二人の本音
テレジアが市に出かけていた日は、決まってイレーネは激しくテレジアを求めた。危険な目に遭わないか、何かの拍子に防衛十字軍関係者に発見されてしまわないかという心配が安堵に変わる時、どうしようもなく気持ちが昂るのだろう。そのくらいイレーネはテレジアのことを愛していた。
「私、とても満ち足りています。イレーネさまがおそばにいて下さるだけで、他に何も要らないんです」
でも、なぜだろう。テレジアからそう言われると、イレーネはどこか違和感を覚えた。勿論、イレーネにとっても今の日々は幸せで、何にも邪魔されずテレジアと共に暮らすことはイレーネ自身が心から願っていたことでもあった。しかしなぜか、果たして本当にこれでいいのだろうか、という気持ちが拭い切れなかった。
(結局、私も寂しがり屋なんだ)
と、イレーネは思った。体が強いからと言って心まで強いような気がしていたが、必ずしもそうとは限らない。
(本当は恋愛以外の、社会や仲間からの承認も欲しかったんだ。けれどそれは手に入らなかった。だったら今のままでいいじゃないか)
防衛十字軍はイレーネに何も与えてはくれなかった。一瞬だけ、ソマスの顔が頭をよぎる。唯一、彼とだけは心が通じ合いかけた。騎士の中で、本音をぶつけてもいいと思ったのは彼くらいだった。
それでも最後は、分かり合えなかった。しまいには、「お前は騎士じゃない」とまで言われたっけ……。イレーネは考えるのをやめる。もうあそこに居場所は無い。このテレジアと二人だけの空間、ここだけが私の全てなんだ。
*
イレーネを追いかけていたソマスは、市に入ったところで案の定人混みに紛れて彼女を見失った。してやられたか……。諦めかけていたところに、ポッドスの行政官が通りかかったのが見えた。その行政官は、ソマスがポッドスの異端を排除したことによって、異端勢力の代わりに出世した、ソマスに旧恩のある者だった。
「おい君、ここ一年くらいここら辺に住みついている、ズィーメリー人の女騎士を知らないか?」
相手はいきなり数年ぶりに会う人間から話しかけられたのでびっくりしていたが、慌てふためきながらもしっかり頷いた。
「その騎士がよく使う道を教えてくれ。急ぎで頼む」
行政官も、見知らぬ女騎士がこんなところに住むとは珍しいと思っていたらしい。彼女は滅多に市には来ないらしいが、来た時にどの店を訪れていたかはしっかり覚えられていた。ソマスは礼を言うと、ついでにシルキ港の住居に立ち入る許可を貰った。
そんなことが行われているとはつゆとも知らず、イレーネは人をかき分けながら事前に決めておいた逃走ルートを進んでいく。そして市の外れの方にある角を曲がった時、そこにソマスが先回りして待ち構えていた。
「なっ……」
イレーネは身を翻して別方向へと逃げようとする。しかし、
「待ってくれ、イレーネ」
ソマスは腰に佩いていた剣を手に取ると、地面に放り投げた。
「力は使わない。ただ話し合いたいだけだ」
その言葉に、イレーネは足を止めた。
「今更、何を話し合うっていうのよ」
「あの時の話の続きだ」
カナーノキアの聖遺物保管庫で刃を交わしたあの夜。イレーネがソマスの脇腹を刺して大怪我を負わせ、更に聖遺物「鈍白の霹靂」を持ち去ったことで防衛十字軍の戦力は大きく低下したのだった。
「続きなんて無いよ。完全に決裂したじゃない。あんたは私に『騎士じゃない』とまで言ったんだよ?」
「ああ、言った」ソマスは混じり気のない眼を相手に向けた。「本気でそう思った。だが、お前が騎士じゃないなら私も騎士ではない。お前を止めることはできなかったし、何より聖地カナーノキアを守り切れなかった……」
ソマスは本音で勝負しに来ている。イレーネは思わず俯いた。あの時はお互い本音をぶつけ合ったけど、今でも同じことが出来る自信は、彼女にはなかった。ソマスはきっと、自分がカナーノキアを去った後も残された防衛十字軍を率いて、苦労して戦って、悔しい思いも沢山したのだろう。その間に、自分はただ逃げることしかしなかった。居心地の良い場所に閉じ籠って、自分が酷いことをしたという事実から目を背けていた……。忸怩たる思いが、イレーネにも湧き上がってきた。
ソマスは続けて語りかける。
「だから、一緒に再起するんだ。私は、聖地奪還を期すために。お前は、いるべき場所を見つけるために。無論テレジアさんを連れてきてもらっても構わない」
信仰の篤いソマスにとっては、最大限の譲歩だった。そのくらい、イレーネは十字軍にとって、ソマスにとって必要だった。イレーネが新たな十字軍に加わることによって、防衛十字軍には足りなかったパーツが揃う。ソマスはそんな気がしていた。
「そんなこと言われたって……」
イレーネは恐る恐る顔を上げる。すると彼女はソマスの方を見て驚愕の表情を浮かべた後、眉をしかめた。明らかに先ほどまでとは様子が異なり、視線が殺気を帯び始めている。
「ソマス。さっきあんた、力は使わないと言ったわね」
「ああ、そうだが……」
「それはあんたのお友達には共有されていなかったようだね」
はっとしてソマスは後ろを振り返る。そこには、テレジアの腕を捻り上げて拘束しているモーガンの姿があった。
「モーガン、手荒な真似はよせ」
ソマスがたしなめるが、モーガンは聞く耳を持たなかった。
「ふん。裏切りの背徳騎士イレーネが大人しくお縄になれば、この侍女は許してやるよ」
いつの間に呼んだのか、ポッドスに駐在しているビタリー帝国やシュレーン王国の騎士や文官たちが集まってきている。防衛十字軍での出来事を知っている者もいれば知らない者もおり、皆口々に何かを話し合っている。更に、騒ぎが起こっていることを聞きつけたポッドス人たちも集まってきて。その中には現地の有力者も混じっていた。
最早逃げられる雰囲気でもなくなり、イレーネは周囲を睨みまわしながら皆の前に進み出た。それを見てモーガンもテレジアを放す。テレジアは目に涙を浮かべながらイレーネのもとに駆け寄った。
「イレーネさま、あの……」
「大丈夫だからね」
イレーネは一瞬だけ優しい微笑みを見せる。ソマスはいたたまれない気持ちになった。
「この者はイレーネ・ルン・フィーラ! 彼女は防衛十字軍にて大罪を犯した。すなわち、堕落した姦淫に耽り、防衛十字軍を裏切り、我が友である清廉なる騎士ソマスを傷つけた罪がある!」
モーガンは大衆に向かって語りかける。
「これが許せようか。いや、例え我らが許したとしても神がお許しにならないに違いない! ロムスへ移送して裁きを受けさせようではないか!」
彼の熱を帯びた演説に、聴衆も段々と呼応してきた。
「移送中にまた脱走するのではないか!?」
「奴は魔女だ! 即刻火あぶりにしろ!」
聴衆は得てして過激なものを望む。信仰心に富む者が声を上げると、別にそうでもない者までもが一緒になってイレーネの処罰を叫ぶ。モーガンの方も、その熱気に押されて興奮が高まってきたようだった。
「そ、そうか! そうだな、ロムスに移送するまでもないかもしれない……よし、ここに処刑台を……」
「お、おいちょっと待て」
裁判にかけた上で処刑するならまだしも、今ここで殺してしまうなんて非常識だ。ソマスが慌てて止めようとした時、
「皆、よく聞け!」
イレーネの声が辺りに響き渡った。その声は不思議とよく通った。
「私はこれより、新たな十字軍の騎士となって、聖地カナーノキアへ向かうことを宣言する!」




