桜の檻
世界が壊れた。
そう表現するしかなかった。
教室は崩れ。
廊下は裂け。
空には黒い亀裂が走っている。
そして。
神楽坂美月が倒れていた。
「美月!」
龍真が駆け寄る。
呼吸はある。
傷もない。
だが。
目を開かない。
まるで眠っているようだった。
しかし。
白狐は首を振った。
「眠っているのではありません」
「閉じ込められています」
龍真の表情が険しくなる。
「どこにだ」
「深層領域」
白狐が答える。
「精神世界です」
静寂。
龍真は美月を見る。
穏やかな寝顔。
だが。
苦しそうだった。
何かと戦っている。
そんな顔だった。
「助ける方法は」
白狐は即答した。
「侵入してください」
「俺がか」
「はい」
「あなたしかいません」
龍真は小さく息を吐いた。
「簡単に言うな」
「簡単ではありません」
白狐は珍しく真面目だった。
「失敗すれば帰れません」
だが。
龍真は迷わなかった。
「やる」
即答だった。
白狐が少しだけ目を細める。
「そう言うと思っていました」
その瞬間。
世界が白く染まった。
桜。
無数の花びら。
視界が埋まる。
そして。
龍真は別の場所に立っていた。
◆
夕暮れだった。
校舎。
グラウンド。
校門。
すべて見覚えがある。
思兼学園。
だが違う。
誰もいない。
静かすぎる。
風だけが吹いている。
そして。
桜だけが咲いていた。
季節を無視するように。
世界中を覆うように。
「ここが……」
龍真は理解する。
美月の精神世界。
その中心。
深層領域。
白狐の姿はない。
助けもない。
ここから先は一人だ。
校庭を歩く。
足音だけが響く。
そして。
校舎の奥。
屋上へ続く階段。
誰かが座っていた。
制服姿の少女。
長い黒髪。
見慣れた後ろ姿。
「美月」
少女が振り向く。
神楽坂美月だった。
だが。
どこか違う。
笑っていない。
いつもの明るさもない。
ただ静かだった。
「龍真」
小さな声。
「来ちゃったんだ」
その言葉に。
龍真は違和感を覚える。
「帰るぞ」
そう言う。
だが。
美月は首を振った。
「帰れないよ」
寂しそうな笑顔。
「だってここ、楽だから」
風が吹く。
桜が舞う。
龍真は黙っていた。
「何も失わなくていいし」
「誰も傷つかないし」
「ずっと春だし」
その声は優しい。
だからこそ危険だった。
龍真は理解する。
これは美月だ。
だが。
美月ではない。
諦めてしまった部分。
逃げたいと思った部分。
閉じ込められた心。
その化身。
「帰るぞ」
龍真はもう一度言った。
美月は笑う。
少しだけ泣きそうな顔で。
「嫌だ」
その瞬間。
空が割れた。
黒い亀裂。
そこから巨大な影が現れる。
神にも見える。
怪物にも見える。
形が定まらない。
だが。
圧倒的だった。
『保護対象確認』
『神殺し候補個体』
『接続率八十五パーセント』
龍真の目が細くなる。
来た。
原初神。
少なくとも。
その端末。
影はゆっくりと美月へ手を伸ばす。
『受領する』
美月は動かない。
いや。
動けない。
迷っている。
心のどこかで。
ここに留まりたいと思っている。
だから。
龍真は前へ出た。
美月と影の間に立つ。
「返してもらう」
その声は静かだった。
しかし。
確かな怒りがあった。
影が嗤う。
『人間ごときが』
龍真は拳を握る。
夕暮れの校庭。
桜吹雪。
少女を守るために。
少年は神へ向き直った。




