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思兼学園異聞  作者: 歌麿
第二部 桜と龍と恋する神殺し~神殺し候補は恋に全力です~
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理解できない人生

 竹林は静かだった。

 風が吹く。

 葉が擦れる。

 遠くで鳥が鳴く。

 それだけ。

 世界は何も変わらない。

 だが。

 その静けさの中へ。

 一人の来訪者がいた。

「来たか」

 茶室の縁側。

 玄斎は湯飲みを手に笑った。

 まるで昨日の続きのように。

 まるで昔からの知人のように。

 そこにいた。

 那由禍は少し考える。

 理解できない。

 敵である。

 原初神第一柱である。

 警戒するべきである。

 そのはずなのに。

 老人は何も変わらない。

「来ました」

 そう答えると、

玄斎は頷いた。

「座れ」

 それだけだった。

 碁盤が置かれる。

 黒石。

 白石。

 昨日と同じ。

 いや。

 少し違う。

 今日は那由禍の方から来た。

 理由は分からない。

 理解したいと思ったのか。

 観察を続けたいと思ったのか。

 それとも。

 別の何かか。

 本人にも分からない。

 石が置かれる。

 カチリ。

 静かな音。

 それが会話の始まりだった。

「質問があります」

 しばらくして、

那由禍が言った。

「ほう」

 玄斎は盤を見たまま答える。

「あなたは多くを失った」

 石を置く手が止まる。

 ほんの一瞬だけ。

 だが。

 止まった。

「そうじゃな」

 否定しない。

 言い訳もしない。

 ただ認める。

「仲間も」

「そうじゃ」

「家族も」

 玄斎は空を見る。

 夕暮れだった。

 少しだけ。

 本当に少しだけ。

 昔を思い出すような顔をした。

「そうじゃな」

 静かな声だった。

「なぜ」

 那由禍が問う。

「なぜ絶望しないのです」

 風が吹く。

 竹が鳴る。

 玄斎は笑わなかった。

 茶化さなかった。

 しばらく黙る。

 そして。

「したぞ」

 那由禍が止まる。

 思考が止まる。

 予想外だった。

「……」

「何度ものう」

 玄斎は笑う。

 だが。

 その笑顔は少しだけ寂しかった。

「全部投げ出したくなったこともある」

「逃げたくなったこともある」

「後悔したこともある」

 石を置く。

 カチリ。

「人間じゃからな」

 その声には。

 長い時間があった。

 言葉にできないほど長い時間が。

 那由禍は黙って聞いている。

 理解できない。

 原初神は絶望しない。

 苦悩しないわけではない。

 だが。

 折れない。

 揺らがない。

 変わらない。

 それが神だ。

 しかし。

 目の前の老人は違う。

 何度も折れたと言う。

 何度も絶望したと言う。

 それなのに。

 なぜここにいる。

「なぜ立ち上がるのです」

 今度は本当に楽しそうに。

「立ち上がっとらん」

「?」

「転び慣れただけじゃ」

 那由禍は黙る。

 また理解できない。

 しかし。

 なぜか忘れられない言葉だった。

 囲碁は続く。

 白と黒。

 陣地を取り合う。

 勝敗は少しずつ見え始めていた。

 那由禍が優勢。

 合理的に考えれば。

 勝つ。

 そのはずだった。

 だが。

 玄斎は妙な手を打つ。

 損な手。

 危険な手。

 普通なら選ばない手。

「その手は悪手です」

「そうかもしれん」

「勝率が下がります」

「そうじゃろうな」

「ならばなぜ」

 玄斎は石を置く。

 カチリ。

「打ちたいからじゃ」

 那由禍は額を押さえた。

 本当に押さえた。

 初めてだった。

 神が頭を抱えたのは。

「理解できません」

「そうか」

「理解できるようになる気もしません」

「それでええ」

 即答だった。

 日が沈む。

 空が赤く染まる。

 囲碁も終盤。

 そして。

 玄斎がぽつりと言った。

「生きる理由なんぞ後から見つかる」

 那由禍が顔を上げる。

「理由なく生きるのですか」

「皆そうじゃ」

「非合理です」

「そうじゃろうな」

「危険です」

「そうじゃろうな」

 玄斎は笑った。

 いつものように。

 穏やかに。

「理由があるから生きるんじゃない」

 一拍。

「生きとるうちに理由ができるんじゃ」

 風が吹いた。

 竹林が揺れる。

 その言葉は。

 なぜか。

 那由禍の中に残った。

 理解できない。

 理解できないはずなのに。

 消えなかった。

 やがて対局が終わる。

 玄斎が石を片付ける。

 那由禍は盤を見る。

 負けていた。

 いつの間にか。

 静かに。

 自然に。

「負けました」

 玄斎は頷く。

「そうか」

 それだけ。

 勝ち誇らない。

 自慢しない。

 ただ受け入れる。

 それが妙に印象に残った。

 那由禍は立ち上がる。

 帰るために。

 そして。

 少しだけ振り返った。

「玄斎」

「なんじゃ」

「あなたも興味深い」

 玄斎が笑う。

「そうか」

 数秒。

 沈黙。

 そして那由禍は付け加える。

「シロほどではありませんが」

 玄斎は盛大に吹き出した。

「比較対象がおかしいわ!」

 竹林に笑い声が響く。

 那由禍は首を傾げた。

 本気で分からないという顔で。

 その姿を見て。

 玄斎はまた笑った。

 そして。

 那由禍も。

 ほんの少しだけ。

 笑った気がした。

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