ハーッタンの戦い
「異教徒に慈悲をかけようとするのが間違いだったようだ。各陣、敵に矢の雨を浴びせろ」
コンラト王の命令はソマスにもすぐ届いた。
「弓兵、射撃用意ー!」
オルトモンテ候領の弓兵が前に出る。ソマスの布陣位置は防衛十字軍の左翼、すなわち平原の南側だった。ソマスよりもやや中央寄りにポゼン・ファ・ヤート、後方にマッカン伯ルエイ・ウェ・カーラが陣取っている。他の陣でも、同様に矢を射る準備が整えられていくのが見える。
「撃て!」
斜め上の方向に向けて一斉に矢が放たれる。それらは敵の陣には届かず、ハーッタンの平原に吸い込まれていった。
「そのまま前進!」
全軍、兵を前に少しずつ進め、敵との距離を縮めながら矢を放ち続ける。やがて敵も撃ち返してくるようになり、敵の矢が当たって倒れる兵士もちらほら出始めてくる。
段々と敵影が近づくにつれ、ソマスは目の前の敵軍から淡く白い光が発されていることに気づいた。
(あれは、聖遺物『鈍白の霹靂』か。そして、旗から察するに目の前の軍勢は恐らくレチャカーンの隊)
チェルシャラン軍には六猛将と呼ばれる武士がおり、名をセイシャル、スィンカッサ、シャイマッセン、レチャカーン、ジェイバラハラ、クァチャマンといった。ソマスはその六人を直接見たことは無かったが、商人などから情報を集めてどのくらいの強さなのか等研究していた。六猛将の一人が聖遺物を手にしているのなら納得がいく。
(他の聖遺物は、敵左翼には配置されていないようだ。今なら、ポゼンどのと連携してレチャカーンを討てる)
ソマスは突撃する決意を固め、従者から槍と盾を受け取った。
(私が動き出すのを見れば、ポゼンどのも続いてくれるだろう)
この頃のソマスは、詰めが甘かった。
兵士たちの前に進み出たソマスは、高々と槍を掲げる。
「我らオルトモンテ候領勢はポッドスにて異端を成敗し、その武勇は防衛十字軍内に知れ渡っている! ならば、聖地防衛の行方を占うこの戦いにおいても、我々が先陣を切ろうではないか! 皆、我に続いて突撃し、異教徒を皆殺しにせよ! デウス・ウルト!」
兵士たちは口々に「デウス・ウルト」、異世界の言葉で「神はそれを望まれた」と意味する合言葉を叫ぶ。そして、ソマスが馬を駆けさせたのに続いてオルトモンテ侯領勢約二千は次々に走り出す。地響きのような吶喊。死がすぐ近くにあるという緊張。それらは、自分が今まさに戦場に突入していくことを実感させた。
ソマス勢突撃開始の報告を受けたポゼンは、自らの兵士にも突撃を命じた。
「我々も続こう。ソマスどのと力を合わせれば、敵左翼を切り崩すことができよう」
しかし、左右の者が揃ってポゼンに意見した。
「いえ、今はまだ動く時ではありません」
「え、どういうことだ」
意味が分からず呆然としている配下に対し、ポゼンは目をいからせながら語った。
「ソマスさまと連携して戦果を挙げたとしても、シュレーンびいきの論功行賞では全てソマスさまの手柄になってしまうではありませんか」
この了見の狭さには流石にポゼンも「今はそんなことを言ってる場合ではありませんよ!」とその配下の者を叱り飛ばした。
この議論があったことで、ポゼン勢は出撃がやや遅れた。ソマス勢は、単独で敵に向かって突撃するような格好になってしまっていた。
レチャカーンの率いる軍勢が、孤立したソマス勢を呑み込み始める。ソマスも神秘術を発動させながら懸命に槍を振るった。聖遺物「真紅の十字架」で増強した神秘術"アダムの傲岸"の力で、ソマスの槍の打突は増幅され、ひと振りで敵兵士を五から十人ほどなぎ倒す。そのお陰でソマス勢は総崩れにならずに済んでいるが、しかしやたらめったら神秘術を使うことは、霊漿液の消耗もそれ相応に速かった。
(このままではいずれ全滅だ……)
ソマスが絶望している頃、ポゼン勢もようやく重い腰を上げて突撃にかかっていた。ソマス勢を襲うレチャカーン勢の横っ腹を狙う形で、ポゼン勢が突っ込んでいく。その進路を、にわかに現れたシャイマッセン勢が阻んだ。
「えい、構わん! 新手の敵勢ごと突き破れ!」
ポゼンは聖遺物「紫稀の祝福」を手にしていることで気が大きくなっていた。だが、シャイマッセン勢の方が一枚上手だった。彼らは投げ縄を得意としていた。敵騎兵が正確に放ってくる投げ縄に捉われ、ポゼン勢の騎兵は次々と落馬していく。
「おい、皆! 怯むな! 進め、戦え!」
ポゼンは自軍の進撃が止まるのを、ただ呆然と眺めることしか出来なかった。
*
一方、防衛十字軍の左翼側、すなわち平原の北側でも、戦端が開こうとしていた。
左翼側の最前線にはエリーゼ・シャン・クローとモーガン・ウェ・スーレが配置され、やや中央寄りにイレーネ・ルン・フィーラ、やや後方にマグラー・ファ・デュッセンとタリハリ伯ミル・ウェ・リが陣取っていた。
こちらの方面では、敵が先に動き出した。南側で近接戦が始まったのを受けての行動だった。
「敵が突撃してくるぞ! 槍兵前へ!」
エリーゼのよく通る声が前線に響き渡った。
「フォーセイン伯領及びジュヴーユ侯領の戦士たち! 汝らは聖地を守り抜く崇高な使命を帯びている。これは正当な殺人なのだ! 殉教しろ、そして天国で会おう」
エリーゼは声を出して味方を鼓舞するのは上手かった。兵士たちの意気が高まったところで、エリーゼは槍を前に突き出し、「デウス・ウルト!」と叫んで駆け出した。
既に敵は動き出している。エリーゼ勢に向かってくるのは六猛将の一人、セイシャルの軍勢だった。敵の先頭を切って、一人の魔術師が駆けてくる。エリーゼは装甲内の棘を自分の体に刺し、霊漿液を流すと、発動した神秘術を増幅すべく、聖遺物「紺碧の竜鱗」に軽く触れた。
(いや、今はまだ体力を温存しておいた方がいい)
聖遺物は消耗することは無い。しかし、聖遺物によって増大した神秘術が使用者の身体に与える影響は、効果の増大された分に比例して大きくなる。霊漿液より先に体力が尽きる危険性は十分にあった。ここで神秘術の使用を抑えるという決断が、この後エリーゼを間一髪で救うことになる。
(敵の下っ端の魔術師になど全力を出すものか。捻りつぶしてくれる!)
クロー家に伝わる神秘術"ウリエルの啓佑"。エリーゼの槍先から小さな雷が発生し、枝分かれしながら敵魔術師の乗る馬を襲う。その魔術師は防御する暇さえ与えられずに落馬し、エリーゼの馬に容赦なく轢き殺された。
この瞬殺劇により、エリーゼ勢は大いに沸き立った。走ってきた勢いのまま、エリーゼ勢の兵士たちは続々と敵軍の中に突っ込んでいく。セイシャル勢は完全に受け止める側になった。
(あとはあの二人がうまく動けるかどうか……)
エリーゼ勢が戦闘を開始した様子を見て、モーガン勢も動き出していた。エリーゼ勢と正面からぶつかった敵セイシャル勢に対し、モーガン勢が北側から、イレーネ勢が南側から攻め立てれば、三方から囲むようにして袋叩きにできる。モーガンもその意図で各陣を配置していたし、そのことは各将に伝えていた。今のところ、手筈通りにエリーゼとモーガンは動いている。あとは、イレーネが戦場に加わるだけだった。
しかし、いつまで経ってもイレーネは到着しない。既にモーガン勢も敵と衝突して戦闘に入っている。焦ってエリーゼが南に目を向けると、遠目にひとまとまりの軍勢が駆けていくのが見えた。その先頭を、赤い十字の描かれたマントをなびかせながら颯爽と走る美しい騎士は、紛れもないイレーネその人だった。
ああ、良かった。エリーゼはひとまず安堵する。これで平原北側での優勢は確実だ。あとはこの優勢を拡大して、南側にいるソマスたちをも救わないと……と、そこまで考えたところで、エリーゼはある違和感に気づいた。




