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思兼学園異聞  作者: 歌麿
第二部 桜と龍と恋する神殺し~神殺し候補は恋に全力です~
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夢の中の理想郷

 朝。

 柔らかな光が窓から差し込んでいた。

「美月」

 名前を呼ばれる。

 優しい声。

 聞き慣れた声。

 神楽坂美月はゆっくり顔を上げた。

「おはよう」

 目の前には九頭竜龍真がいた。

 いつも通りの制服。

 いつも通りの顔。

 だけど。

 何かが違った。

「どうした?」

 龍真が首を傾げる。

「え……?」

 美月は瞬きを繰り返した。

 今。

 名前で呼ばれた。

 神楽坂ではなく。

 美月と。

「体調悪いのか?」

 自然だった。

 まるで。

 それが当たり前みたいに。

「りゅ、龍真……?」

「ん?」

 平然としている。

 美月だけが混乱していた。

 教室へ向かう。

 廊下を並んで歩く。

 近い。

 距離が近い。

 というか。

 肩が触れそうだ。

 心臓がうるさい。

 そんな美月を見て。

 龍真が笑った。

「緊張してるのか?」

 笑った。

 笑った!?

 九頭竜龍真が!?

 美月は思わず立ち止まった。

「ちょっと待って」

「何だ」

「龍真だよね?」

「意味が分からない」

 それはそうだった。

 教室。

「おはよー」

 友人たちが手を振る。

「昨日も一緒だったんでしょ?」

「仲良いよねー」

「ほんと理想のカップル」

 美月が固まる。

「か、カップル!?」

 しかし。

 誰も驚かない。

 誰も否定しない。

 むしろ当然のような顔をしている。

「今さら何言ってるの?」

「付き合って一年になるじゃん」

 世界が止まった。

「……へ?」

 一年?

 付き合って?

 私たちが?

 龍真を見る。

 龍真は平然としていた。

「昼休み、屋上な」

「え?」

「約束しただろ」

 そう言って去っていく。

 意味が分からない。

 昼休み。

 屋上。

 風が吹いている。

 龍真がフェンスにもたれていた。

 美月は恐る恐る近づく。

「龍真……」

「ああ」

 そして。

 何の前触れもなく。

 龍真は言った。

「好きだよ」

 世界が停止した。

 心臓も。

 思考も。

 全部。

「え……」

 声にならない。

「何度も言ってるだろ」

 龍真は不思議そうだった。

「今さら照れるな」

 手が伸びる。

 頬に触れる。

 温かい。

 本物みたいだった。

 あまりにも。

 幸せだった。

 だから。

 気付いてしまった。

 こんなこと。

 現実ではあり得ない。

「違う……」

 美月は呟く。

「これは……」

 龍真の姿が揺れる。

 風景が崩れる。

 空が裂ける。

「夢だ」

 意識が浮上する。

 夢。

 そう。

 夢だった。

 だが。

 忘れられない。

 あまりにも幸せだった。

 それが恐ろしかった。

 一方。

 龍真も夢を見ていた。

 放課後。

 教室。

 チャイムが鳴る。

 部活へ向かう生徒達。

 友人達の笑い声。

 それを眺めながら。

 龍真は鞄を肩に掛けた。

「龍真」

 声がする。

 美月だった。

「帰ろ?」

「ああ」

 自然だった。

 あまりにも自然だった。

 妖魔はいない。

 原初神もいない。

 九頭竜家の使命もない。

 神殺しも存在しない。

 ただ。

 高校生として生きる毎日。

 平穏な日々。

 美月も笑っている。

 シロもいる。

 誰も傷付かない。

 誰も泣かない。

 そんな世界。

「どうですか」

 知らない声。

 龍真が振り返る。

 那由禍が立っていた。

 校庭の真ん中に。

 まるで最初からそこにいたように。

「良い世界でしょう」

「……」

 龍真は黙る。

 否定できなかった。

 確かに良い世界だった。

「あなたは疲れている」

 那由禍が言う。

「守るものが多すぎる」

「戦う理由が多すぎる」

「責任が多すぎる」

 静かな声。

 責めるでもなく。

 哀れむでもなく。

 ただ事実を述べるように。

「ここなら」

「もう戦わなくていい」

 龍真は空を見る。

 青空。

 平和。

 穏やかな日常。

 確かに悪くない。

 だが。

「違うな」

 那由禍が首を傾げる。

「何がです?」

「これは俺が守った世界じゃない」

 その瞬間。

 世界がひび割れた。

「なるほど」

 那由禍が微笑む。

「そういう答えですか」

 夢が崩壊する。

 そして。

 シロ。

 彼女の夢は。

 誰よりも穏やかだった。

 朝。

 制服に袖を通す。

 鏡を見る。

 狐耳がない。

 尻尾もない。

 普通の少女。

 神でも端末でもない。

 ただの女の子。

 教室へ向かう。

「シロちゃん!」

 友達がいる。

 一緒に笑う。

 一緒に昼食を食べる。

 一緒に帰る。

 そして。

 放課後。

 校門。

 龍真と美月が待っている。

「遅いぞ」

「ごめん」

 三人で帰る。

 夕日が綺麗だった。

 幸せだった。

 本当に。

 幸せだった。

「どうですか」

 那由禍が現れる。

「望んだ世界でしょう」

 シロは答えない。

 答えられない。

 だって。

 欲しかった。

 その世界が。

 心の奥底で。

 本当に。

 欲しかった。

「こちらへ来ますか?」

 那由禍が手を差し出す。

「ここなら」

「あなたも人間になれます」

 沈黙。

 シロは手を見る。

 その時。

 不意に。

 誰かの声が聞こえた。

『シロ』

 龍真の声。

『シロちゃん』

 美月の声。

 記憶が蘇る。

 笑った日。

 喧嘩した日。

 失敗した日。

 褒められた日。

 全部。

 今の自分だった。

『……違います』

 那由禍が目を細める。

『私は』

 シロはゆっくり顔を上げる。

『今の私です』

 その瞬間。

 夢が砕け散った。

 三人は同時に目を開く。

 保健室。

 夕暮れ。

 静かな部屋。

 そして。

 窓際。

 那由禍が座っていた。

 まるで最初からそこにいたように。

「おはようございます」

 柔らかな笑み。

「良い夢でしたか?」

 三人は答えない。

 答えられない。

 確かに。

 良い夢だったから。

 那由禍は満足そうに微笑む。

「やはり」

「人間は面白い」

 その瞳だけが。

 底知れなく深かった。

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