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思兼学園異聞  作者: 歌麿
第一部 桜の檻編
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12/42

桜の帰還

 夕暮れの学園。

 誰もいない校庭。

 桜吹雪。

 そして。

 龍真の前には巨大な影が立っていた。

 原初神の端末。

 神ですらない。

 しかし。

 神に最も近い侵食者。

『神殺し候補個体の回収を継続します』

 感情のない声が響く。

 龍真は一歩前へ出た。

「断る」

 影が揺らぐ。

『拒否権は存在しません』

「ある」

 龍真は背後を見る。

 階段に座る美月。

 俯いたまま動かない。

 ここに残るか。

 帰るか。

 まだ決められていない。

『対象は安定化しています』

『まもなく接続完了』

 黒い腕が伸びる。

 美月へ向かって。

 龍真は飛び出した。

 拳を振るう。

 轟音。

 空気が裂ける。

 黒い腕が弾き飛ばされる。

 だが。

 止まらない。

 裂けた空の向こうから。

 次々と黒い影が現れる。

『接続率九十パーセント』

『回収継続』

 終わりが見えない。

 龍真は理解した。

 これは勝てる相手ではない。

 少なくとも今は。

 だから。

 振り返る。

「美月」

 少女は動かない。

 ただ。

 小さく呟いた。

「帰りたくない」

 龍真は黙る。

「だって」

「ここなら失敗しないもん」

 風が吹く。

 桜が舞う。

「みんな傷つかないし」

「嫌われないし」

「怖くないし」

 美月の声は震えていた。

 龍真は初めて知る。

 いつも明るい神楽坂美月にも。

 怖いものがあった。

 不安があった。

 弱い部分があった。

「だから」

「ここにいたい」

 長い沈黙。

 そして。

 龍真は静かに言った。

「嘘だな」

 美月が顔を上げる。

「え?」

「お前はそんな顔をしない」

 その言葉に。

 美月の瞳が揺れた。

「本当にそう思っているなら」

「今みたいな顔はしない」

 桜が舞う。

 風が吹く。

「帰りたいんだろ」

 美月は何も言わない。

「皆のところに」

「帰りたいんだろ」

 その瞬間だった。

 涙が零れた。

 一滴。

 また一滴。

 止まらない。

「……帰りたい」

 小さな声。

「帰りたいよ」

 その言葉と同時に。

 世界が震えた。

 校庭を埋め尽くす桜。

 空。

 校舎。

 すべてが光り始める。

 白い光。

 暖かな光。

 そして。

 美月が立ち上がった。

 黄金の瞳。

 桜色の輝き。

 木花咲耶姫の因子。

 その力が初めて意思を持つ。

「私は――」

 桜が咲く。

「帰る」

 轟音。

 世界を覆っていた黒が裂けた。

 原初神の端末が後退する。

『接続不能』

『接続不能』

『接続――』

 声が途切れる。

 桜吹雪が飲み込む。

 黒が崩れる。

 光へ還る。

 そして。

 空が消えた。

 学園が消えた。

 夕暮れが消えた。

 すべてが白く染まる。

 目を開ける。

 教室だった。

 いつもの教室。

 窓の外。

 春の空。

 騒がしいクラスメイト達。

 何事もなかったような日常。

「……あれ?」

 美月が起き上がる。

 そして。

 一番最初に見たのは。

 目の前の龍真だった。

「龍真」

「起きたか」

「うん」

 少しだけ沈黙。

 そして。

 美月が笑った。

 いつもの笑顔。

 だけど。

 どこか違う。

 何かを決めたような顔。

「ねえ」

「なんだ」

「ありがとう」

「そうか」

「それだけ?」

「何がだ」

 美月は少し頬を膨らませた。

「普通もう少し何か言うでしょ」

「例えば?」

「可愛いとか」

「言わん」

「えー」

 教室に笑い声が響く。

 その様子を。

 白狐が窓際で見ていた。

「同期正常」

 小さく呟く。

「第一段階完了」

 誰にも聞こえない声。

 そして。

 窓の外。

 遠い空の向こう。

 誰かが見ていた。

 黄金の瞳。

 原初神。

 その意志の一端。

『観測継続』

『神殺し候補個体』

『優先監視対象』

 静かな声。

 だが。

 今は届かない。

 教室では。

 神楽坂美月が龍真の隣に座っていた。

 少し近すぎる距離で。

「龍真」

「なんだ」

「放課後空いてる?」

「断る」

「まだ何も言ってない!」

 そんな声が響く。

 春の陽射しの中で。

 新しい日常が始まろうとしていた。

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