御前会議
その時、重い鐘の音が街中に響き渡った。それを聞いたエリーゼはイレーネを放すと、
「いいところだったのに。それじゃ」
と言って、身を翻してどこかへと消えていった。
その鐘の音は、カナーノキア王の命令で鳴らされる緊急の合図だ。これを聞いた騎士や兵たちはそれぞれ自分の所属する陣に戻らなければならない。「七人の騎士」やカナーノキア王国直属騎士等の幹部騎士については、王のいる"ベネディクトゥスの塔"へ駆けつけなければならないことになっていた。
イレーネも本来急いで向かわなければいけないところだったが、そんなことよりもテレジアのことの方が大事だった。
「違うの! 待って」
走って逃げようとするテレジアの手を、イレーネは急いで掴んだ。
「放してください、もうイレーネさまなんて知りません」
「今のは無理矢理されて……信じてくれないの?」
イレーネがそう言うと、テレジアはようやく動きを止めた。
「信じますけど……イレーネさまは隙が多過ぎるんです。こないだだって、ソマスとかいうシュレーン人をわざわざ招く必要は無かったじゃないですか」
「なに? 私が悪いって言うの? 私、さっき無理矢理口づけされたんだよ? 私だって嫌だったのに!」
イレーネも感情的になっている。だが、テレジアはそれを上回る勢いで突っかかった。
「イレーネさまは何にも分かってません! 私はイレーネさまにお仕えする侍女なんですよ? あなたがいなかったら生きていけません。立場が全然違うんです! それなのに……私を守ってくれる覚悟はあるんですか!?」
イレーネが言葉に詰まっていると、テレジアは続けて
「もし私との関係が遊びなのでしたら、早めにクビにして下さい。飽きられた後も一生お仕えしていくつもりはございませんので」
と言った。
*
"ベネディクトゥスの塔"では既に会議が始まっていた。カナーノキア王コンラトの前で、「七人の騎士」をはじめとする防衛十字軍の幹部騎士らが一堂に会している。斥候から帰還したソマスとモーガンが、実際に見てきたものを報告しているところだった。
遅れて入ってきたイレーネを、モーガンは咎めた。
「おい、どうしてこんなに来るのに時間がかかってるんだ」
イレーネは、テレジアと言い争った後、しばらく気持ちを落ち着かせてから会議に向かったのだった。
「別に私がいなくなって……」
どうせそっちで勝手に決めるんでしょ、と言いかけてやめた。
「悪かったわよ」
渋々謝ると、モーガンもそれ以上は追及してこなかった。エリーゼは、涼しい顔で知らんぷりを決め込んでいた。ソマスが報告を続ける。
「こちらに向かってきているチェルシャラン軍の数はおよそ二万。加えて、聖遺物を三具保有しています」
聖遺物は、この世に七つ存在する。うち三つはカナーノキアにて防衛十字軍が保有し、一つはビタリー帝国首都ロムスにあることが分かっていたため、残り三つの所在が不明だった。それが全て敵の手にあったということだから、防衛十字軍にとってはこの上ない凶報だった。
「こちらは約二万五千。まだ数では上回っていますが……」
ソマスが気になるのは、防衛十字軍の結束力の無さだった。いまだにシュレーン王国出身者とズィーメリー王国出身者の確執は続いており、まるで二つの指揮系統が存在しているかのようである。それに比べ、ソマスが目にしたチェルシャラン軍の士気は高かった。しかしそのことを率直に口にするわけにはいかない。ソマスが慎重に言葉を選んでいると、意図を察したのかモーガンが横から口を挟んだ。
「念のため、カナーノキアの城門を閉じて戦う、籠城策をとるのが適切かと思われます」
場がざわつく。聖地カナーノキアは四方を高い壁に囲まれ、少ない数で閉じ籠っても防御できる作りになっていた。まして大人数で籠城すれば防御は完璧で、おまけにファヤー港からの補給があれば物資がなくなることはなさそうである。しかし籠城戦は、国境から城壁までの王国領内への侵入は許すということであり、普通は最終手段である。血気盛んな騎士たちにとっては、モーガンの提案はかなり弱腰に見えた。
「いくらなんでも臆病過ぎやしないか。数ではこちらが上回っているのだから、野戦を選択すべきだ」
ズィーメリー人で「七人の騎士」の一人であるマグラーが真っ先に反対した。他のズィーメリー騎士たちもそうだそうだと同調する。また出身国派閥同士の争いになるのか……と私がため息をついた時、意外な人物がこの議論を終わらせた。
「籠城策では我が領地が危ない。打って出て戦うべきだ」
そう言ったのはタリハリ伯ミル・ウェ・リだった。この人はシュレーン王国出身だが、現在ではカナーノキア南東に位置するタリハリ伯国を治める立場にあった。この時はまだタリハリはチェルシャラン軍に占領されていないが、防衛十字軍がカナーノキアの城壁内に閉じ籠って戦うようなら、敵の矛先がタリハリに向く危険性は高い。
「タリハリ伯の意見に賛成する」
マッカン伯ルエイ・ウェ・カーラも同調した。タリハリと異なりマッカンは既に陥落しており、ルエイはその奪還を熱望している。
シュレーン王国出身の二人が野戦派にまわったことで、シュレーン騎士たちの勢いは弱まった。それを見てカナーノキア王コンラトは決定を下した。
「ソマスの言うことも一理あるが、我々にはタリハリ伯国を守る必要もある。よって、我々は野戦にて異教徒を迎え撃つ。出発は明朝とする。以上」
コンラトはシュレーン王国出身であるため、マグラーに手柄を立てさせるのが嫌なのか、あくまでタリハリ伯ミルの意見を採用する形をとった。この決定をもって会議は解散となった。
「お前の意見を採用できなかったが、気を悪くしないでくれ」
会議が終わった後、コンラト王がソマスに話しかけてきた。
「いえ、いいのです。皆、それぞれの立場があるでしょうから」
ソマスはあくまで人が良かった。
「ところで、ラルクはどうした。会議には姿が見えなかったが」
ソマス、モーガンとともに斥候に出ていたラルクは、普通ならば、先程の重要な会議にも出席しているべき人物だった。
「ラルクは、自室にて休んでいます。会議に出席できるような状態ではなさそうだったので」
と、ソマスは答えていた。
「怪我を負ったのか?」
「いえ、怪我ではないのですが……」
ラルクは接敵してからというもの、死にそうになった記憶が頭にこびりついて離れないらしく、ずっとがたがたと震えていた。まともに話ができる状況ではないため、とりあえず宿舎に帰らせてそっとしておいた。ソマスが最後に見た時、彼は寝台の上に横たわったまま身じろぎもせずに天井を見つめ続けていた。
あれが、心を患った状態なのか……ソマスはコンラト王にどう説明すべきか分からなかった。
「ラルクどのは、とにかく休養が必要な状態です」
*
「ラルクどのは、もはや出陣できるとは思えない。ラルクどのの率いるジュヴーユ侯領兵二千人はどうする」
モーガンは焦っている。いざ野戦となった時の布陣を考えるようコンラト王から言いつけられているのだが、ラルク勢をどう処遇するかで話が変わってくるのだ。
「ジュヴーユ侯領の格の低い者に率いさせるよりは、他の将に預ける方がいいだろう」とソマスは提案する。「エリーゼさんに頼んでみては?」
兵を預けられた方は、自分の率いる兵力が一気に増えることになる。ソマスらよりも年上で経験豊富なエリーゼならば、そういう状況の変化にもうまく対応できそうだった。
「名案だな。すなまいがソマス、俺は忙しいから、代わりにラルクどのとエリーゼさんに許可を取ってきてくれないか?」
ソマスは快くその頼みを引き受け、ラルクの宿舎へと赴いた。




