琥珀、湖底に輝く
「中央が崩れてきてる。この状況はまずいな」
最後列の船にいたソマスは顔をしかめる。彼は重傷を負っていることもあり、今回の水戦では戦力としては期待されていなかった。だが、この苦しい状況を黙って見ているわけにはいかなかった。
ソマスが立ち上がって聖遺物「真紅の十字架」を手に取ると、周りの者は口々に止めた。
「お、おやめ下さい! 今戦ったら死んでしまいます」
「今のソマスさまに何が出来るというのですか。お考え直し下さい!」
だが、ソマスは気遣ってくれる彼らに礼を言いつつも、考えを変えなかった。
「私は聖遺物を託されている。怪我をしているからとか、そういう個人的な事情は一切関係ない。責務がある以上、やらなくてはならない。それが騎士のあり方なんだ」
こういうところは、エリーゼと似ていたかもしれない。
「我々はこれより、針路を変えて敵の脇腹に突っ込む。狙うはスィンカッサの命! 奴を消さなければ、この戦局は変えられまい」
ソマスが命じ、彼の率いる兵士の乗る四隻が北へ回頭を始める。それを見たモーガンは腰が抜けるほど驚いた。
「あいつ、何をやってるんだ!? 俺たちもすぐ続くぞ!」
ソマス勢のすぐ隣を走っていたモーガン勢の船も、ソマスの後を追うように針路を変える。
チェルシャラン軍の船団は、西方へ移動していく防衛十字軍を追うように西へ回頭し、段々と防衛十字軍と並走するような形になっていく。その横っ腹に、ソマス勢とモーガン勢が突き進んでいく。
ソマスは、敵方の船から出ている淡い黄色い光を目印に船を進めさせる。聖遺物「琥珀の不死鳥」を持つスィンカッサのいる船に、ちょうど船をぶつけて乗り移りたい。
スィンカッサもこちらの動きに気づいたようで、こちらに向けて矢が飛んでくる。それは、舳先に立って見張りをしていた兵士の目に正確に突き刺さった。
「全員伏せろ!」
反撃することはせず、皆何かの物陰に隠れたり、盾で身を隠したりして攻撃をしのぐ。それでも何人かの兵士がスィンカッサの器用な射撃の餌食になっていった。
(まだ、敵船は近づいてこないのか……)
飛び移る瞬間を待つその時間は、永遠にも思えた。スィンカッサの船は、ソマスの船を避けるように南へ回頭を始めている。ソマスの船の舳先をぶつけられて、それだけで撃沈させられるのを防ぐためだろう。
「我々も、僅かに西へ向きを変えるぞ」
ソマスが命じたものの、その直後に快速船の右舷で櫂を握る漕ぎ手が何人かスィンカッサの矢に討たれた。ソマスは自らも櫂を握って船の方向を変えようとするものの、敵船と接近するまでに間に合わない。どうやら舳先を相手の船にぶつけるのは困難なようだった。
「各自、敵船とのすれ違いざまに飛び移れ」
ソマスは方針を変え、スィンカッサ勢と肉弾戦で決着をつけることにした。相手の船はもうすぐそこまで迫ってきている。そして、舷と舷が触れ合うか触れ合わないかくらいですれ違う時、ソマス勢のうち五十人ほどの兵士が一斉に立ち上がって敵船目がけて跳躍した。勿論その中にソマスも含まれていた。
その瞬間、スィンカッサはソマス目がけて矢を放つ。ソマスはそれを予期しており、前もって防御の神秘術を発動させその先制攻撃を余裕で防いだ。ソマス勢は何人かが過って湖に落ちたものの、ほとんどは無事敵船に降り立った。
「全力で後退しろー!」
漕ぎ手が櫂で漕ぐ性質の快速船は、櫂を反対側に漕げば容易に後退することが出来る。一度すれ違ったスィンカッサの船とソマスの船は、今度は並走する形となった。
スィンカッサとソマスは、同じ船の上で対峙している。スィンカッサは既に次の矢をつがえ、一騎討ちをする気満々だった。それに対しソマスは脇腹を鎧の上から押さえ、息も既にあがっていて苦しそうにしている。この時、脇腹の傷が開いて少し出血していた。ソマスとしては、長く戦いたくはない。
ソマスは鎧の内側に仕込んである棘を自らの体に刺す。そこから流れ出てきた霊漿液が聖雲氷に注がれると、「真紅の十字架」が光り、神秘術が発動する。ソマスは槍を逆手に持つと、神秘術で衝撃を増幅させながら船の底を思いっきり突いた。
その衝撃を食らった船底には大きな穴が空き、そこから湖水が勢いよく流れ込んでくる。この船がじきに沈むことが確定した瞬間だった。乗り移ったばかりのソマス勢の兵士は、もとの船に戻るべく後退する。そして、沈没から逃れるべくソマス勢側の船に乗り移ろうとしてくるチェルシャラン軍兵士と次々戦闘状態に入った。
スィンカッサは、苦い顔をしてこちらを睨みつけている。ソマスはそんな相手を無視してさっさと自分の船に飛び移った。すかさず相手は矢を射かけてくる。これも防御の神秘術で防いだ。
「逃げ回っているだけでは、俺を殺せないぞ」
スィンカッサはイクストル地方の言葉で呼びかけてくる。ソマスはその言語も分かるので、
「お前こそ、こっちに来ないとこれ以上戦えないぞ。湖底の魚と戦うつもりか」
と煽り返した。
スィンカッサの足元は既に水に浸されている。彼は矢をつがえながら助走をつけ、空中へ飛び上がった。そして、自分の体が空中で静止する時に、矢をソマスに向けて発射する。その直前、ソマスは傍らの兵から弓矢を受け取っていた。
芸事において、上手な人の手本を見た直後は、見た人も少しばかり上手になっていることがある。上手さが伝播するというのだろうか。そして、弓も一種の芸事であり、スィンカッサの魔術を使った射は、ソマスにとっては良い見本になった。
スィンカッサの放ってきた矢を防御の神秘術で防ぐと同時に、ソマスは相手に向けて矢を射る。その矢は正確に飛んでいき、空中でかわすことのできないスィンカッサの首元に突き立った。
「ウアアッ」
スィンカッサは即死し、体の制御を失ってソマスの船のへりにぶつかる。ソマスの誤算は、空中で息絶えたスィンカッサの死体がそのまま船の中に転がり込んでくるだろうとの予想が外れたことだった。その時たまたまソマスの船は波に揺られて敵船から少し離れてしまっていた。スィンカッサの死体は後ろ向きに倒れ、頭部を下にして船から真っ逆さまに湖面へと落ちていった。
「あっ、待て」
慌てて船べりに駆け寄ったが、もう遅かった。湖面に着水したその死体は、鎧をつけていたこともあって浮かぶ気配すらなく沈んでいく。ソマスはただその様子を見つめることしか出来なかった。
聖遺物「琥珀の不死鳥」は、湖の底へ消えた。その水域は底が深く、戦闘の後も湖底を捜索することなどできなかった。世界に現状七つ存在する聖遺物の一つが永久に失われたのだった。
*
一方、モーガン勢はソマスよりもやや西方にずれて航行していた。そのせいで、彼らはスィンカッサと交戦することはなく、代わりにクァチャマン勢と衝突した。
クァチャマンは聖遺物「紺碧の竜鱗」を手にしている。対してモーガンは何ら聖遺物を所持していない。たちまちモーガン勢は劣勢になった。
「くっ、何とか耐えきれ! 味方の援護が間もなく来る! それまで耐え抜くんだ!」
モーガンはそう叫んで兵士たちを鼓舞したが、内心味方からの援護があるなどとは考えていなかった。ソマスはあの傷を負った状態では、目の前の敵と戦うのが精一杯だろう。他の隊からの援護など来ようがない。もうダメか、と諦めかけていた。
思えば、モーガン勢はこれまでも二度、死地を経験していた。一度はハーッタンの戦いで、もう一度はカナーノキア撤退戦で。そのどちらもエリーゼの奮戦に助けられた。だがもうエリーゼはいない。自分たちだけで戦い抜かねば。




