安らかに眠れ、復活の日まで
「ラルクどの、お加減はいかがか?」
ソマスは部屋の外から声をかける。返事はない。
「まだお休みなのか? すぐ済む要件だから、少しだけでも顔を見せてほしいのだが……」
それでも返事は無い。というより、およそ人のいる気配が全くしない。ソマスは不審に思い、近くを通りかかった兵士を捕まえて尋ねた。
「ラルクどのはどこかへ行かれたのか?」
「いえ、多分今日は部屋から一歩もお出になっていないと思いますが……」
「食事もか?」
「え、ええ」
「それで、何か変だと思わなかったのか?」
「言われてみれば、確かにそうですね……」
「阿呆」
ソマスは急いで剣を抜き、柄の部分で部屋の扉の錠を強く叩いた。
(嫌な予感がする。ただの思い過ごしであればいいが……)
何回か叩くと錠は壊れ、ソマスは部屋の中に突入した。怖れていたことが、そこでは起こってしまっていた。
赤く染め上げられた床、寝台にもたれかかっているその人の生気の無い顔。手に持つ短剣にも血がべったりと付いている。ラルクは、自らの首を切ってた倒れていたのだった。
「ラルクさま! しっかりなさって下さい!」
兵士が悲痛な叫び声を上げて駆け寄るが、ソマスにはそれがもう無駄だと分かっていた。
(なんということだ……「七人の騎士」の一人が、戦う前からいなくなってしまった……)
これは、単に将が一人減る以上の影響を軍内にもたらしかねないことを、ソマスは本能的に感じた。
*
「ああ、たまにあるわね。そういうこと」
ジュヴーユ侯領の兵士たちを預かってもらう関係上、エリーゼにはこのことを打ち明けた。意外にも、エリーゼはラルク自死に報に接しても平然とした顔をしていた。
「エリーゼさんは、以前にも同じような経験をしたことがあるのですか?」
「まあね。流石に、名のある騎士がこういう形で死んだのは見たことないけど、兵士の中にはたまに、戦場での恐怖体験が元で精神がおかしくなってしまう奴がいるんだよ」
ソマスは考えたこともなかった。経験の差が出たのかもしれない。
「ま、ソマスには分からないかもね。そうなってしまう人の心理は」と、エリーゼは言った。
この件は極秘とされ、現場を目撃した兵士にも厳重に口止めがされ、騎士の間で知っている者はソマス、モーガン、エリーゼ、コンラト王だけであった。ラルクは表向きには病死と発表され、ジュヴーユ侯領の兵士たちは無事エリーゼの指揮下に入った。
「それにしても、分からない。死ぬのが怖くて戦場に出れないのに、自死してしまったら本末転倒じゃないか」
ソマスは、ラルクを入れた棺の側でぼやいた。
「自死するくらいの勇気を、戦いに活かせばよかったのに……」
後ろからモーガンが近づいてくる。
「お前は、心が弱い人の気持ちが分からないだろ」
その声は随分冷たかった。
「モーガンだってそうだろ」
「まあ、確かにな。でもお前はもっと酷い」
「エリーゼさんにも似たようなことを言われた……だけど、私だって挫折くらい味わったことはあるし、初めてのことに挑んでいく時はいつだって怖い」
「だけど、すぐ乗り越えられる。そしてお前にとっては多くの場合、挑戦の先に成功が待っている」
モーガンはソマスの肩に手を置く。
「世の中、そんなお前みたいに凄い奴ばっかりじゃないんだ。他の人にとっては当たり前なことが出来ない奴だって沢山いる」
彼はラルクの顔を覗き込みながら続けた。
「お前は……いや、俺たちは過ったんだ。斥候に出ている間、こいつの側にずっとついていたのは俺たちだった。俺たちなら、気づけたかもしれないのに……」
しばらくの間、気まずい沈黙が安置所を包み込む。人の死には馴れているつもりだったが、経緯が経緯なだけに、これまで味わったことのない重苦しさがソマスの全身にのしかかってきた。
「なあ。ラルクどのの死は、殉教に当たるんだろうか」
先に沈黙を破ったのはモーガンだった。
「彼は、防衛十字軍の騎士として死んだ。ただ、戦死とは言い難い。たとえ斥候に出た際の戦いに触発されたものだとしても、最後は自ら命を絶った。殉教とは呼べないだろう」
ソマスは答える。
「じゃあ、こいつは最後の審判の後、地獄に行くんだろうか……」
「救世主の教え」では、終末にこれまでの死者が全員復活し、最後の審判に臨むと教えられている。
「さあ。それは神のみぞ知ることだ」ソマスはそっと手を組み合わせる。「ラルクどのが天国に行くか地獄に行くか、それは分からない。ただ、これだけは言える。彼はもう戦場に行かなくてもいい。復活の日まで、安らかに眠れることだろう」
*
翌朝、防衛十字軍は聖地カナーノキアを発して東へ向かった。チェルシャラン軍とは、ハーッタンという地で会敵することが予想された。砂が少なく起伏の小さい平原だ。夕方ごろ、防衛十字軍はハーッタンの西側に陣を布き、敵が来るのを待ち構えることにした。
そんな日の夜、イレーネは不意にエリーゼの陣を訪れた。
「あ、あんたか……何の用?」
突然の訪問に、エリーゼは相当驚いているようだった。二人は、あれ以降丸一日言葉を交わしていない。たまたま鉢合わせることがあったとしても、イレーネの方から避けていた。
「私、ちょっと言い過ぎました。すみません」
そんなイレーネが、意外なことに先に謝った。エリーゼは完全に面食らって
「気にしないで。私の方こそ、強引なことしちゃってごめんなさい」
と謝っていた。
「あの、私たち、近くに配置されたじゃないですか。だから、今のまま連携が取れないとまずいと思って」
布陣は、モーガンがコンラト王に助言する形で決めた結果、左翼つまり北側にエリーゼ、イレーネ、モーガンが配置されることになっていた。
「ええ、分かってる。昨日あったことは一旦忘れて、お互い目の前のことに集中しましょ」
エリーゼは、イレーネに対する警戒心を完全に解いていた。少なくとも、いま直面している使命……チェルシャラン軍に勝つという目標に向かっては、連帯できているような気がしていた。
「はい、よろしくお願いします」
イレーネはそう言って自陣へと戻っていく。その顔は、心の中で何か冷酷な決意をしたかのように無表情だったが、それはエリーゼの知るところではない。
*
更に翌日、チェルシャラン軍も遂に防衛十字軍の前に姿を現し、ハーッタンの東側に布陣した。平原に漂う空気が緊張を帯びてくる。もういつ戦闘が始まってもおかしくなかった。
防衛十字軍の陣の三か所から、色の混ざった光が漏れ出てくる。聖遺物の放つ光だ。今まさに箱から取り出され、三人の将にそれぞれ装着されたのだろう。
三つの聖遺物が割り当てられたのは、以下の三名だ。「真紅の十字架」はソマス・ウェ・ターリエ、「紺碧の竜鱗」はエリーゼ・シャン・クロー、「紫稀の祝福」はポゼン・ファ・ヤート。シュレーン王国出身者に相対的に多く割り当てられたので、ズィーメリー王国出身者たちからは不平不満が噴出した。
「ソマスになど、聖遺物は要らないのではないか。無敗の騎士イレーネどのこそふさわしい」
そう言って憤るマグラーに対し、当のイレーネは
「別に、そうでもないですよ」
と、興味が無さそうであった。
「異教の王に告ぐ! 今すぐに武装を解除し、自分たちの国に帰られよ!」
コンラト王の送った使者が両軍の間に進み出て、チェルシャラン軍に向かって大声で呼びかけた。すると、敵の陣からひょうっと一本の矢が放たれ、使者の喉元を正確に射抜いた。交渉の余地なし。直ちにコンラト王は戦闘開始の命を下した。




