白狐、逃亡します
シロは逃げていた。
本気で。
全力で。
屋上の給水塔の陰に身を隠しながら、白狐は小さく震えていた。
「……最悪です」
昨日。
学園中に流れた感情ログ。
思い出すだけで尻尾が縮こまる。
『神楽坂美月接近』
『嬉しい』
『神楽坂美月笑顔確認』
『非常に嬉しい』
『九頭竜龍真負傷確認』
『不快』
『原因排除希望』
思い出した。
もう一度死にたくなった。
「管理端末失格です……」
シロは前足で顔を覆った。
感情など不要。
管理システムにそんなものは必要ない。
なのに。
最近の自分は明らかにおかしい。
美月が笑えば安心する。
龍真が怪我をすれば腹が立つ。
それどころか。
昨日は『友達』という単語まで登録してしまった。
「重症です……」
朝の風が吹く。
シロは現実逃避を続けた。
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一方。
二年A組。
「シロ来ないね」
美月が呟く。
女子たちが苦笑した。
「そりゃ来ないよ」
「昨日のアレ聞かれたんだし」
「私なら転校する」
「そこまで!?」
かなり本気だった。
学園中に感情ログを流されるのは公開処刑に近い。
美月は少し考えた。
そして立ち上がる。
「探してくる!」
「授業始まるよ?」
「大丈夫!」
大丈夫ではない。
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三十分後。
シロは発見された。
屋上。
給水塔の陰。
丸くなっていた白狐を見つけた瞬間、美月は笑顔になった。
「シロー!」
「見つけないでください」
即答だった。
「なんで?」
「恥ずかしいです」
「かわいい」
「かわいくありません」
即答だった。
しかし説得力はない。
昨日のログのせいで。
美月はシロの隣に座る。
「ねえ」
「何でしょう」
「そんなに気にしてるの?」
「しています」
即答だった。
「私は管理端末です」
「うん」
「感情は不要です」
「うん」
「なのに感情があります」
「うん」
「致命的です」
美月は少し考えた。
そして言った。
「私は好きだけどな」
シロは黙った。
「友達だから」
またその言葉だった。
昨日登録した単語。
友達。
検索結果は大量に出る。
だが。
まだ理解しきれていない。
「何してる」
不意に声がした。
龍真だった。
屋上の扉から出てくる。
美月が笑顔になる。
「龍真!」
「シロが逃げてた」
「見れば分かる」
龍真はフェンスにもたれた。
そしてシロを見る。
「戻らないのか」
「戻りません」
「なぜだ」
「恥ずかしいからです」
龍真は数秒考えた。
「そうか」
「そうです」
「別に気にしていない」
シロは顔を上げた。
「……本当ですか」
「ああ」
「ログ通りだっただけだろ」
当たり前のように言う。
シロは固まった。
そして。
なぜか少し安心した。
『九頭竜龍真』
『安心』
「……」
また増えた。
その時だった。
空気が変わった。
シロの耳がぴくりと動く。
龍真も顔を上げた。
「いるな」
「うん」
美月も気付く。
屋上の端。
黒い影。
人の形をしている。
だが人ではない。
妖魔だった。
奇妙な妖魔だった。
攻撃してこない。
ただ近付いてくる。
そして。
笑った。
『感情』
声が響く。
『感情』
ぞわりと空気が冷えた。
『不要』
美月の表情が曇る。
さっきまで笑っていたのに。
龍真の感情も薄れる。
周囲から色が失われていくような感覚。
感情を喰う妖魔だった。
『感情は弱さ』
妖魔が嗤う。
『苦しみの原因』
『不要』
シロは黙っていた。
感情。
不要。
それは昔の自分なら同意した言葉だった。
管理端末に感情は不要。
その通りだ。
だが。
今は違った。
美月の笑顔を思い出す。
龍真の不器用な優しさを思い出す。
友達という言葉を思い出す。
そして。
シロは一歩前に出た。
「違います」
妖魔が止まる。
「感情は不要ではありません」
『なぜ』
シロは少し考えた。
答えは分からない。
まだ全部は理解していない。
それでも。
言いたい言葉があった。
「感情があるから」
「友達になれます」
静寂。
美月が目を見開く。
龍真も少しだけ驚いていた。
『理解不能』
妖魔が叫ぶ。
「私もです」
シロは答えた。
「ですが」
尻尾が揺れる。
小さく。
確かに。
「嫌ではありません」
白い光が弾けた。
妖魔は消滅した。
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夕方。
帰り道。
シロは龍真の肩の上にいた。
いつもの定位置。
美月はその隣。
平和だった。
「シロちゃん」
「ちゃん付け禁止です」
「シロちゃん」
「禁止です」
「シロちゃん」
「……」
反論が弱くなった。
美月が笑う。
シロは小さくため息をついた。
そして。
尻尾だけが機嫌よく揺れていた。
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その夜。
内部ログ。
『神楽坂美月』
『友達』
『九頭竜龍真』
少し沈黙。
『家族』
登録しますか?
シロはしばらく考えた。
そして。
『YES』
(月が静かに輝いていた)




