093-氷天の殺戮劇
戦いは優雅かつ、唐突に行われた。
パラノラスに物資を供給しているバイラスから南に下り、魔王軍は平野を行軍していた。
周辺半径5km内を常に索敵しながらの行軍であり、決して彼等に油断は無かった。
だが、初手の一撃は回避できるようなタイプのものではなかった。
「...なぁ、なんか寒くないか」
「バカ言え、こんなに晴れて...あ?」
天候が急激に悪化する。
魔王軍は技術水準が高く、気象学の基礎も進んでいたために簡単な天気予報も可能としていたにも関わらず、それは起きた。
まるで無から広がるようにして黒雲が巻き起こり、気温が急激に下がっていく。
命令を無視して防寒結界を張った者たちがいたが、彼等は不幸だった。
...何しろ、張っていなければすぐに死ねたのだから。
「総員警戒! 異常事態だ!」
司令官がそう叫ぶが、時既に遅し。
風が吹き始めた。
行軍の疲れで熱された体が、一度に冷え切るような寒さが襲いかかり、下がっていく気温が魔族たちの身体の機能を低下させる。
体温を逃さないために収縮した血管が、筋肉から鋭さを奪い、脳から冷静さを奪う。
たった一瞬のうちに気温は零下まで下がり、霜が降りていた草木が凍りついて行く。
「敵襲! 敵襲!」
そして、感知に引っ掛かる敵の群れ。
だが索敵班は何かがおかしいことに気付く。
人間の速度と体積ではない。
ならば魔物? しかし魔物ではない、魔物はこんな、包囲するようなやり方はしない。
しかしそれを伝えようにも、寒さによって判断力を奪われていた。
「くお...全騎散開!」
混乱している中、司令官であるドゥヒト・シーバンは騎兵を散開させようとした。
だが、もう遅い。
「駄目です、騎馬が!」
「ええい!」
防寒結界に魔力は割けないと判断したが故に、とっくに騎兵隊は壊滅していた。
独断で結界を張った者たちは動けるが、少数では騎兵の有利を活かせない。
「ならば、魔法で蹴散らすほかあるまい。儀仗隊、戦闘準備!」
ついに、ハイブ軍が恐れていた事態が起こる。
魔法による広範囲殲滅。
七海はこれ以上気温を下げられない、下げればハイブ軍を巻き添えにしてしまうからだ。
「いいえ、させません。神の隷兵として、我々にはあの軍をお守りする義務がございます。さあ、皆! 行きますよ!」
「「「「「オオオオオオオオオ!」」」」」
魔法でそれを観測していたリュドミラは、聖女として深淵教団の儀式魔法の詠唱へ入る。
一糸乱れぬ詠唱が、パラノラスの城門前に響き渡る。
「「「「世に光がなく」」」」
「「「「命運はこの手になく」」」」
「「「「悲しみに満ちた闇の中であったとしても」」」」
「「「「信じようとする心に従い、解き放て」」」」
「「「「仰ぎ見よ、異教徒たちよ。これが神の恩寵なりて」」」」
最後の詠唱は、意図的にリュドミラだけが口にした。
「〈魔脈封陰〉」
その唇から漏れた小さな祈りが、魔王軍の直上に巨大な魔法陣を展開する。
それらは、魔力の流れを断ち切り、魔族たちの自然な身体強化をも無かった事とし、更には詠唱までもを忘れさせた。
儀仗隊は即座に無効化され、魔法が上手い者もそうでない者も一様に、寒さと脅威から身を守る方法を失った。
皮肉にも...いや、嘲笑するような結果だ。
魔族、自らを魔法の寵児と自称するような彼等は、この一瞬においては人間と生物学上何ら変わらない生き物へと成り下がったのだ。
所詮、魔法に頼り切っていた種族であり、
「ば...化け物だぁ!」
「さむい...」
「んな事言ってる場合じゃ! ぐわぁあああ!」
「お前の血、暖かいな...」
「やめろ!」
寒さで思考能力を奪われ、肉体は鈍化し、目の表面すら薄く氷が張ったような状態の魔族に、ハイブ兵が襲いかかる。
大型よりも小型が多い、これは小林の巣から出てきたものだ。
大型の半数以上は屍兵であり、事実大型ハイブ兵も屍兵を盾にするようにして動いていた。
盾にする必要もないのだが。
結果、平地での戦闘はハイブの圧勝となった。
当然だ、剣も握れない人間が、上位種であるハイブに勝てるものではないからだ。
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