愛隣
振り向くと、ラルクが敵兵の追撃を逃れるのに精一杯で、方向を見失っている。ラルクの乗る馬は既に血を流しており、鞍の上のラルクを振り落としそうになるくらい息絶え絶えになっている。
「どうする、ソマス。見捨てるわけにもいかないが、まともに戦っていたらこちらが全滅だぞ」
そう慌てるモーガンに対し、ソマスは自分の槍と盾を預けた。
「お前たちは先に行け。私はラルクどのを救い出し次第、追いかける」
「おい、一人で助けに行く気か!」
モーガンの声も空しく、ソマスは敵の方に向かって駆け出していた。
「ど、どうしますか、モーガンさま。ソマスさまと共に戦った方がよろしいのでしょうか」
兵士たちは戸惑っていたが、モーガンの決断は早かった。
「いや、ソマスの指示に従おう。今はあいつを信じるしかない」
ソマスは敵の群れに近づくと、剣を抜いてたちどころに二、三人の騎兵を斬り、ラルクの逃げ道を拓く。よろよろと歩んでくるラルクの馬から彼を左腕で抱え上げると、ソマスはラルクを自分の馬の後ろに乗せて方向転換をした。
「ご、ごめんなさい……僕のせいで……もう死ぬ……僕には無理だったんだ……」
ラルクが震え声で繰り返す。
「弱音を吐くんじゃない! 最初はみんな怖い! それを乗り越えて一人前の騎士になっていくんだ!」
ソマスはラルクを叱咤しながら懸命に馬を走らせる。しかし、後方からチェルシャラン軍の騎兵が迫ってくる。その先頭を走っているのはどうやら魔術師のようだ。如何せんこちらの馬は二人を乗せて走っているので、どうしても速力に欠ける。追いつかれるのか……ソマスは覚悟を決め、剣で自分の左手首の内側を切った。
「そ、ソマスどの、何をして……」
切ったところから血がどくどくと流れ出す。血とともに、霊漿液も大量に流れ出ていた。それが籠手の甲に付けた聖雲氷を浸し、ソマスに力を漲らせる。
「救世主よ、私に使命ありとお考えならば、私を死地より脱させたまえ」
敵の魔術師がすぐ傍まで接近してきたところで、手をこちらに向かって突き出してくる。その指先から微かな光が発されたところで、ソマスはすかさず防御の神秘術を発動した。相手の魔術師が放った魔術攻撃は打ち消され、続いてソマスは自らの神秘術、ターリエ家に伝わる"アダムの傲岸"を発動させながら剣を振るった。増幅された衝撃が魔術師を襲い、原形を留めないほどに肉体を破壊する。そしてその衝撃の余波は砂漠の地面を抉り、砂を巻き上げて、追ってくるチェルシャラン軍騎兵たちの視界を奪った。
駆ける。ひたすら馬を駆けさせる。砂の音が遠ざかり、兵士たちの喧騒も消え、ソマスはようやく逃げ切ったことを確信した。後ろを確認しつつ
「ラルクどの、無事助かったぞ」
と声をかけた。だが、ラルクは相変わらず震えたまま
「僕はもうダメだ……もう戦えない……」
と言うだけだった。
*
その頃、エリーゼはイレーネの宿舎近くをうろついていた。
(とんでもないものを見てしまった……)
先ほど目にした光景が、頭から離れない。そそくさと逃げるように、エリーゼはその場を離れ去った。
ほんの出来心だった。「七人の騎士」の中に女性が自分以外にもう一人いることを知り、それがどういう人物なのか見てみたいと思いイレーネの宿舎まで来てみたのだ。シュレーン閥とズィーメリー閥が対立している以上、正面きって挨拶に行くのは何だか気まずい。そこで、エリーゼはまず窓から中を覗き見ることにした。
宿舎の中では、イレーネはテレジアとの時間を過ごしていた。二人は騎士と侍女の関係を超え、対等に食卓を囲みながら話に花を咲かせている。やがてテレジアはイレーネに身を寄せ、イレーネはテレジアを抱き上げて寝台まで運んでいく。ちょうどその場面を、エリーゼが目撃したのだった。
(ん? 何をしているんだ……?)
薄明かりに照らされて、二人の肌がちらりちらりと見え隠れする。一人は華奢ですらりとした体。一人はよく引き締まった、筋肉質な体。後者がイレーネであるということはすぐ分かった。イレーネは艶やかな黒髪が印象的で、顔立ちはすっきりと整っている。ズィーメリー系の美しさでこれ以上のものはないとエリーゼは思った。
(こんなことしてもいいのだろうか)
「救世主の教え」では同性同士の姦淫は禁じられている。しかし、してはいけないことが行われているという背徳感が、エリーゼをぞくぞくさせた。
(イレーネという騎士、なかなかやるな。大胆な上に、美しい)
エリーゼはその場を離れた後も、そのことばかりが頭を巡るようになってしまった。
(侍女に手をつけるくらいだから、誰にでもああいうことをしているのだろうか)
ふと、そんなことを思った。
*
「見たよ、あんた」
翌日イレーネはエリーゼに呼ばれ、カナーノキアの中心部から少し離れたところにある建物の裏に来ていた。エリーゼとは今まで話したことが無いので何の用かはさっぱり分からなかったが、エリーゼは「七人の騎士」の中で自分を除けば唯一の女性だったので、一度話してみたいとは思っていた。
エリーゼは一人で待っていた。
「見たって……何をですか?」
イレーネは問い返す。
「あんたがソドムの民だってところをよ」
そう言われただけで、イレーネはぴんときた。ソドムの民とは、性に関して「救世主の教え」において不道徳とされることを行う者を指す。イレーネには心当たりしかなかった。
(まさか、テレジアとの現場を見られたということ? だとすれば、昨日しかない。少し油断して、窓など開けたままにしていた……)
見られてしまったものは仕方ない。イレーネは何とかこの場を切り抜ける方法を模索するのに集中した。
「それで、直接私に話しに来たのはどういうわけ? 私を糾弾したいなら、主教に直接申し出ればいいじゃないですか」
イレーネは敢えて強気な態度で出てみる。相手はやや面食らったようだった。
「べ、別にあんたを糾弾したいわけじゃないの。てか、余裕ぶってる場合じゃないんじゃない? このことがみんなにバレたら、大変なことになるわよ」
「……何か要求があるんですか」
エリーゼは何も言わずにイレーネの頬に触ろうとする。イレーネはびくっとしてその手を振り払った。
「ちょっと、やめて下さい」
「侍女に手を出してるくらいなら、私と遊んでくれたっていいじゃない」
その物言いに、イレーネはかちんときた。エリーゼは、テレジアとの関係について大きな思い違いをしているようだ。馬鹿にされたような気分になり、イレーネの表情がぐっと険しくなった。
「それ、あなたもまずいんじゃないですか? それこそ皆にバレたら……」
「私はどうなったっていいんだよ」
エリーゼは飄々と言ってのける。イレーネは一つ大きなため息をつき、相手が最も傷つきそうな言い方で拒絶することに決めた。
「エリーゼさん……でしたっけ。私はあなたなんかお断りです。あり得ません。私は誰でもいいわけじゃ……」
「あ」
その時、エリーゼが私の後方に何かを見つけた。つられて私も後ろを振り返る。そこには、曲がり角からを顔を半分出して、こちらの様子を遠くから窺っているテレジアの姿があった。
(テレジア、どうしてここまで……こんな場所で二人で会っていたら、誤解されてしまう)
咄嗟にイレーネはそう思った。
(早くこのどうでもいい用事を片付けないと)
イレーネが向き直った時、エリーゼの腕が素早くこちらの腰にまわされていた。
「ちょ……」
抵抗する間もなく、エリーゼはイレーネを引き寄せてその唇を奪っていた。




