ソマス対イレーネ
ソマスは身を低くしてその炎をすれすれのところでかわすと、聖遺物の安置してある方に向かって全力で走る。その間もイレーネは連続で炎を放ってくる。その攻撃に強い殺意は無かったが、冷たい決意は宿っていた。絶対に殺すとまでは思っていないが、必要があれば躊躇なく殺す。そんな念がこもっていた。
ソマスは防御の神秘術を駆使して、なんとか身体への損傷を抑える。炎の熱で息が詰まりそうだ。彼はほとんど滑り込むように聖遺物「真紅の十字架」を掴み取った。
「神よ、その御心のままに……この者を行かせるべきでないと思うなら、どうか力をお貸し下さい」
ソマスが祈り、剣で手首の裏を少し切ると、霊漿液が手首を伝って手に握った聖雲氷に流れ込み、同時に「真紅の十字架」が強い光を放った。最大限の、防御の神秘術。それはイレーネの送ってくる爆炎を、ものの見事にぴたりと止めた。
「やるね、ソマス」
イレーネは遠距離の攻撃は無意味と判断し、剣を持ち直す。近接戦に移行するつもりだ。彼女は得物は剣一本のみを携えており、盾は持っていないようだ。ソマスも剣を中段に構える。慎重に相手の出方を窺うソマスに対して、イレーネは無言で間合いを詰めて突っ込んでいった。
『私を守ってくれる覚悟はあるんですか』
イレーネの頭の中を、テレジアから言われたその台詞だけが支配していた。今まさに、テレジアのための戦いをしているんだ。これでいい、何も間違っていないはずだ。イレーネはそう信じていた。間違っていないのなら負けるはずがないという保証はどこにも無かったが、不思議なことに、彼女も何かこの世界を超越した力が自分を勝たせてくれるはずだというような気持ちになっていた、それはまさに、ソマスが祈ったことと同じことであった。
イレーネは剣撃を繰り出す直前、神秘術を発動して小さな炎をソマスの目の前に向かって発生させた。相手に傷を負わせることのない程度の炎だったが、ソマスの視界を遮る目くらましとしては十分だった。戸惑うソマスの脇腹を、イレーネの剣が捉えかける。これに対し、ソマスは咄嗟に自らの神秘術"アダムの傲岸"による衝撃を足元に向けて放った。イレーネは衝撃の余波を食らうのを防ぐために防御の神秘術を発動させながら一旦後ろに下がる。すると、ソマスの放った衝撃によって彼の目の前にあった炎は消し飛び、視界が回復した。
後ろに下がった影響でイレーネは重心が後ろにかかって無防備な体勢になる。ソマスはすかさず打突を繰り出した。イレーネは形だけ剣で受け止める構えをみせたが、ソマスの打突が勢いで押し切れるのは目に見えて明らかだった。
(私の勝ちだ)
そう思った時、ソマスは相手の剣から微かに熱を感じた。彼は慌てて打突をやめ、後退して距離を取る。脳裏によぎったのは、イレーネが決闘裁判の時に行った技だった。あの時、イレーネは剣に熱を蓄え、エリーゼの剣を両断していた。それと同じことをしてくる危険性は大いにある。
「流石だね。私のことまでよく研究しているなんて」イレーネは皮肉っぽく笑う。「私と戦うことになると、想定していたのかな?」
「違う、あくまで味方として一緒に戦うための分析だ。お前こそ、シュレーン人が憎いわけじゃないのなら、まだ手を取り合える。どうか投降してくれ」
ソマスの呼びかけも空しく、イレーネは構えを解かなかった。
「投降? 私の技を一度見破ったくらいで、勝った気にならないで」
彼女の近くには、聖遺物を清めるための聖水が入った壺がある。イレーネは剣を振り上げるとその壺を思いきり叩き割った。聖水が零れる……と思いきや、イレーネの高温の剣によって熱され、蒸気となって辺りを漂い始めた。それはあまりに一瞬の出来事だったため、蒸気は一気に空間に広がりソマスのいるところにも届いていた。ソマスは暑さのあまり身をかがめて蒸気から逃れようとする。そこをイレーネは見逃さなかった。
彼女は普段から神秘術で炎を扱っているため、多少の熱には慣れている。辺り一面に漂う蒸気をものともせず、イレーネはソマスに向かって一直線に突っ込んでいく。蒸気に苦しむ中、ソマスは神秘術を発動しながら剣を振りかぶるが、イレーネは右手で相手の柄を押さえつつ防御の神秘術を発動させてソマスの神秘術を封じる。そしてもう片方の手から突き出された剣先は、今度こそ相手の脇腹を捉えた。
「ぐふっ……ぬっ……」
ソマスは急いで距離を取るが、体に力が入らず、血を吐いてその場に膝をつく。イレーネの剣は、ソマスの右脇腹にやや深く突き刺さり、抜けていた。ただ、剣に残っていた熱が傷口の肉を焼いたため、見た目ほど出血は酷くなかった。
「すまない。私は行かなければ」
イレーネはソマスにとどめを刺すことも救護することもせず、聖遺物「鈍白の霹靂」を持ったまま保管庫の扉に向かっていく。扉の外ではいつの間にか、テレジアが馬を引いて待っていた。イレーネはその馬に乗ると、テレジアの手を取り、彼女を自分の後ろに乗せた。
馬が二人を遠くへ運び去っていくのを、ソマスはうずくまったまま見つめることしか出来なかった。
*
ズィーメリー騎士たちの乱は、現体制側に鎮圧される形で終結した。シュレーン騎士たちの兵舎を襲った攻撃などはモーガンが兵を率いて対処し、コンラト王を害そうとした一隊はエリーゼが倒した。この戦いで多くのズィーメリー騎士が討ち死にし、首謀者マグラーもエリーゼと奮戦の末、彼女に首を吹っ飛ばされて死亡していた。
ただ、勝利したシュレーン側にとっても、喜べる状況ではなかった。まず、聖地カナーノキア防衛においてズィーメリー勢の協力が全くと言っていいほど期待できなくなったことである。戦死したズィーメリー騎士たちの分だけ戦力が低下したのは勿論のこと、その騎士たちの配下の兵士たちや、友好関係にあった騎士などが防衛十字軍に嫌気が差して陣を引き払い始めていた。コンラト王は必死で説得し、あるいは脅して止めようとしたが、戦意を喪失した者たちを無理矢理聖地に残らせたところで大した働きをするとも思えず、最終的には好きなようにさせた。
それから、聖遺物「鈍白の霹靂」の消失と、ソマスの負傷も痛手だった。ソマスは聖遺物保管庫で倒れているところをエリーゼに発見され、すぐに手当てを受けた。それでもすぐに回復しそうな傷ではなかった。
ソマスは、イレーネが聖遺物を奪って逃走したことを、エリーゼやモーガン、コンラト王には伝えた。しかし、それ以上その情報を公開することには慎重だった。
「なんで? 私はイレーネのやったことが許せない! あいつの罪を公表して、名誉を地に落とさないと気が済まないわ」
エリーゼは情報を伏せることに不服そうだった。
「その情報に触れる兵士たちの気持ちも考えて下さい。イレーネは間違いなく防衛十字軍最強の騎士でした。それが私を倒した上で、聖遺物を持って逃走したとなったらどう思います? 誰ももう異教徒とは戦おうとはしない筈です」
ソマスは傷の痛みを感じて一拍黙ってから、続けた。
「ここは、イレーネもズィーメリーの反乱に加わったものの我々に敗れて逃走したことにしましょう。あの人は所詮それくらいの実力だったと喧伝するのです。聖遺物は、混乱の最中行方不明になり目下捜索中であるということにすると良いと思います」
それでも、噂が広まっていくのは止められないだろう、とソマスは予感していた。真実というものはなかなか隠しておけるものではない。いずれ本当のことを公表することになるのだろうが、大事なのは今この時期だ。聖地カナーノキアにチェルシャラン軍が迫っている状況で、士気を保っていることが最も重要だった。
「それで、異教徒とはどう戦う」
モーガンが、深刻な顔で訊いてきた。




