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聖地放棄

 仮に聖地に残って戦うとすれば、それはここにいる騎士兵士たち全員の死を意味するだろう。ソマスは寝台に横たわったまま目を瞑って答えた。


「一度、聖地カナーノキアから撤退しよう。これ以上この地に留まっていても、今より戦況が良くなることは無い」


 その場にいたモーガン、エリーゼ、コンラト王の誰もが沈痛な面持ちで俯いた。ソマスが聖地防衛に対して一番執念を燃やしていたのは誰もが知っていた。そんなソマスの撤退宣言だからこそ、計り知れない重みがあった。


「その代わり、我々は軍勢を立て直して必ずまたここへやって来る。あくまで、一時的に聖地を離れるだけだ」


 そうソマスは語ったが、一度敗れた十字軍に再び人が集まるのか、集まるとして一体何年後のことになるのか、前途は果てしなく暗かった。


 *


 翌日から、カナーノキアの城壁や砦を壊す作業が始まった。十字軍が奪還しに来る際に攻めやすくするため、あるいはカナーノキアを占領したチェルシャラン軍に修復作業を行わせて浪費させるためだった。壊すといっても更地にするわけではなく、防衛に重要だったり修復困難な部分をところどころ壊すに留まった。


 外から見たその作業は異様な光景で、遠巻きに何人かの騎兵がこちらの様子を窺っているのが見えた。恐らく、チェルシャラン軍の斥候だろう。


「あまり時間は無い。順次撤退を開始させなければならんな」


 コンラト王が警告する。事実、チェルシャラン軍は攻城塔の建築に取り掛かっていたが、それを急遽中止して戦闘態勢を整えつつあった。


 防衛十字軍が聖地カナーノキアを捨てて向かう場所とは、ファヤー港しかなかった。そこから船に乗ってビタリー帝国本領のどこかの港へ行き、シュレーン王国にあるそれぞれの領地へと帰るのだ。そのファヤー港までの行路で襲撃を受けたらたまったものではない。


「誰かが殿を務める必要がありますね」


 モーガンが言うと、真っ先にエリーゼが名乗りを上げた。


「その役目、私にやらせて。どうしても私がやりたいの」


 彼女の気迫に押されて、誰も反対はしなかった。


 ソマスは私室で安静にしていたため、その場にはいなかった。同じ日の夕方、ソマスはエリーゼを部屋に呼び出して本音を聞き出すことにした。


「もう体は大丈夫なの、ソマス」


 彼は寝台を出て、窓際の椅子に腰かけていた。エリーゼが気遣うと、ソマスは微かに笑って


「まだ出血はありますけど、いつまでも寝てられませんから」


 と言った。


「エリーゼさんが殿って、自分から引き受けたんですか? 何だか意外です」


 ソマスは早速本題に入った。


 殿とは、退却する軍勢の最後尾の隊のことだ。敵の追撃を防いで戦うため、殿の部隊自身は戦場からの離脱に失敗して大量の死傷者を出すことも多い。特に、今回のように敵軍から攻撃が来ることがほぼ確実の場合は、かなり危険だった。


「失礼だな。私だって、防衛十字軍の誇り高き『七人の騎士』の一人だよ」


「すみません。エリーゼさんがそこまで熱い心を持ってたなんて、嬉しいです。いつもちょっと冷めてる感じありましたから」


「はは、そうだね。でも、冷めてても通すべき筋があると思ったんだよ」


「筋、とはどういう筋ですか?」


「簡単なことよ。防衛十字軍の騎士である以上、防衛十字軍に対し忠実であるべし。当たり前なことだが、イレーネにもマグラーにも出来なかったようだ。だが私は違う。最後まで防衛十字軍のために全力で戦う」


 エリーゼの真剣なまなざしを見て、ソマスは少し安堵した。


「エリーゼさん。殿を務める際は、必ず聖遺物を持っていて下さい。引き続き『紺碧の竜鱗』を使うのが良い」


「何を言ってる。それでは私が死んだら聖遺物を敵に奪われてしまうじゃないか。ここは私を犠牲にして、聖遺物二つを運び出すべきだ」


 ソマスは首を横に振る。


「それではエリーゼさんは確実に死んでしまいます。騎士に死ぬ覚悟は必要ですが、死ぬことを前提にした作戦は立てたくないのです。自殺とあまり区別がつきませんから」


 ソマスの心には、ラルクの自死が暗い影を落としている。エリーゼは直感的にそう思った。


「分かった。遠慮なく『紺碧の竜鱗』を使わせてもらうわ」


「はい。思う存分暴れて下さい。そして、隙を見て戦場を離脱して下さいね」


 ソマスが笑いかけると、エリーゼもつられて笑い返す。これが、二人が味方同士として交わした最後の会話になった。


 *


 翌日の昼頃から、チェルシャラン軍はカナーノキアに向けて総攻撃を開始してきた。どうやら、防衛十字軍をカナーノキアから逃さず殲滅するつもりのようだ。城壁の東門にはセイシャル、クァチャマン、ピクシールらが攻め寄せ、南門にはスィンカッサ、ジェイバラハラらが来襲した。これに対し防衛十字軍側では東門はモーガン、南門はエリーゼが守りについて戦っていた。


 その日の朝、起きてみたら兵士の数がおよそ半分になっていたので、エリーゼは驚いた。


「どういうことだ。皆、脱走したというのか」


 言葉を失う彼女に対し、近くにいる兵士が「はい、そのようです」などと間抜けな返答をした。


(こんな時に逃げるなどイレーネと同じではないか。まあ、兵士などそんなものか。逆に言えば、イレーネは一兵士と変わらぬ根性を持っていたということだ)


 エリーゼの心はイレーネへの歪んだ感情で満ちていた。


(騎士としての強さ、魅力を持っているのに……あいつは騎士じゃない。私はイレーネとは違う。最後まで誇り高く戦う)


 エリーゼが自分の持ち場へ向かいかけた時、


「そういえば、ジュヴーユ侯領の兵士たちが見当たらないですけど、どうしたんですか? もしかして、ハーッタンの戦いで全滅したんですか?」


 とモーガンが話しかけてきた。


「ええ、残念なことに……私たち、あの状況じゃどうしようもなかったでしょ? フォーセイン伯領の兵士たちを救い出すので精一杯だったの」


「もしかして、自領の兵士を助けるために、ジュヴーユ侯領の兵士は見捨てたんですか?」


「まあ、そうなるね」


 モーガンが絶句していると、エリーゼは不思議そうに相手の顔を見つめた。


「何かおかしい? 自分の故郷の兵士たちを優先するのは当然でしょ。身内みたいなもんなんだから」


「あ、いや……おかしくはない……と思います」


 モーガンはそう返したものの、エリーゼのことを心から信用することはなくなった。


 そんな経緯で、エリーゼとモーガンはあわせて二千足らずほどの兵力で戦わざるを得なかった。壊れかけた城壁を駆使して敵を防いでいる間、残りの防衛十字軍の兵士たちは西門から出てファヤー港を目指す。その中に、傷が癒えず戦闘に参加できないソマスも含まれていた。


(ソマス……お前も重傷を負うまで戦って使命を全うした。私も続くぞ)


 エリーゼはそんなことを考えていた。彼女は、十字軍の戦いがもうこれで最後だろうと思っている節があった。まさかソマスがわずか二年で軍勢を集めなおし、転生十字軍として再起することなど予想しようがないため、仕方がないことではあるが。


 チェルシャラン軍の兵士は、城壁の壊れた部分から次々と城壁内に侵入してくる。カナーノキアの城壁は二重構造になっているため、一つ壁を突破されてもすぐ市内に侵入されることはない。しかし、外側の壁と内側の壁の間でエリーゼ勢の兵士はその場を死守しようと奮戦し、続々と戦死者を積み上げている。このままでは内側の壁が突破されるのも時間の問題だ。


「モーガンに伝えろ! 私たちはこれから突撃を敢行する!」


 城壁を利用しての防衛戦に限界を感じたエリーゼは、積極的に打って出ることにした。

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