魁湖水戦!
「ファヤー港はどうやら堅く要塞化されているようだ。ならば、港から魁湖へと出てきた奴らを叩き、港を封鎖し、奴らを中から一歩も出さないようにするのだ」
チャーマッシュはチェルシャラン朝の武将たちに、ファヤー港より北方の港町から出航して湖上に出るよう命じた。
「こうなったのもお前がエリーゼを抑えられなかったからだぞ、クァチャマン」
チャーマッシュはクァチャマンの肩に手を置いて言う。
「だが、お前にはまだ期待している。聖遺物を託すゆえ、今度こそ防衛十字軍の奴らを撃滅してみせろ」
チャーマッシュの手には、エリーゼから奪った聖遺物「紺碧の竜鱗」が握られていた。
実は、チェルシャラン朝にはクァチャマンに聖遺物を持たせざるを得ない事情があった。それは彼がイクストル地方南部の被征服民族出身であることだった。被征服民族といっても、チェルシャラン朝内での人口比は南部人の方が北部人よりも圧倒的に多い。そのため南部人たちをうまく御していくためには、南部人をある程度登用・出世させていかなければならなかった。クァチャマンは軍幹部武将の中で唯一の南部人で、そんな彼に今まで聖遺物を持たせてこなかったことに、南部人たちの不満が溜まり始めていた頃だった。
「仰せのままに。チャーマッシュさま」
「紺碧の竜鱗」を受け取るクァチャマンの手は、がちがちに固まっていた。
*
一方、ファヤー港にいる防衛十字軍はというと、負傷兵の収容、航行中の必需品の積み込みなどを行っていたら、出航までに数日を要してしまった。その代わり、その間にビタリー帝国からの援軍が二千人ほど大型船で到着していた。援軍を率いていたのはジルド・ウェ・キュイという、ビタリー皇帝の懐刀の騎士だった。彼はシュレーン王国出身でありながらビタリー皇帝に気に入られ、皇帝の近辺に仕えるようになるとともに、ロムスにて保管されていた聖遺物「黒曜の亀甲」を与えられていた。
「私とヴァイナイティアの軍勢がいればもう心配はありません。早くここを発ちましょう」
脂ののった壮年騎士という感じのジルドは、自信たっぷりに言った。
防衛十字軍は、大型船十隻、小型の快速船三十隻に総勢五千人が乗り込むという構成でファヤー港を出発した。遠ざかっていく陸地を見ながら、ソマスは深いため息をついた。
しかし、感傷に浸っている暇は無かった。突如北方に敵らしき船団が見えたからだ。
「無数の快速船がこちらに向かっています!」
見張りの兵士の報告に一同は驚いた。まさかこんなに早く船の用意が出来るとは。
カナーノキア王国北方に、ジョルディンという砂漠か荒れ地に覆われた人口の少ない国がある。チェルシャラン朝とは友好関係にあり、チャーマッシュはジョルディンの湖岸に前もって船を用意させておいたのだった。ただし、船といっても大型船の建造は間に合わず、中小型の快速船を九十隻ほど用意するに留まった。それでも八千人が乗り込み、兵力的に防衛十字軍を上回っていた。
それと、この水戦がチェルシャラン軍に圧倒的に有利な点が一つあった。スィンカッサの使う、矢が正確に飛んでいく魔術が、船と船を挟んでの戦いに非常に向いていることであった。
敵船団発見との報告に、ソマスだけは眉一つ動かさず、見張りの兵士に質問を飛ばした。
「敵の陣形は?」
「えーと……二列縦陣のように見えます」
兵士の返答を聞いたソマスは、すかさずコンラト王に進言した。
「我々は相手船団の針路と垂直方向に進むようにして一列縦陣をとりましょう。全ての船で敵の先頭の船を叩くのです」
その提言は、迫り来る敵船団と全面的に戦うことを意味していた。防衛十字軍がこの死地を脱するだけなら、まともに戦うよりも全力で逃げた方が安全だ。しかしそれは十字軍側が制湖権を失うことを意味し、今後再起して聖地奪還を目指すつもりのソマスにとっては受け入れ難いことだった。
コンラト王は少し迷ったが、ソマスの意見を容れた。
「各船に伝えよ! 陣形は一列縦陣!」
ソマスも自分の兵たちが乗る船に戻る。防衛十字軍の船は陣形を組み換え、最前列にルエイ、続いてジルド、中央にドゥルヴェーダ、コンラト王、後列にモーガン、最後列にソマスという形になった。
敵船団との距離が徐々に縮まってくる。段々、敵兵士の顔も何となく見えるようになってきた。ソマスは敵方から漏れ出てくる聖遺物の光に目を凝らす。前方の方に濃い青の光と薄い緑の光、すなわち「紺碧の竜鱗」と「翡翠の月輪」の放つ光が見え、それよりやや後方に淡い黄色の光、すなわち「琥珀の不死鳥」の放つ光が見えた。どうやら「紫稀の祝福」は陸地に待機させてあるようだ。
「全軍、敵先頭の二隻に向け、矢を射かけろ!」
コンラト王のいる船から攻撃の合図の旗が立ち、全船から一斉に矢が放たれる。その矢たちは敵の船二隻に雨のように降り注ぎ、船の材木を裂き、敵兵の肉に突き立った。続いてもう一度一斉に矢を浴びせかけると、漕ぎ手を失ったのか、攻撃を受けた敵船は制御を失ってあらぬ方向へと湖面を漂い始めた。
チェルシャラン軍の方からの攻撃はというと、二列目の船が矢を撃ち返してきているが、いかんせん二隻だけではぱらぱらとしか撃つことができない。陣形として、明らかに防衛十字軍の方が優勢のように見えた。
「ようし、このまま敵をどんどんすり潰していくぞ!」
戦闘のすべり出しの良さにすっかり舞い上がったドゥルヴェーダは、船の舳先の方に乗り出した。
「見たか異教徒ども! 水の上ではこのヴァイナイティアが最強なんだ!」
そう叫んだドゥルヴェーダの額に、一本の矢がずぶりと突き刺さった。
「あっ! なんということ……」
周囲にいた兵士たちが悲痛な叫び声を上げながら駆け寄ったが、甲板に倒れこんだドゥルヴェーダは既に息をしていなかった。即死だった。
敵弓兵が放った矢がたまたま当たったのではない。魔術を使って正確に彼を射抜いた者がいた。スィンカッサは、その後も次々とドゥルヴェーダの船にいる者を狙っては射殺し、その船全体を混乱に陥れた。
「これはまずい。全船に、狙撃に注意せよと伝えろ」
ドゥルヴェーダの船の異変に察したコンラト王は、すぐに各船と連絡をとった。これによってドゥルヴェーダと同じ運命を歩む将は出なかったが、その代わり弓兵による一斉射撃にも支障が生じた。弓兵が怖くなってあまり前に出れなくなってしまったのだ。必然的に防衛十字軍の攻撃力は下がり、チェルシャラン軍の船が矢の攻撃を免れてどんどん防衛十字軍の船団に近づいてくる。
「今だ! 敵の船に飛び移れー!」
セイシャルの号令によって、チェルシャラン軍の兵士たちが次々と縄を投げかけそれを伝って、あるいは跳躍して直接防衛十字軍の船に飛び移ってきた。セイシャル自身も、近くの快速船に乗り込みたちどころに数人の防衛十字軍兵士を突き殺した。
「異教の槍使い! 聖遺物を持っているな?」
ジルド・ウェ・キュイがそう語りかけながらセイシャルに近づいていく。勿論、セイシャルはジルドの喋る言葉は分からず、きょとんとしている。
「その聖遺物、神聖なるビタリー帝国が貰い受ける」
ジルドは大きな槌を持ち上げ、素早くセイシャルに向かって振り下ろす。セイシャルは一気に相手の懐に飛び込んでその攻撃をかわすと、槍を短く持ち直して一突きでジルドの首元を捉えた。
「あっ」
驚いた表情で目を見開いたままのジルドの頭が首を離れて空中を飛んだ。一合も得物を交わすことなく、彼は敗死したのだった。




