一本鎗の異教徒
(モーガンを助けないと!)
彼を助け、自分もこの死地を脱するためには、敵中突破しかない。エリーゼは覚悟を決めた。
「ジュヴーユ侯領兵、後退!」
自死したラルクから受け継いだジュヴーユ侯領勢に対して命じる。彼らはホッとしたように後ろに下がり始めたが、エリーゼは彼らを救うつもりなど毛頭なかった。
「フォーセイン伯領の兵士たちは、私に続けっ!」
クロー家の統治するフォーセイン伯領の兵士、つまりエリーゼの故郷の者たちだけが、目の前の敵セイシャル勢に突撃していく。ジュヴーユ侯領勢はそのままその場に取り残される形になった。
エリーゼ率いる一隊は、敵兵を撥ね飛ばし、突き倒し、どんどん血路を開いていく。敵兵は心理的にどうしても勢い盛んなフォーセイン伯領勢よりも、戦意の緩みかけたジュヴーユ侯領勢に襲いかかる方に流れていく。こうしてエリーゼは、ジュヴーユ侯領兵たちを犠牲にしてフォーセイン伯領兵たちを前進させることに成功したのだった。
(このまま一気に突き崩す!)
エリーゼは鎧の左肩部分に装着した聖遺物「紺碧の竜鱗」に軽く触れ、その力を借りる。深い青の光が彼女を包み込み、周囲の空気が無数の小さな雷を帯び始めた。
「大天使ウリエルよ、この度もまた啓佑をお与え下さい」
エリーゼは普段は信心深い生活とは程遠い生き方をしている割に、戦場でのここぞという場面では心の中で熱心に祈る習性があった。
彼女の周りで発生した小さな雷たちが枝分かれして辺りにいたセイシャル勢の兵士を次々と焦がす。その攻撃を受けた者のうち、生き残ることが出来たのは他ならぬセイシャル本人だけだった。
その男は、薄い緑色の光をまといながら、こちらをじっと睨みつけてくる。聖遺物「翡翠の月輪」を身に着けていたから、セイシャルはエリーゼの攻撃を耐え抜くことができたのだった。だが、セイシャルの方から何ら魔術の攻撃を仕掛けてくる気配はない。
(もしやこいつ、魔術が使えないのか?)
神秘術・魔術の使えない者が聖遺物を手にしたらどうなるのか、ということは実証済みだった。聖遺物を持っただけで神秘術・魔術を起こせるようになった者はいないが、敵から神秘術・魔術の攻撃を受けた際にそれを打ち消す効果は発動した者が何人かいた。つまり、防御の神秘術・魔術だけ使えるようになるのと実質的に同じ作用が働くことが分かっていた。
そのため、基本的に神秘術・魔術が使えない者に聖遺物を持たせる運用はされない。しかし例外として、並の神秘術師・魔術師よりも総合的な攻撃力に勝る武術を操る者がいた場合、その者を敵神秘術師・魔術師からの攻撃から守る必要性が高いと判断して聖遺物を持たせることもあった。
(セイシャルとやらも、聖遺物に値するほどの武の者ということか)
エリーゼは、槍を握りなおして構える。一突きで終わらせる。そう決意して、エリーゼは小さな雷を槍にまとわせながら敵に向かって突進した。
彼女はイレーネと違い、身長の一・五倍ほどという比較的短い槍を使っている。セイシャルはそれよりやや長い槍を使っていた。エリーゼが相手の懐に潜り込んでその胸に向かって槍を突き立てようとするのを、セイシャルは華麗な槍さばきで防いだ。その際、小さな雷が幾つもセイシャルに向かって落ちていったが、聖遺物「翡翠の月輪」が発動する防御の魔術が彼を守った。
反対に、セイシャルが滑らかな動きで槍を反転させ、エリーゼに向かって槍を突き出す。エリーゼは体を捻ってそれを間一髪でかわした。
(なるほど。簡単には勝たせてくれないようだ)
エリーゼは馬を走らせてセイシャルとの間合いを詰めようとする。しかし相手もうまく馬を操ってエリーゼとの距離を一定に保っていた。
(ならば、相手の足を止めるまでだ)
エリーゼは槍を下に向け、聖遺物を使った最大限の力で雷を放出した。その負担を受けてエリーゼの体が悲鳴を上げ、どうしようもない痛みと吐き気が襲ってくる。その雷は周囲にいた何人かの兵士をも巻き込んで焦がし、セイシャルへと向かっていく。セイシャル自身は聖遺物の作用で身を守ったが、彼の馬は攻撃を食らい痺れてその場から動けなくなった。
すかさずエリーゼは突進しながら槍を突き出す。間合いが一気に縮まり、もう少しでその突きが相手の脇腹に届く……というところで、セイシャルは素早く槍を持ち替え、エリーゼに向かって突いてきた。相討ちも辞さない捨て身の攻撃だった。エリーゼはセイシャルとすれ違う直前で身をかわし、結果どちらの攻撃も互いに当たらず再び両者の間合いは分かれた。
セイシャルは使い物にならなくなった馬を降り、後ずさりながら槍を構えなおす。ここでこの武の達人との決着に拘ってもいいが、今は死地からの脱出がエリーゼにとって一番の目的だった。それに、彼女は好敵手と面白い戦いが出来て満足していた。そういう子供っぽい純粋なところがあった。
周囲ではフォーセイン伯領の兵士たちがちらほら前線を突破し始めていた。一刻も早くこの戦場を抜け出さなければ。エリーゼは槍を高く掲げて騎士の礼を取ると、セイシャルに背を向けて馬を駆けさせた。
こうして、エリーゼを始めとするフォーセイン伯領勢は戦場を北側に抜け、敵の包囲を脱した。それに続くようにモーガン勢も敵中を突破し、多大な犠牲を払いながらも壊滅を免れた。
*
「北側で我々は優勢のようだ。どうする、チャーマッシュ」
チェルシャラン軍の本陣では、皇子シェランがチャーマッシュ・シェンに今後の動きを相談していた。
「ジェイバラハラ、クァチャマンなどを全部北側に投入しましょう。幸い、南側にいる敵はまだこちらに来ないようです」
イレーネ勢とソマス勢はレチャカーン勢への突撃の末、南側に抜けていった。その結果、平原の南側にいる彼らは、主戦場、特にシェランのいるチェルシャラン軍本陣からは遠く離れてしまっていた。
「イレーネとやらが南に行ってくれて助かったな。少々不可解な行動だったが、特に深い意図は無いようだ」
とシェランが言うと、チャーマッシュは
「はい。北側から防衛十字軍の本陣を叩き、コンラトの首を挙げましょう」
とほほえんだ。
その命令通り、チェルシャラン軍の大軍勢がコンラト王のいる陣目がけて猛進を開始する。ここだけに一万人以上は割いているのではないかという大移動だった。戦場を更に北側に脱してしまったエリーゼ勢とモーガン勢では、すぐにこれに対処するということはできなかった。結局、北側後方に布陣していたマグラー勢とミル・ウェ・リ勢だけで敵の大軍勢を迎え討つことになった。
マグラー勢とミル勢では、合わせても五千に満たない。あっという間に敵の数に呑み込まれ、死体の山が築かれていった。
「逃げるな! 戦え! 立ち向かえ!」
マグラーは兵士たちを激励しながら自らも必死に戦っているが、怖気づいて逃げ出す兵士は後を絶たない。仕方なくマグラーは一旦後方へ向かう。どこかで味方の他の隊と合流し、立て直すしかない。そう判断してのことだった。同じ頃、ミル・ウェ・リは名もなき敵兵士に槍で全身を突かれあっけなく命を落としていた。
「マグラーどのが危ない!」
この危機に真っ先に対応したのが、ポゼン・ファ・ヤートだった。先程までシャイマッセン勢と戦い足止めされていた彼らの軍勢は、幸いなことにコンラト王の本陣とさほど離れてはいなかった。
ズィーメリー王国から来た騎士の一人である彼は、コンラト王への忠誠心は皆無だったが、同郷出身の先輩騎士にあたるマグラーへの尊敬の念は人一倍だった。ポゼン勢は急いで方向を変えて引き返し、コンラト王の陣へと向かう敵の大軍勢へ突っ込んだ。




