一度刺した程度では死ななかったそうだが、ここまで深い傷を負わせても死なないとなると、最早人間の頑丈さの範疇を超えている。
(人間ではないのか……それとも、これも何かの魔術の作用なのか……)
こちらに考える暇も与えず、紫の武者が剣先を向けてくる。まずい! イレーネは咄嗟に自分の腕を掴む紫の武者の手を斬り落とし、右に跳躍して相手の攻撃をかわそうとした。しかし、空間の揺らぎによる衝撃がイレーネの背中を掠り、彼女は悲鳴を上げて倒れこんだ。
(やはり、聖遺物がない状態では限界があるか……)
今の攻撃は、防御の神秘術を聖遺物で増強させれば簡単に防げていた。
(だが、聖遺物なしで挑むと決めたのは私だ。泣き言は言うまい)
イレーネは何とか立ち上がろうとする。傷自体は大したことない筈だが、疲労も相まって体が思うように言うことを聞かない。ここまでか……。脳裏に、テレジアの姿が浮かぶ。そうだ、何とか生きて帰らねば。あいつは、私がいないと生きていけないのだから。
紫の武者が再び剣を構える。相手の攻撃が放たれた瞬間、左右どちらかに避けよう。イレーネは自分の体を叱咤して立ち上がる。痛みやしんどさを堪え、集中力を高めようと努める。だが、その必要は無かった。
イレーネの視界が深い赤色の光で遮られ、空間の揺らぎは発生しなかった。正確に言えば、紫の武者の剣先から攻撃が放たれたものの、イレーネの目の前に立つ人物によって防がれたのだ。聖遺物「真紅の十字架」を身に着けたソマスが、そこには立っていた。
「ギリギリ間に合ったようだな」
ソマスはそう言って微笑んだ。
*
イレーネを追うためタリハリを発った私たちも、イレーネと同様に梯子を使って外壁の上に登った。しかしイレーネが外壁に登った時とは違い、チェルシャラン軍はまともに抵抗してくるようになったので、すんなり突破とはいかなかった。
「せめてソマスはイレーネのもとへ向かわせないと! ここの敵は俺たちで食い止める!」
モーガンが叫んだ。
「すまない、モーガン」
「なに、ここまで苦労させたんだからそれを無駄にするなってことさ」
モーガンは周りの騎士たちの号令をかけてまとめると、敵兵の群れに向かって積極的に斬りこんでいった。敵の目を自分に引き付けておくためだろう。その背中を見届けたソマスは、私に声をかけた。
「ランクテ、行くぞ」
「わ、私ですか?」
急に指名され、私はちょっと慌てる。
「そうだ。お前はあの紫の武者と戦ったことがあるし、それに——」ソマスはにやりと笑う。「イレーネを自分の手で助けたいだろ?」
私とソマスは数十人ほどの精鋭を率いて敵陣の薄い部分を衝いて突破し、内壁へと急いだ。そして、イレーネが紫の武者からの攻撃を食らいそうになっているところを、ソマスが防御の神秘術で間一髪防いだのだった。
「あんたたち、どうしてここに……」
イレーネはぽかんとしている。
「流石のお前でも、手を焼いてると思ったわけよ。ほら、どうせあれが必要だろ?」
ソマスが私の方を向く。私は懐から聖遺物「鈍白の霹靂」を取り出し、イレーネに差し出した。聖遺物は互いに反目するため、一人が二つ以上所持することはできない。だから私が代わりに持っていたのだった。
「いや、これは……」
その因縁ある聖遺物を受け取るべきかどうか、イレーネは逡巡している。
「迷っている暇はない。今はとにかく紫の武者を倒すぞ」
ソマスが催促すると、イレーネは小さく頷いて「鈍白の霹靂」を受け取った。
「もう、半分倒してるようなもんなんだけどな」
イレーネが体の半分切れた敵を指さしながら強がりを言う。どうやら本来の調子が戻ってきたらしい。
紫の武者が剣を構え、もう一度空間の揺らぎを発生させてくる。今度はイレーネが前に出てそれを防御の神秘術で防ぐと、その隙にソマスが前進して、紫の武者に付けられた傷口部分にぴったりと剣をあてた。そして、神秘術"アダムの傲岸"を発動させながら、円を描くようにその剣を振るった。聖遺物「真紅の十字架」が赤く輝いて、辺りを照らす。ソマスの剣の振動を増幅した衝撃によって、紫の武者の肉体は傷口部分を中心にして砕け、四方八方に飛び散った。紫の武者が持っていた聖遺物「紫稀の祝福」も宙を舞い、少し離れた位置に転がった。
「ランクテ!」
ソマスの呼びかけに応じて私が動き出すのと、どこからか小男が飛び出してきて「紫稀の祝福」に向かっていくのが同時だった。ファヤー港上陸戦の時も聖遺物を奪い去っていった男だ。私は霊漿液を聖雲氷に流し込み、神秘術"ガブリエルの御手足"を発動させて体の動きを加速させる。それでも小男の身のこなしの方が上回っており、慣れた手つきで「紫稀の祝福」を掴むと、反転してカナーノキア市内の方へと逃げ始めた。
「待てーい!」
私は神秘術を発動させたままその小男を追いかける。足の速さは私の方が圧倒的に速く、すぐに追いつくことが出来たが、相手も剣を抜いて応戦してくると、私はなかなか奴を斬ることが出来なかった。小男は、まるで曲芸かと思うような身のこなしで私の剣撃を受け止めたりよけたりする。上手いのは、相手も一方的によけるだけではなく、たまにこちらがヒヤリと思うような突きを繰り出してくることだった。これにより、私は防御の方にも気を遣わなければならなかった。
「私たちも追おう、ソマス」イレーネが提案する。「私の予想では、あいつがジェイバラハラだ」
「あれが? ただの聖遺物回収要員の下っ端にしか見えんが……」
「でも、私たちが紫の武者と戦っている時、奴は戦いの場から一番近くにいる。紫の武者を操るなら奴しかいないと思わないか?」
イレーネに指摘されて、ソマスははっとした。紫の武者が何者かに操られた存在であるという可能性。それならば、紫の武者が一回斬られただけでは死なないのも、同じ能力を持つ紫の武者が複数出てくるのも説明がつく。
「いかん、ランクテが危ない」
ソマスはすぐに走り出した。
私と小男は争っているうちに内壁の階段を降りつつあった。最初は私をもしのぐほどの速さで動いていた小男も、体力が尽きてきたのか段々と動きが鈍くなっていく。苦し紛れに、奴は階段の途中から身を投げ出し、地面に向かって飛び降りる。私も続こうとしたが、自分が今いる場所が人の身長の七~八倍はありそうな高さだったので諦めた。こんな高さから飛び降りたら普通は無事で済まないと思うのだが、小男はうまく着地できてしまうのだろうか。
私が唇を噛みながら見下ろしていた時、ソマスは内壁の上で剣を構えていた。そして、小男——イレーネの見立てによれば、ジェイバラハラ——の着地する地点を狙って、神秘術を発動しながら剣を突き出した。神秘術によって増幅された衝撃が、ジェイバラハラとともに地面に向かって飛んでいく。相手はそのことに気づいて防御の魔術を発動する。これによってソマスの攻撃自体は防げたが、防御の魔術を使うことに気を取られた結果受け身の態勢を十分に取れず、ジェイバラハラは足から落下の衝撃をもろに食らい、派手に両脚を複雑骨折した。
落命はしなかったのは流石と言うべきか、奴は呻きながらまだ動いていた。私は急いで階段を駆け下りる。奴のいる場所は、内壁より更に内側、つまり完全にカナーノキア市内だった。早くしないと敵兵が集まってきてしまう。
驚いたことに、ジェイバラハラは腕と腹を使って移動を始めていた。一体どこまで曲芸を極めているのか……。深手を負っている相手にも一切油断をすることなく、私は剣を構え直しながら近づいてく。奴は近くに転がっていた一兵士の死体に近づいていくと、懐から髪の毛のようなものを取り出してその死体の口の中に入れるとともに、「紫稀の祝福」を手に握らせた。そしてジェイバラハラが何事か呟くと、死体はぴくぴくと痙攣を始め、やがてむくりと起き上がった。
「これで分かったな、紫の武者の正体が」
気づくと、いつの間に降りてきたのか、ソマスとイレーネが私の後ろに立っていた。
「ええ。ジェイバラハラの魔術は、死体を操ること。厳密に言えば、死体を材料にして自分が操れる戦士を作り上げること、だね」
空間の揺らぎを発生させる魔術は、奴が戦士を作る際にモデルとしている人物の有していたものなのだろう。ジェイバラハラは、その人物の髪の毛等の生体情報と、誰かの死体とを混ぜ合わせて紫の武者を完成させていたというわけだ。
「ここは一気に決めるぞ」
ソマスはイレーネに何か耳打ちする。イレーネは黙って頷いた。
新たに作られた紫の武者に向かってソマスが突進しつつ、神秘術を発動させて衝撃を撃ち出す。紫の武者は防御の魔術でそれを防ぎつつ、反対に空間の揺らぎを発生させる。ソマスは地面に伏せて冷静に揺らぎから逃れると、相手の足元に滑り込んだ。そして、神秘術で紫の武者の太もも部分の甲冑に衝撃を加え、甲冑の下の肉体が見えるほどにヒビを入れた。
「今だ、イレーネ!」
つづいてイレーネが飛び出していき、ソマスが加えたヒビの部分に手を差し伸べた。先ほどの戦い方の逆パターンだったが、最後の一撃をイレーネが加えることに意味があった。
イレーネが神秘術を発動し、聖遺物「鈍白の霹靂」からぼんやりとした白い光が放たれる。そうして生まれた炎が、紫の武者を甲冑の内側から燃やしていき、やがて紫の武者は形を失って崩れていった。
新たな操り人形戦士も倒れたのを見届けたジェイバラハラはまた動き出す。今度は負けない。私も神秘術を発動しながら駆け出そうとすると、
「ランクテ、待て!」
とソマスが止めてきた。




