桜の夢
その夜。
神楽坂美月は夢を見た。
風が吹いていた。
柔らかく。
優しく。
どこか懐かしい風だった。
気が付くと。
美月は桜の森の中に立っていた。
「ここ……」
見渡す。
空は淡い桃色。
地面には花びらが敷き詰められている。
どこまでも。
本当にどこまでも。
桜だった。
知らない場所。
なのに。
なぜか怖くなかった。
風が吹く。
花びらが舞う。
その中心に。
一人の女性が立っていた。
長い黒髪。
白い衣。
穏やかな微笑み。
そして。
驚くほど。
自分によく似ていた。
「……誰?」
思わず尋ねる。
女性は微笑んだ。
「ようやく会えました」
声まで優しい。
「私はあなた」
「あなたは私」
「え?」
意味が分からない。
女性は一歩近付いた。
「昔の人は」
「木花咲耶姫と呼びました」
風が吹く。
桜が舞う。
その名を聞いた瞬間。
胸の奥が少しだけ熱くなった。
「木花……咲耶姫……」
どこかで聞いたことがある。
いや。
聞いたことがあるどころではない。
ずっと前から知っていた気がした。
「私の……先祖?」
女性は首を横に振る。
「少し違います」
「私は私」
「あなたはあなた」
「選ぶのもあなたです」
穏やかな声だった。
支配する気配はない。
命令もない。
ただ。
見守るような優しさだけがあった。
だから。
美月は少し安心した。
「ねえ」
「何でしょう」
「どうして私のところに来たの?」
その瞬間だった。
木花咲耶姫の表情が少しだけ曇った。
「見せなければならないからです」
風が変わる。
空が揺れる。
桜の景色が崩れていく。
代わりに。
別の光景が現れた。
炎。
黒い空。
崩壊する神域。
叫び声。
そして。
一人の少年。
「……龍真?」
血に染まっていた。
立っている。
それでも。
まだ戦っている。
その向こうには。
巨大な影。
世界を覆うほど巨大な何か。
原初神。
本能がそう理解した。
「やめて!」
美月は叫んだ。
見たくなかった。
龍真が傷付く姿なんて。
絶対に。
見たくなかった。
その瞬間。
桜が吹き荒れた。
嵐のように。
無数の花びらが空を埋め尽くす。
世界が震える。
木花咲耶姫は目を細めた。
そして。
どこか嬉しそうに笑った。
「やはり」
「あなたは優しいですね」
「私に似ています」
その言葉を最後に。
夢は終わった。
◇
翌朝。
「眠い……」
美月は机に突っ伏していた。
寝不足だった。
完全に。
「おはよう龍真……」
「おはよう」
即答。
「……」
美月が顔を上げる。
「え?」
「何だ」
「また返事した」
「そうか」
そうだった。
最近の龍真は少し優しい。
たぶん本人だけ気付いていない。
その時。
窓枠にいたシロが耳を動かした。
『異常反応確認』
「ん?」
『神楽坂美月』
『木花咲耶姫因子活性化』
教室が静かになる。
「え?」
美月が固まる。
「因子って何?」
『説明可能です』
『長くなります』
「短くお願い」
『神です』
「短すぎる!」
教室が笑った。
だが。
龍真だけは笑わなかった。
「夢を見たか?」
静かな声だった。
美月は驚く。
「なんで分かったの?」
「話せ」
その言葉に。
美月は昨夜の夢を話した。
桜の森。
木花咲耶姫。
そして。
未来のような光景。
話が終わる頃には。
龍真の表情は完全に真面目になっていた。
「龍真?」
「……面倒なことになったな」
小さく呟く。
シロも珍しく黙っていた。
『警戒レベル上昇』
『監視対象更新』
その声は。
どこか硬かった。
◇
放課後。
屋上。
美月は一人で空を見上げていた。
夢のことが頭から離れない。
「木花咲耶姫……」
その名を呟く。
風が吹いた。
次の瞬間。
校庭の桜が揺れる。
一斉に。
まるで応えるように。
花びらが舞い上がった。
「え……?」
季節外れだった。
だが。
それは確かに起きた。
そして。
誰にも気付かれない場所で。
黒い影がその様子を見ていた。
『発見』
人の声ではない。
『木花咲耶姫因子』
『確認』
影が嗤う。
『計画を開始する』
ゆっくりと。
世界の裏側で。
原初神が再び動き始めていた。




