scene-20 人生とは…つがいのために命を投げるものです!
本作品はフィクションです。
登場する人物、団体、企業、学校、事件等は架空のものであり、実在するものとは関係ありません。
また、作中には実在する神社仏閣、伝承、民話、地域名等を参考にした表現が含まれますが、物語上の演出および独自解釈によるものであり、実際の歴史・信仰・伝承とは異なる場合があります。
黒い粒子は、奏の身体から静かに零れ落ちていた。
一粒、また…一粒と…
足元へ落ちるたび、黒い靄となって大地を覆っていく。
別の粒は黒い湯気となって立ち上り、ゆっくりと足元へ降るように落ちていく。
大地に触れた瞬間、それが霧のように広がっていく。
まるで大地の何かに反応したかのように…湧き上がっているようにすら見えた。
それは…やがて靄となり、この世界を侵食していくようだ。
奏は俯いたまま動かない。
違う。
動けないんだ。
呼び掛けても反応してくれない。
奏は身体の内から黒い湯気を立たせているようにも見えた。
「奏…」
天輝のその声は届かない。
反応のなさに申し訳なさが生まれてしまう。
あれほど気丈に振る舞っていた奏にも、限界はある。
分かっていても、目の当たりにすると胸の奥がきりりと痛んだ。
天輝はごくりと喉を鳴らした。
「ラルド」
その声は重い。
一種の覚悟のようなものが見え隠れするかのようだった。
「ん?」
「琴葉とミニカナを連れて出てくれるか?」
「断る」
即答する。
天輝が言い出すのは分かっていた。
すでにラルドの見てきた奏はいない。
琴葉も黙り込むほどに場に緊張が拡がっている。
それでいて、冷静に振る舞おうとする天輝が痛々しい。
「?」
「お前は奏を甘く見ている」
「………」
「俺はまだ死にたくないから…ここで待っている」
ラルドは小さく笑った。
どこか照れ隠しをするような笑みで…
ただ、少年の顔には不釣り合いに思える。
妙に大人びた諦めが隠し着れていないのも…
それに応えるように天輝もフッと口角を上げた。
確かに…そう思ってしまう。
でも、事態はずいぶんと悪いようだ。
奏に起きているのは…
「多分だが…お前の内なる世界へ入るときに、無垢が剥がれ落ちたんだと思う」
「無垢?」
「喜び・悲しみ・怒り・恐れ・嫌悪…そして…驚き」
「それがミニ奏?」
「他にも感情を司るものはあるだろう」
ラルドは、言葉を区切るとニヤリと笑った。
「まぁ、知らんけどな」
奏の中には、恐れが残っていたのだろう。
恐れが様々な負の感情を引っ張り出すことは知っている。
でもどんな影響があるかは知らない。
落ちた感情があった場所…空間には他の何かが収まるのかも知らない。
そもそも人の心の作りがどうなるかもわからない。
出せる情報がないというのも…神としては問題だ。
分っていることは『恐れ』が厄介な感情ということだけ。
過去にあった出来事をトラウマにするのも…
心配事を現実に導くのも…
『恐れ』の仕業とさえ言われている。
ただ、『恐れ』が悪いわけでもない。
感情にはそれぞれに役割がある。
その役割は…残念ながら知らない。
何の根拠もない憶測を、もっともらしい作り話として語るわけにもいかない。
どちらにしても…
感情が欠落した中で、人はどう振舞えるのだろう。
ラルドは次の言葉を探したが、見つけられなかった。
「…無責任な情報をありがとう」
天輝はふっと柔らかな笑みを浮かべた。
クルッとラルドたちに背を向けた。
あとは何とかするさ…そう伝えるのも悪くなかった。
でも、最後くらい意地悪を言っても罰は当たらないだろう。
ザクッ。
剣は黒い床に深々と突き刺さった。
剣の周りだけ、光の粒が空に舞っていった。
まっすぐに奏のもとへと近づいていく。
一歩踏み出すたび、黒い粒子が足にまとわりつく。
「奏」
動かない。
呼吸だけが小さく揺れている。
「奏」
返事はない。
奏から漏れる黒い粒子が、天輝の足にまとわりつき始めた。
「ラルド!」
「聞きたくない」
「それでも、やばいと思ったら、二人を連れて絶対に出てくれ」
「テン」
「命令だ」
「な、人の分際で」
肩越しに見れば、ラルドが何かを叫んでいる。
琴葉も必死に声を掛けている。
でも、その声は聞こえない。
繭のように黒い霧が二人を包んでいく。
「ラル…」
「今度は言うことを聞いてくれ」
「…うん」
琴葉はミニ奏を抱き上げた。
ミニ奏がそっと琴葉を抱っこする。
ラルドがそっと近付いた。
その瞳に涙を一杯溜めている。
覚悟しておくべきなのだろう。
ラルドは静かにそう思った。
もしも、天輝が戻らなければ…
奏が帰ってこなければ…
この元凶だった人間は殺す。
思ってはいけないと分かっていても考えずにはいられない。
ラルドの肩から静かに湯気が立ち始めた。
白い装束が、墨を垂らしたようにじわりと黒く染まり始める。
怒りとも殺意ともつかない気配が、静かに漏れ始めていた。
「ったく……」
天輝は小さく息を吐く。
理屈なんて分からない。
黒い粒が何なのかも知らない。
この世界の決まりなんて一つも理解していない。
でも……分からないなら、それでいい。
焦ったところで、みっともなく見えるだけだ。
少し強がって、少し格好をつけてみよう。
そう、いつも通りでいい。
天輝はゆっくり奏を抱きしめた。
黒い粒子が腕にまとわりつく。
冷たい。
ぞわりと嫌悪感が背中を走る。
「一人で抱えんな。」
その一言だけ残して、天輝はそっと奏にキスをした。
唇が離れる。
「王子様のキスで目を覚ますのが定石なんだろう…奏」
無理やり口角を上げる。
それでも笑えている気はしなかった。
天輝の頬を伝った雫だけが、強がりを裏切っていた。
目を閉じたのは一瞬だった。
目を開けたときには世界が一変していた。
変わらないのは奏を抱いていることだけ。
さっきまでいた無機質な何もない場所がレトロな街並みに変わっていた。
意識していないと錯覚してしまいそうなくらいにリアルな感覚だ。
どこだろう。
神社の参拝用の石段、その端に腰を掛けて座っている。
意識の戻らない奏が眺めるように視線を漂わせている。
賑わいを感じるのは、祭りのせいだった。
石段を急いで上がっていく子供たちを眺めながら、天輝はホッとしていた。
家の中で遊べるものが増え、町中で子供の遊ぶ声を聞く機会は減った。
偶に聞こえてくる声も、勉強の内容ばかり。
自分がおじさんになっていると自覚していても、大変だろうなと勝手に同情してしまう。
必要がないとわかっていても…年寄り臭いと奏がよく苦笑したのを思い出す。
見えているのは知らない街。
それなのに、どこか懐かしさがあった。
水が張られ、空を映す鏡のような田んぼがどこまでも広がっている。
そういう光景に憧れた。
遠くに見える大山だけは、町のどこからでも見える。
学校へ向かう道からも。
神社の石段からも。
家の縁側からも。
町は小さかった。
隠し事なんて…
あってないようなもの。
そんな空気に憧れる。
ただ現実問題、プライベートに関しては我慢できなくなるんだろうな、とも感じる。
裏表なく。
秘密もなく。
そんなものは存在しないのではなく、できない。
人が隠そうとしている秘密を知ったところでいいことはないような気がする。
私のことを全部…包み隠さず…知ってほしい。
それを口にする人がいて…
それを実践できる人はどれほどいるだろう。
自分を…隠してきている自分を知られるのは怖い。
それを分かって、この情景を見せてくれるのだろうか。
それとも、見られたくない。
知られたくないものを、覗き見てしまっているのだろうか。
ただ、何が見えたところで、受け入れる覚悟は……ある。
変わらない想いを持ち続ける覚悟…自信はどうしたんだろう。
ただ同時に思う。
一緒にいる時間が嵩んでいけば…秘密なんて、きっと長くは隠せない。
なんとなく気付いていく。
なんとなく感じていく。
なんとなく決めてしまう。
その前に相手と向き合うことが大切になる。
そういう意味では…怖い。
いま見えている時間は、奏の時間だ。
少なくとも天輝の記憶の中にはない。
俺の内なる世界の中で…それだけ奏に惚れているのだろう。
それが分かっただけでも成果だ。
よし!
見えているのは、きっと奏の記憶。
決めつけてみる。
色あせている部分もあるだろう。
正確さも欠けているかもしれない。
それでも招かれている世界。
ここから、絶対に奏を連れ出す。
天輝は記憶を手繰る。
奏が何気なく話してくれた故郷の景色を。
鳥取県米子市の少し外れた住宅地。
海からの風が田んぼを渡り、夕方になるとカエルの鳴き声が響く田園。
舗装された道はあるけれど、一本入れば砂利道。
近所の人はみんな顔見知りで、夕方になると縁側で団扇をあおいでいるような田舎の風情。
そんな町で育った。
楽しみは、神社の夏祭り。
一年で一番賑やかな日だった。
境内には赤い提灯が並び、どこから来たの?と聞きたくなるほど人でいっぱいだ。
焼きそばのソースの焦げた匂い、綿菓子の甘い香り、金魚すくいの水音。
遠くで盆踊りの太鼓が鳴りはじめた。
人の流れが変わり、屋台の前から人が減る。
その隙を狙うように子供たちは屋台へと向かう。
それを眺めている奏は八歳だった。
浴衣の袖を握りながら、両親の後ろを歩いていた。
母は妹を抱いている。
父は荷物を持っている。
妹は身体が弱く、熱を出すことも多い。
だから家族はいつも妹を中心に回っていた。
奏も、それは分かっている。
妹の面倒も積極的に見ているし、我慢もいっぱいしている。
そんな不満も言わないで…でも…
「お姉ちゃんなんだから」
その言葉が母から出るたびに…
偶に会う祖父母に言われるたびに…
胸の奥がモヤモヤとするようになった。
気持ちの悪い感覚。
それを晴らしてくれるのは、妹の「ごめんね」だった。
彼女が悪いとは思っていない。
だから言われると…悪いな…って思ってしまう。
彼女のことは好きだ。
大切に思うほどに、手助けしてあげなきゃと思うほどに…
両親に邪魔にされる。
それが…どうしてだったのか。
その理由を知るのは、まだ先のことだった。
都合というものが分かっている。
分からない時期から、押し付けられてきた。
分かっている。
本当に分かっている。
でも……疲れてしまった。
今日は少しくらい見てほしかった。
射的を見つけた。
金魚すくいも見つけた。
「あ、お母さん」
声は届かない。
声を消したのは妹の咳だった。
わざとじゃない。
母は慌てて背中をさする。
父もそちらを見る。
誰も奏を見ていない。
靄っとしたものがこぼれた。
ほんの少しだけ。
ほんの少しだけ気付いてほしかった。
だから…その場から逃げ出した。
「待って!」
母の声がした。
嬉しかった。
でも、どうすれば良いのか分からなくなった。
「危ない!」
誰かが叫んだ。
次の瞬間。
境内の石段で足が滑った。
身体が浮いて、視界が回る。
ゴン、と鈍い音が頭の中にまで響いた。
世界が止まった。
痛い。
腕が熱い。
膝も擦りむいている。
見ると浴衣の足の部分が真っ赤に染まっていた。
血が流れていた。
でも、それより。
…怒られる…そう思ってしまった。
それを最初に思ったのは…父と母の喧嘩の原因が奏にあることを聞いたから。
奏まで怪我したら、誰が面倒みると思っているの?
その言葉が痛かったのを覚えている。
妹の治療費のために母はパートという仕事をしている。
心身共にいっぱいになっていたから…と父が声を掛けていた。
でも、本当に怪我をすれば…
勝手に走ったから。
言うことを聞かなかったから。
妹に迷惑をかけたから。
怒られる。
そう思ったら…身体が動かなくなった。
石段の陰へ身体を縮める。
声が聞こえる。
「奏?」
母が呼んでいる。
「どこだ? 奏」
父の声。
行かなきゃ。
分かっている。
でも…怖い。
怖い。
怒られるのよりも、落胆の表情を見せられるのが…怖い。
涙だけが止まらない。
やがて父が見つけた。
「奏!」
駆け寄ってくる。
怒鳴られる。
そう思って目を閉じた。
次に聞こえたのは…
「よかった」
震える声だった。
抱き締められる。
どれくらいぶりだろうか。
母も泣いていた。
「心配させて、もう」
怒っていない。
誰も怒っていない。
でも…その瞬間にはもう遅かった。
奏の胸の奥にあるのは、『失敗したら怒られる』ではない。
『迷惑をかけたら捨てられるかもしれない』だった。
小さな恐れが静かに住み着いていた。
その情景を天輝は奏を抱いたまま眺めていた。
奏の中に隠れるように育った黒い塊。
天輝は何かを決めたように奏を抱きあ減ると石段の脇にある木にもたれ掛からせた。
「少し待っていて」
天輝は奏の耳元で囁いた。
本当に…ここが、思い出から生まれた世界なら………
「ごめんね……」
木に凭れかからせた奏の口から言葉がこぼれた。
最後の方は聞き取れなかった。
多分、妹の名前なのだろう。
光の玉が取れたのなら、きっと…
この黒い塊をほどく答えは、この思い出の中にある。
お読みいただきありがとうございます。
基本的に 不定期更新の のんびり進んでいきます。
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
タイアップ企画に挑戦ということで…サクサクとあげていきます。




