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思兼学園異聞  作者: 歌麿
第二部 桜と龍と恋する神殺し~神殺し候補は恋に全力です~
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29/42

帰る場所

 放課後だった。

 春の終わりを告げる風が校庭を吹き抜けていく。

 運動部の掛け声。

 帰宅する生徒達の笑い声。

 どこにでもある学園の日常。

 シロは校門の前で立ち止まっていた。

 しばらく空を見上げる。

 青かった。

 雲がゆっくり流れている。

『……』

 内部ログ確認。

 異常なし。

 身体機能正常。

 通信機能正常。

 演算機能正常。

 感情ログ――

『保留』

 その項目だけが残っていた。

 最近増えた。

 分類できない感情。

 名前の分からない気持ち。

 原因は分かっている。

 夢。

 龍真。

 美月。

 そして。

 那由禍。

 だが答えは出ない。

 だからシロは歩き出した。

 誰にも言わずに。

 ただ一人で。

 初めて。

 駅前を歩く。

 商店街を歩く。

 公園を歩く。

 夕方の街は賑やかだった。

 小さな子供が走り回る。

 母親が追いかける。

 ベンチでは老夫婦が並んで座っている。

 制服姿の高校生達が楽しそうに話している。

 皆違う。

 皆不完全だ。

 それなのに。

 なぜか幸せそうだった。

『理解不能です』

 呟く。

 本当に。

 理解できない。

「そうですか」

 聞き慣れた声がした。

 シロは振り返る。

 予想通り。

 白装束の男。

 那由禍だった。

『いましたか』

「いました」

『帰ってください』

「断ります」

 即答だった。

『予測通りです』

「それは光栄です」

『光栄ではありません』

 那由禍は少しだけ笑った。

 二人は並んで歩く。

 奇妙な光景だった。

 原初神第一柱。

 白狐端末。

 敵同士のはずなのに。

 やっていることは散歩である。

『質問があります』

「どうぞ」

『なぜ付いてくるのですか』

「興味深いので」

『迷惑です』

「残念です」

 残念そうな顔をする。

 本当に残念そうだった。

 シロは少しだけ眉をひそめた。

 最近、この男の表情が読めるようになってきている。

 それが少し悔しい。

 やがて。

 二人は小さな神社へ辿り着いた。

 住宅街の奥にある古い稲荷社。

 夕日が朱色の鳥居を照らしている。

 シロは石段へ腰を下ろした。

 那由禍も少し離れた場所へ立つ。

 子供達が帰っていく。

 家族が迎えに来る。

 恋人達が手を振り合う。

 それを見ながら。

 シロはぽつりと言った。

『人間は非合理です』

「同感です」

『理解不能です』

「同感です」

『非効率です』

「同感です」

『なのに』

 言葉が止まる。

 胸の奥が少しだけ痛んだ。

 名前のない感情。

 分類不能。

 解析不能。

 それでも。

『少し羨ましいです』

 那由禍が黙った。

 珍しく。

 本当に黙った。

『家族』

『友人』

『恋人』

『帰る場所』

『全部理解できません』

 夕日を見る。

 暖かい色だった。

『ですが』

『嫌いではありません』

 那由禍は返事をしなかった。

 ただ静かに聞いていた。

 一方その頃。

「シロ?」

 美月は首を傾げていた。

 教室にいない。

 連絡もつかない。

 メッセージは未読。

 電話も出ない。

「龍真」

「何だ」

「シロ知らない?」

「知らん」

 龍真も少し眉をひそめる。

 珍しかった。

 シロが黙っていなくなることなど。

 三十分後。

「やっぱり変だって!」

「そうだな」

 龍真も同意した。

 あのシロが。

 何も言わずに姿を消す。

 そんなことは一度もなかった。

「探すぞ」

 二人は走り出した。

 夕焼けの街を。

 そして。

 見つけた。

 神社の石段。

 座るシロ。

「シロー!!」

 美月が全力で飛び込んだ。

『ぐえっ』

 見事に直撃。

『危険です』

「バカ!」

 抱きついたまま叫ぶ。

「心配したんだから!」

『申し訳ありません』

「本当に!?」

『本当にです』

 美月の目が少し赤い。

 泣きそうだった。

 龍真も近付いてくる。

「次からは連絡しろ」

『はい』

「黙って消えるな」

『はい』

「分かったならいい」

 それだけ。

 怒鳴らない。

 説教もしない。

 だが。

 その言葉が妙に温かかった。

 シロは二人を見る。

 美月。

 龍真。

 いつもの顔。

 いつもの声。

 いつもの距離。

 胸の奥で何かが揺れた。

 名前は分からない。

 でも。

 自然に言葉が出た。

『ただいま』

 沈黙。

 美月が固まる。

 龍真も少しだけ目を見開く。

 シロ自身も止まった。

 今。

 何と言った。

 ただいま?

 帰る場所?

 私に?

 あるのか?

 その時。

 龍真が少しだけ笑った。

「ああ」

 短く。

 自然に。

「おかえり」

 その瞬間だった。

 胸の奥の違和感が。

 少しだけ。

 消えた気がした。

「うわあああん!」

 美月が泣いた。

『なぜ泣いているのですか』

「知らない!」

『論理性がありません』

「うるさい!」

 涙目で怒る。

 シロは困惑した。

 龍真は呆れた。

 そして。

 夕暮れの神社に。

 いつもの三人の声が響く。

 帰る場所。

 その意味はまだ分からない。

 けれど。

 今は。

 それで良かった。

 答えは後でいい。

 今はただ。

 ここにいたかった。

 それだけで十分だった。

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