防衛十字軍
ソマス・ウェ・ターリエとランクテ・シャン・ユイが出会う二年前の出来事。
自然崇拝者たちが、二万もの大軍勢で聖地カナーノキアに攻めてこようとしている。その知らせは、シュレーン王国やズィーメリー王国など「救世主の教え」を信仰する地域の人々を震撼させた。異教の軍勢を率いるのは、自然崇拝者の帝国チェルシャラン朝の皇子シェランと天才軍師チャーマッシュ・シェン。聖地を防衛するのは容易ではないと予想された。
聖地カナーノキアは、異世界より「救世主の教え」をもたらした聖ベネディクトゥスが処刑され殉教した地であり、「救世主の教え」の聖徒らにとって一生に一度は必ず巡礼したい特別な場所だ。カナーノキア王国は、そんな聖地カナーノキアを実効支配下に置き、巡礼者の権利と安全を保護するために建国されたのだった。
百年続くカナーノキア王国を救うため、シュレーン王国やズィーメリー王国の諸侯から援軍が次々と送られ、現地のカナーノキア王国軍と合流して防衛十字軍が結成された。その中でも、有力貴族出身で戦力として期待される「七人の騎士」と呼ばれる若者たちがいた。
ソマス・ウェ・ターリエ シュレーン王国オルトモンテ候次男、当時十八歳
モーガン・ウェ・スーレ シュレーン王国サナユン伯三男、十八歳
エリーゼ・シャン・クロー シュレーン王国フォーセイン伯長女、二十歳
ラルク・ウェ・フレイ シュレーン王国ジュヴーユ侯長男、十六歳
マグラー・ファ・デュッセン ズィーメリー王国ベヘクセン候、二十八歳
イレーネ・ルン・フィーラ ズィーメリー王国ウィンガルト伯次女、十七歳
ポゼン・ファ・ヤート ズィーメリー王国セルヴエン伯次男、二十一歳
苗字につく前置詞が、シュレーン王国の男性では「ウェ」、女性では「シャン」、ズィーメリー王国の男性では「ファ」、女性では「ルン」となる。七人の騎士は防衛十字軍集結当時面識は無かったが、シュレーン側ズィーメリー側双方に一人ずつ女性がいるという点は名前を聞いただけで分かったため、イレーネとエリーゼは最初から互いを意識していた。
一方ソマスはポッドス地方での異端討伐戦で名を挙げており、七人の騎士の中でも更に頭一つ抜けた存在として認識されていた。そんなソマスが聖地カナーノキアに到着したばかりの頃、イレーネが彼を自陣に食事に招いたことがあった。
「まさか本当に来ていただけるとは思ってなかったです。いくら七人の騎士と並び称されていても、やはりズィーメリー人はお嫌いかと心配しましたので」
イレーネはソマスを迎えてそう言った。
「私はシュレーン人とズィーメリー人の対立などに興味はありません。そんなもの、聖地防衛という聖なる事業に比べればどうだっていいことです」
とソマスは答えた。防衛十字軍内ではシュレーン王国出身者とズィーメリー王国出身者との間で主導権をめぐる派閥争いのようなものが起きていた。現状、カナーノキア王をはじめタリハリ伯、マッカン伯といった重要な地位は全てシュレーン王国出身者が占めており、そちらが優勢という状況だった。
「故郷ウィンガルトの果実酒です」
テレジアはこの時も客人をやや警戒しつつ、飲み物を注いだ。ソマスは一瞬の躊躇もなく、出されたものを飲み干す。その様子を見てイレーネは素直に喜んでいた。
「ソマスどのはあまりシュレーン人らしくないですね。真面目だが、面白い。いや、真面目過ぎて面白いと言った方がいいのか……ともかく、今日あなたを招いて良かったです」
その後二人は、互いの戦歴などについて語り合った。イレーネは故郷周辺で行われる騎士同士の領地争いにおいてことごとく勝利しており、無敗の騎士との評判が立っていた。ソマスはそのことについて
「イレーネどのは実戦経験も豊富で、その上無敗とは凄いです。防衛十字軍もあなたによって勝利に導かれる気がします」
と褒めた。
「いえいえ。私の参加してきた戦闘なんて、どれも田舎騎士の小競り合いのようなものばかりです。それよりもソマスどののポッドスでの異端討伐戦のように、数万規模の戦闘に一度でも参加したことのある方が、羨ましい」
イレーネの言葉は、あながちただの謙遜というわけでもなかった。ウィンガルト伯領周辺で行われる数百規模の戦いでは、イレーネがただ突撃するだけで勝負がついてしまうことがほとんどであり、そこに戦術は無かった。しかし、その突撃が大規模な戦闘でも通用することが後々明らかになっていく。
「はぁ……私には聖地防衛の使命の尊さとか、よく分かんないんですよね。防衛十字軍は、なんとなく政治的に断れる風潮じゃなくて参加しただけだし。正直、宗教なんかがこの世に存在しなければいいのに、って思っちゃいます」
食事の会話が楽しく進むにつれ、イレーネは気が緩んでついそんなことを口走った。
「ほう。イレーネどのは『救世主の教え』が存在しなくてよい、とお考えですか」
ソマスに問い返され、イレーネはしまったと思った。ソマスは真面目な男ゆえ、「救世主の教え」に対する信仰心も人一倍だ。この聖地防衛事業も、誰よりも熱心に取り組んでいるとの噂だった。
イレーネは、もうこの際本音をぶちまけてやろうという気分になった。
「だって、『救世主の教え』や自然崇拝が存在するから、私たちはチェルシャラン朝と対立するに至ったわけじゃないですか。宗教が戦争を生み出していると、そうは思いませんか? だったらそんなもの、無ければいい」
ソマスは即座に「それは違います」と言い返した。
「何が違うっていうんですか」
イレーネの問いかけに、ソマスはしばらく考えた後、立ち上がって窓際に歩いていった。
「見て下さい。実に沢山のシュレーン兵とズィーメリー兵が一か所に集結しています。自分たちの故郷を離れ、シュレーン人とズィーメリー人のいがみ合いをも乗り越えて、一緒に共同戦線を張ろうとしているんです。これは『救世主の教え』が無ければ不可能だったでしょう。宗教には本来、人と人とを結びつける力があるんです」
「でも、チェルシャラン朝の奴らと結びつけることまではできなかったのでは?」
「いえ、私はチェルシャラン朝の人たちとも結びつくことは可能だと思っていますよ」
「どうやって?」
イレーネが問うと、ソマスは微笑んだ。
「彼らが、『救世主の教え』に改宗すればいいんです」
「じゃあ、私たちが自然崇拝に改宗するっていう手もあるんじゃないですか?」
「それはあり得ません」ソマスの瞳はどこまでもまっすぐだった。「『救世主の教え』こそが唯一絶対なのですから」
それを聞いたイレーネは、ふふふと笑ってソマスの肩を叩いた。
「やっぱり面白い人ですね、ソマスどのは」
*
その日、ソマスはモーガン、ラルクらとともに斥候に出ていた。聖地カナーノキアの北東にあるマッカンが陥落したとの知らせが入ったからだ。敵勢力の正確な状況をソマス自身の目で見極める必要があると感じ、カナーノキア王コンラトが命令したのだった。
ソマスとモーガンは防衛十字軍で初めて出会ったが、同い年ということもあってすっかり意気投合し仲良くなっていた。モーガンはソマスほどのカリスマ性は無いものの騎士として有能な人間であり、何より朗らかで明るく人から好かれやすい性格をしていた。
ラルクは、よく分からない。そもそもソマスよりも二つ年下ということもあるのだろうが、常に暗く、おどおどしていて自信が無さそうだった。七人の騎士として名前が挙げられているのだからそれなりに武勇のある人だと思っていたが、斥候に出た日の夜
「みんな誤解してるんだ。戦争が得意なのは、僕の父なんだ。僕はその息子だから同じように使えるだろうと勝手に思われてるだけで、実は全然ダメなんだ」
と打ち明けてきた。
焚火が揺れて、ラルクの顔に出来た影も一緒に揺れる。そのせいもあってか彼の顔があまりに深刻そうに見えたので、ソマスはモーガンと顔を見合わせた。
「……とはいえ、お父さまと一緒に戦場に出ていけてたのなら、大丈夫なんじゃない?」
ソマスが言うと、ラルクは首を横に振った。
「今まで戦場に出たことは無いんだ。どうしても怖くて……見かねた父が、僕を防衛十字軍に送ったんだ。ここなら成長できるんじゃないかってね」
ソマスやモーガンと違ってラルクは長男だ。跡取りとしての重圧もあるのだろう。
「ということは、今回が初陣か。まあでも、何とかなるなる」
モーガンは気を遣って励まし始めた。
「私も、実は初陣は遅いんだ。案外、戦場に出てしまえばすぐ成長するもんだぞ」
ソマスも続く。ただ、ソマスはポッドス異端討伐が初陣であったが、その初陣で父を討った仇を討ち返し勝利を決定づけるという離れ業を見せている。とても凡人が参考になるものではなかった。
ラルクが一向に表情を明るくしないので、モーガンはぱんと手を打って
「そうだ、戦場では俺が守ってやるよ。最初だから、特別にな。そしたら怖くないだろ」
と言った。
「おい、出来ない約束はするなよ」ソマスがたしなめる。
「それは分かってるよ。だから、出来る範囲でってことさ。それに俺らじゃなくったって、頼めばエリーゼさんやコンラト王だって気にかけてくれる筈だ」
ラルクは弱弱しく頷く。
「まあ、がんばれ。ラルクどのならきっと出来るよ」
ソマスもそう声をかける。しかし、この励まし方が良くなかったことを後で思い知ることになる。
*
敵発見は、思ったより早かった。チェルシャラン軍はマッカンでの休息もそこそこに、既に聖地カナーノキアに向けて出発してきていた。ソマスたち斥候隊はカナーノキアを発して三日目の昼、遠くに敵影を見つけるや否や、近くの岩場に散り散りになって身を隠した。
こちらは従者などを併せても百人足らずほどしかいない。見つかってまともに交戦したらいとも簡単に捻りつぶされてしまうだろう。ソマスたちは見つからないように息を潜め、しかし少しだけ頭を出して敵の様子を観察した。
チェルシャラン軍の隊列は延々と続いていく。知らせ通り、本当に二万人ほどの軍勢であるようだ。その兵士たちは皆士気旺盛で、マッカンでの戦闘を終えたばかりだというのに顔を上げて歌など歌いながら行軍している。
(チャーマッシュ・シェンはうまく味方をまとめあげているな。どうすれば兵たちの力を引き出すことができるか熟知してるんだ。これは、厄介な敵になるかも……)
ソマスはそう思った。
また、ソマスが知りたい情報は他にもあった。そしてそれは遠くから見ているだけでは分からなかった。
「威力偵察を仕掛けよう」
ソマスは横にいるモーガンに耳打ちした。
「この人数でか!?」
「ちょっかいをかける程度だ。すぐに退く」
ソマスはラルクにも合図を出すと、近くに繋いでおいた馬に飛び乗った。
「我々は敵の横腹を衝いて駆け抜け、そのまま聖地カナーノキアに帰還する。神のご加護があれば全員生きて帰れるだろう。征くぞ! デウス・ウルト!」
全員が馬を叱咤し、チェルシャラン軍の細長い隊列に向けて突撃していく。不意を衝かれたチェルシャラン軍は脆く、ソマスらは簡単に敵兵を討ち取っていくことができた。
その中で、ソマスはあることを見逃さなかった。
(遠くの方で、黄色、緑、白の光か……)
恐らく、普段は箱か何かにしまわれている聖遺物が、敵襲を受けて取り出されたのだろう。これにより、聖遺物のうち「琥珀の不死鳥」「翡翠の月輪」「鈍白の霹靂」を敵軍が持参してきていることが分かった。これこそが、ソマスの求めている情報だった。
「皆、もう戦わなくてよい! 全力で戦場を離脱するぞ!」
ソマスが先頭を切り、敵の隊列の突破したところから一気に駆け抜けていく。モーガンが後に続き、斥候隊の兵士たちが次々と戦場を駆け去る。敵もすぐには追撃する態勢を整えられないようだ。威力偵察はこれ以上無い形で成功した、と思われた。
一人の兵士が叫び、ソマスは後ろを振り返った。
「ラルクさまが敵中に取り残されています!」




